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oneday  ぽぇ



 
 悲喜こもごも

離婚問題を抱えているHから
年賀状を頂いていたのですが
ぽぇに会いたいと記してあったので
電話をかけてみました。

H〜〜、ぽぇよ〜〜と言うと
わ〜〜、声が聞けて嬉しいぃーーー
話しているとホッする
とにかく会いたいの
と、それはそれは凄〜く喜んでくれました。

ここ2〜3日
ちょっと、せつない思いをしていたので
浮き上がる切っ掛けとなってくれて
とっても、ありがたかったです。

捨てる神もあれば拾う神もある
うまく帳尻が合うものですね。

そして、悲しいことはと言うと
ふわりんが育てていたPちゃん(兎)が
死んでしまったとのメールが来た事です。

このPちゃん
研究用の兎で行く末は決まっていましたが
ふわりんは可愛いPちゃんとの別れが辛くて
引き取ったのです。

今時には珍しいスタンダードなタイプで
体は真っ白、目は赤い色。
いざ、ウサギちゃんという感じで
ほんとに可愛いウサコちゃんでした。

命拾いをしたPちゃんは
その後、10年もの長きに渡って
ふわりんと途中参加の旦那様と共に暮らしました。

優しい2人に可愛がられたPちゃんは
きっと、幸せだったに違いありません。

言葉を持たない子の健気さにも似た愛おしさ
そして、いろいろな気付きを与えてくれて
天寿を全うし旅立ったPちゃんでしたが
もっともっと長生きして欲しかったですね。

ありがとねっ、Pちゃん。

2005年01月21日(金)



 
 新年会-2-(寂しさから得たもの)

恒例のランチを「新年会」と銘打っても
いつもとなんら変わらないスタートでしたが
メンバーの一人Uさんが
この2月に転居される事になったので
急遽、壮行会となりました。

転居の理由は(私は事前に聞いていました)
喜ばしいものではなく
途中、涙ながらに話すUさんに
皆、何の言葉もかけられず
シーンとしてお話を聞いていました。

このUさんと私は
グループから離れた所で
10年程、かなり親しくしたいました。

子どもの状態が似ていた事
家が近かった事
そして
何よりも感性が一緒だったからなのです。

感性と言う点では
昨年の忘年会の帰りをご一緒したWさんも
よく似ています。

そこで、波長の合うUさんとWさんを
よく我が家にお招きして
(2人共、義父母さんと同居のため)
3人でランチをした事がありました。

関係性としては
Uさん=私=Wさんというもので
ランチをするようになってからは尚の事
常に3人一緒でした。

3人一緒だと思っていたのです・・・私は。

ところがUさんは今回のランチの件で
Wさんに参加の電話を入れていて
それを受けたWさんはお餞別のプレゼントを
用意していたのでした。

その場で知った私の気持ちが
動揺しているのをハッキリと感じました。

人は常に新鮮な出会いを優先し
口当たりの柔らかな新しい人へと
引き寄せられて行きがちですよね。

10年という一区切りが大好きですし
年月をかける事で深い味わいが出て来る
と、信じていましたが
10年かけても強い絆になるとは限りませんね。

ひょっとしたら
それが人間の深さ・面白さなのかもしれません。

自分の幸せを求め続けるのが人間であり
それを誰も止める事は出来ない事も
当然の権利だという事も分かっています。

考えてみれば
Uさんとの出会いも
Tさんという人を通じてのものでした。

いつの間にか
Tさんを介さずに
Uさんと親しくなっていたわけで
私自身がして来た事のリフレーンですね。

忘れ去られてしまう訳でも無いのに
必要とはされていない感覚を持つのでしょうね。

  その人が幸せになってくれれば充分なのに
  その事を心の底から願い祈っていた筈なのに
  何とは無しに置き去りにされたような
  空しさと寂しさが去来して
  雲をつかもうとするかのような欲望が
  無私になれない気持ちを溢れ出させて
  傷口に沈殿し始めて行く。

と、以前に書きました。

人は知らず知らずの内に
傷付け合いながら生きているのでしょう。

そして、その傷の感じ方の違いが
感性としてお互いを許容し合い
惹かれ合っているのかもしれませんね。

自己分析をしてみれば・・・
心の何処かに寂しさが居座っていて
満たされない思いが少しあるのでしょう。

でも、うぇぶ日記を書くようになってから
自分を客観的に見られるようになり
動揺はしても書き捨ててしまえば
引きずらずに済んでいるようです。

ここ4〜5年で
私は大きく変われたと思いますが
それは確実に良い方向へなので
心から楽しめる日が来ると信じています。

2005年01月20日(木)



 
 新年会(多種多様な心理)

役員の新年会で横浜へ。

スカイビル27Fにある「クルーズ・クルーズ」
食べ放題のバイキング形式で
フロアーが凄〜く広いのにはビックリ
おそらく、400人位は収容できるのでは?

右を見ても左を見ても女性ばかりで
大きなトレーにテンコ盛りのお皿をのせて
右往左往している姿は圧巻でした。

食欲の誘惑って抗し難いですものね
えぇい、どうにでもなれとばかりに
食べてしまってから後悔することも。(^^;

*********************

今年度の役員さんの数人が
ガッチリとグループを作っているのですが
面白い事に、その回りを
グルッと囲むような集団が存在しています。
まるで取り巻きのようです。(^○^);

他の人達は全く入る事が出来ません。

私は昨年度からの引き続きなので
不自由はありませんし
グループに属そうとは考えていませんので
万遍無く言葉を交わす事が出来
有意義な時間を過ごせています。

他の方々は寂しいでしょうし
つまらないでしょうね。

案の定、グループに属せなかった人達は
途中で退席されてしまいました。

何とも人の心の悲哀を垣間見たようで
人間関係は永遠のテーマなのねと
感じたりした一時でした。

私は来期も役員を引き受けていますので
人の動きに左右される事なく
お仕事に専心していこうと思っています。

本当は学校に顔を出す事で
宙の事を理解しようとしない教科の先生方とか
波長の合わない役員さんと
顔を合わせるのは少々苦痛でもあるのですが
その苦しみを回避させるために
簡単に背を向けて惰性で走るのは止めました。

担任との関係が親子共々とても良いので
引き受けたからには流れに任せて頑張って
卒業の日を迎えたいなと思っています。

2005年01月19日(水)



 
 年賀状が教えてくれたこと

今年は行動的にと考え
その事を1年の目標とし
宙と私の人生は分離させて
お互いが楽になれるように
まずは自分を大切にを優先させよう
と、決めたので凄く楽しみ。(^-^)

元旦からは外出が続き
殆どジッとしていなかったせいか
動く事にも慣れてフットワークが軽くなり
幸先の良いスタートが切れたように感じます。

+++++++++++++++++++++

ここ数年
年賀状を全く出していません。

更年期の激しい鬱状態の中
何もする気になれなかった時に
幸か不幸かメールという
簡便なツールを手に入れてしまい
アナログから遠ざかってしまっていました。

それでも毎年のように賀状を購入しては
書かずに放置という散々の体たらく振りには
自己嫌悪もありましたが
分かっているのに出来ない脳状態からの
脱出は不可能だったのでしょう。

気持ちはあっても体が動かずにいて
殆ど放置状態だった・・・にもかかわらず
数十枚も届く賀状を見るのは嬉しかったですね。

自分の明確な意思を持って
出さずにいたわけでは無かったので
ありがたい気持ちになっていたように思います。

さすがに、年々少なくなり
音信不通になる人もいますが
その事が気になる事は無く
むしろ、関係性を考えてみようかな?
と、気付かされたようで私的には良かった。

昨年は
激減すると予測していたのですが
意に反して沢山頂き・・・何故?と
申し訳ないような不思議な感覚が渦巻いて
オフラインの大切さを再考させられました。

鬱々とする事も多かった昨年を思うと
本当にありがたく感謝の気持ちで一杯。

もう、今年はゼロに違いない
それも私の人生でしょうと考えていましたが

 

賀状も届き電話やメールまで頂き
ああ、こう言う静かな関係がいいなぁ〜
と、つくづく有り難かったです。

年賀状って何?

このまま書かずに済ませていたら
確実に友人は去って行くのでしょうね。

不安定で吹けば飛ぶような薄紙の如く
儚いものなのかもしれませんね。

その継続のために書いていた年賀状
私は一体、何をしていたのでしょう
何の意味があったのでしょうね。
空しさはありませんが
無理をしていたのかな・・・とは思います。

今は友人も激減しシンプルではあるけれど
内容の濃い関係に移行して充実しています。

人との関わりは
数の論理とは反比例していて
友人・知人の多かった時の方が
心が満たされてはいなかったように思いますね。

今は、とっても楽で幸せ。(*^^*)

鬱から抜けつつあるこれからが
大切な人生となるのでしょうねぇ。

その事を考えさせてくれた
たかが年賀状
されど年賀状に
感謝。

そして
何よりも送って下さった方々には
頑張る元気を頂きました。

心より感謝しています。m(_ _)m

今、コースターをチコチコと作っていますので
出来次第お送り致しますねっ
気長にお待ち頂ければと思っています。

どうぞ宜しくお願い致します。(o_ _)o))

2005年01月17日(月)



 
 ああ、阿鼻叫喚

私の心の落ち着きは
宙によって大きく左右される。

ここの所
順調だった宙との関係も
昨日はバランスを崩し
かみ合わない考え方の違いに
どうにもこうにも押さえがきかなかった。

心臓がドクドクし
頭には血が上り
気が付けば
宙に向かって喚き散らしていた。

そして、別の部屋に篭り
壁に物を投げつけて
興奮を鎮めようとしたけれど
焼け石に水だった。(´。`)フー 

この凄まじいほどの興奮状態は
初めての体験だった。

何があっても
どのような時にでも
激高まではしなかったのに
それを宙に見せたのは初めてだった。

キューブラー・ロスの
ドキュメンタリィーを見て
何かがプチンと砕け散り
1度くらい
爆発してみたかったのかもしれない。

やってみて分かったこと・・・それは
気持ちがスッキリする事はなかったという事。

感情を剥き出しにする事に
とっても罪悪感を持っていた私は
自分の中であっても
良い人であらねばならなかったのでしょう。

そうある事が苦痛ではなかったけれど
最近は
押さえ込み過ぎていたのかもしれない。

でも、荒れ狂うことは
もう2度と無いでしょう。(^^ゞ

++++++++++++++++++++

昨日、ふわりんから届いたメールに
レスをしておいたら
今日、またメールが届いていた。

 誰かに話して受け入れてもらいたい時があるのだと思う。
 そういうとき、真っ先に頭に浮かぶのは、ぽぇ姉ちゃんで
 ついつい、いつもメールしてしまいます。
 今もメールして大分ココロがスッキリと晴れました!
 ありがとう(^o^)ぽぇ姉ちゃんの存在は大きいです。

宙は一人っ子なので
私には健常の子はいない。

子どもに恵まれたなら
心を通い合わせられる親子になりたい
と、思っていた。

宙が長ずるに従って
それを望むのは難しい事だと分かり
寂しいと感じたりしていたけれど
巡り会えるものなのね
それは我が子でなくても良いのよね。

ネットでも大切な友人に恵まれ
そういう存在に支えられている感覚を
いつも感じながらいられる事に
とても有り難く感謝の気持ちで一杯になる。

来年は明るい幕開けとなりますように。


「インティメイト」原点に立ち戻る時のコロン 

2004年12月29日(水)



 
 エリザベス・キューブラー・ロス

クリスマスの夜
衝撃的なドキュメンタリー
最後のレッスンを見た。

世界的ベストセラーとなった
『死ぬ瞬間』の書で一躍名を馳せ
「死の専門家」として多くの患者の
心の支えとなった精神科医キューブラー・ロス
その彼女の終末期の真実を見せ付けられて
これからの私の生き方を肯定されたようで
こんなに気持ちが軽くなった事は無かった。

初めてキューブラー・ロスの本を手にしたのは
『人生は廻る輪のように』だった。

私は何度も入院を体験し
「死」と直結しながら生きて来た事情から
それらにまつわるありとあらゆる本を
どれほど読んだことでしょう。

気持ちは軽くなっても
救われたとは言い難かったけれど
「死」の恐怖からは解放され
その文字は頭から消え去ったのに
人生には迷い続けていた。

最近
自分の人生を生きよう
誰の為でもなく自分自身を大切に
私の中で私を中心に置いた生き方をしよう
と、考えをまとめ実践の準備に入った
まさに、その瞬間に出会えた映像だった。

生活の
あらゆる場面で一人称を入力され
よーーーく分かっていた筈なのに
脳に定着しなかったスタンダードな考え方
それは自分の人生を生き切るという事。

自分を無にして生きて来た事を
後悔はしていないし
それで良かったと思っているけれど
少しは母自身を生きさせて・・・ねっ宙。

これからは形を変えた愛情を
注いで行こうと考えている。

キューブラー・ロスが言っている
最後に残るのは人の愛だと。

私自身を生きながらも
愛を置き去りにしない
バランスが大切なのでしょう。

「ホスピス」の礎を築き
死に行く人々に寄り添って
世界的な評価を受け
自分自身を生き切ろうとした
そのキューブラー・ロス自身が
「死」に向かい合った時・・・。

静かに聖女の如く「死」を受け入れ
幸せな最後を迎えるのでしょう
と、思っていた。
そう期待さえしていた。

けれど
そこにいるキューブラー・ロスは
見苦しいほどに毒舌を吐き
死に行く人々と対峙している時の姿からは
想像すら出来ないほど赤裸々に
素の顔を曝け出していた。

その本音を知った多くの人達は
キューブラー・ロスの元を去って行ったという。

人間関係でも
ここからが始まりだと思うのに
あっさり去って行ってしまうとは
何とも物悲しく寂しさを感じる。

そこから
人は無理をしたり背伸びをしたりせずに
小さな存在で良いのだと教えられたし
私が持っている愚かさや薄情さ
人の目を気にする弱さとか
欲望や欲求を押し殺す必要など無いと
断言されたようで本当に楽になれた。

 

最後に残るのは人の愛。

2004年12月27日(月)



 
 何よりも自分を大切に

この日記を読んで下さっている方が
何処で、どの様に暮らされているのかしら?
と、フッと考える事が以前から有りました。

通り過ぎて行く方
時間を割いて読みに来て下さる方。

偶然だったのか?
決められていたことなのか?
それを計り知ることは出来ないけれど
接点があった事実は確かな事
それを
忘れないでいたいとは思っていても
その思いさえ
忘れ去ってしまう現実が私の中にはあります。

忘却とは忘れ去る事なり
そう、忘れる事は人間に与えられた
恒常機能なのでしょう
ですから未来に向かって
生きられるのかもしれません。

バーチャルなリアリティーという
この場所で?
言葉を交わす事もなく
お目にかかる事もないのに
ある時間だけを共有して来た不思議さに
臨死疑似感覚を体験したような
とても重大な局面に立ち合えたような
貴重な体験が出来た事に意識を向けると
そのような想いを与えて下さった方々に
心より感謝の気持ちで一杯になります。

オフで、お一人お一人にお目にかかり
お話したい強い衝動に駆られています。

でも、ネットからは出ないと決めた事を
貫こうと決心していますので
続く事も無く
終わる事も無く
これからも
ただただ浮遊して行くのかなと思っています。

どうぞ皆様が
ご自分を大切になさって
幸せに過ごして行かれますように・・・。


クローバーのコースター(ぽぇ作) 

2004年12月26日(日)
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