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oneday  ぽぇ



 
 歳若い姪からの箴言

ふわりんは
あの厳しい言葉を私と面と向かってでは
言えなかったでしょうね。

メールでしたから
書けてしまったという印象もありますが
まぁ、性格もあったのでしょう。

本来は物腰の柔らかな優しい子なので
線の弱さが気がかりでしたが
ハッキリものを言える強さがある事を知って
変な言い方ですが安心しました。

意地悪では無く
芯の強さを持った優しさは
これから年齢と共に磨かれて行き
良い人生を送って行くための宝となるでしょう。

若い、ふわりんの視点は鮮烈で
私には良い意味で強烈な刺激剤でしたね。

それにしても
あれほどまでに詫び許しを請う自分自身の姿に
屈辱感は無く何の抵抗感も無かったのは
宙を育てて来た過程に於いて
社会から受けた差別・排他・否定・疎外が
いかに凄まじいものであったか
どれほど辛く苦しくても逃げられなかった現実
それに耐えて来た結果として
生きる気力を失わせるほどの悲しみを
心に沁み込ませない恒常性が
培われたのかな?と考えています。

ふわりんに
嫌というほど欠点を指摘されて
ダメージを受け立ち直れないのでは?
と、思っていたのですが
意外や意外
人生観が変わってしまったのですから
これから先も何が有るか分かりませんね
楽しみです。(= ̄∇ ̄=)ゞ

私は、自分を知りたくて知りたくて
仕方がありませんでした。

自身の欠点は、
よーーーく分かっていますので
自ら考え修正し改善を図ってはいても
なかなか脳に定着しなかったのは
改善のための拡張子的なものが無かったので
常にプロンプトが目の前にないと
暴走を止められなかったのかもしれません。

その役目を果たしてくれたのが
ふわりんからの一撃でした。

ですから今は
気分は晴れやかで素直な気持ちでいます。

今までの人生は何だったのでしょうか?
と、感じ入っているところです。(*^ー^*)ゝ

2005年04月10日(日)



 
 心が凍るという感覚 そして再生するプロセス

ふわりんが実家よりも我が家に近い所に
家を購入しました。

一昨日、請われて新居を訪問し
お手伝いを終えたら帰るつもりでした。

午後から用事があったので
帰ろうとしたところ
お茶を出してくれましたので
たまたまいた夫君と3人で
いろいろとお話をする中
私と姪の白熱した議論もありましたが
夫君が、ことのほか喜んで下さって
良い空気感が流れて行ったので
ああ、お話が出来て本当に良かったな
と、思える後味の良さはありました。

私は
その足で新宿へ向かい
所用を済ませて帰宅後すぐに
メールのチェックをしたところ
ふわりんから
6通ものメールが届いていたのです。

それは、私への批判めいたものでした。

実は、3人の会話中に
ふわりんの物事の進め方が自己中心的であり
あまりにも実家寄りな発言だったため
私は身内として賛同出来ず
夫君の肩を持つ発言をしたのですが
それに対する怒りだったようです。

読み進める内に
脳は思考を停止したがるほどに動揺して
ああ、言わぬが花だったと思いましたが
今回の事は姪への箴言でしたから
後悔していませんし
私自身もハッキリと箴言してくれる人を
求めていた事に気が付き
「災い転じて福と成す」だったのかな?
と、考えると相殺されてはいます。

それでも改めて冷静に考えてみると
ああ、また余計なお世話をしてしまい
全く、反論の余地の無い事に
思い至りました。

そうです。
どれ程、相手に良かれとの思いで話しても
有りがた迷惑というものなのですよね。

独り善がりな箴言は2度としません。

返り討ちに合っては本末転倒というもので
お互いに何の益も無く
発展性も期待出来ませんものね。

とにかく私が口を挟んだのは事実ですから
素直に許しを請わなければと考え
一昨日、昨日と何通かのメール交換をしました。

私は、お詫びのメールを何通も送り
ひたすら謝罪をし続けたところ
時間と共に怒りも氷解してくれたのでしょうか
返信がありました。

ぽぇ姉さんを傷付ける発言をしたのに、
私を肯定してくれたこと、受け入れてくれたことに
とても感激しています。
今、道沿いの桜の下を歩きながら仕事に向かっています。
本当にきれい!!満開だよー!
届くか心配ですが、桜の写真送ってみますねー!

と、言うメールと共に桜の画像が送られて来ました。

私自身の欠点は何度もの失敗から
よーーーく分かっているのですが
その事で痛い思いをしないと
身には応えなかったのでしょう。

少々、悲しかったですが
総てを洗い流した気分でスッキリし
これからの人との関わりで
良い人生が送れそうです。

ふわりんには感謝の気持ちを伝えました。

2005年04月09日(土)



 
 マネーゲームから読み取る「知」の価値

昨今、世を賑わしている「ライブドア」
私など、とてもではありませんが
渦中にいたら身も心も持たないでしょう。

まぁ、有り得ませんが・・・(^^ゞ 

有象無象の御仁達の強靭な心臓には
ストレッサーという圧は無いのかもしれません。

数年前、テレビで
大手ヘッジファンドのLTCMが1998年に破綻した
と、言うドキュンタリーを見た事がありました。

LTCMはロシア危機が原因で破綻し
損失額は当時のレートで約17兆円 (¨ ?)
このゲームで総てを失ったディーラーは
家を追い出される事も無く
何とも奇妙な生活を続けていたのです。

それなりに優雅で
一般的にはリッチな生活に見えるのですが
さすがに目は焦点が定まらず虚ろで
生きているとも死んでいるとも付かないような
まさに抜け殻と言う表現がピッタリの生き様に
こういう世界もがあるのだと仰天したものです。

世界の頭脳が結集して作り上げられた
このLTCMが何故?崩壊してしまったのかを
克明に辿った、このドキュメンタリーは
今でも
私の記憶のトップに収納されています。

世の中には私の知らない事が
まだまだ沢山あって
無知でいる事は恩恵に欲せない事を意味し
不利益を被りかねないのだと
痛切に感じさせられた番組でした。

私は、その頃から
知る事とはリスク管理をすることであって
先を読むという事だと考えるようになりました。

 「膠原病」に付随する
 「心臓弁膜症」「潰瘍性大腸炎」を発病した時は
 とにかく手当たりしだいに情報を集めました。

 宙のアレルギー体質に関しても
 母親からの免疫抗体を失う
 生後1ヶ月から対処するべく勉強し
 本を片手に、お料理に励み
 「親の会」にも入会しました。

 そして
 宙が「自閉症」だと分かった時
 知識を得るために猛烈に行動をしました。

知っているのと知らないのとでは
天と地の差がある事を
先のドキュメンタリーから学んだからなのです。

余談ですが

以前
ライブドアの株に
目を付けた事がありました。

その頃
一般的には無名に近いIT企業でしたが
初めて株と結び付け関心を寄せた会社でした。

ところが私は
株には全く無知であり
財力も無く
度胸も無かったために
買う事を躊躇ってしまったのです。

結果、購入しませんでした。

その後
プロ野球参入騒動で株価は急騰し
百万円分は三千万円に跳ね上がったそうです。

大きな損失というのは
リスクマネージメントによって
避けられる可能性もあるのに
無知は恐怖を生み出しただけでした。

知らずにいる方が
幸せという場合もあるでしょう。

しかし
私は知る事を選んだのですから
自分を信じて生きて行こうと思っています。

さぁ、知の世界へ。

そして「インナー・AS」の世界へ。

2005年04月05日(火)



 
 ぼちぼち、ゆっくりと

PCから全く離れていたわけではなく
タイピングを楽しんだり
タグを貼り付けて遊んでみたり
何も考えずボーッとしていたりと
意識を覚醒させない日々も良いものでした。

ネットは求めれば
情報が無限の如くに提供され
勇気を出して踏み出しさえすれば
別世界に生きる事も可能な世界ですね。

私的には
自分はグローバルに物事を見ているとか
本質とは違った部分でスターになってしまう
摩訶不思議な世界観に慣れきってしまい
錯覚の世界に埋没しかねなかった事を考えると
とっても恐い世界でもあるのでしょう。

PCを始めて5年余りですが
宙が小さな頃に手元に無かった事は
私にとって性格上からも良かったと言えます。

おそらく依存してしまい抜け出せず
宙への時間は激減していたことでしょう。

知識だけで満足してしまうという
私のようなタイプの人間では
療育に励めなかったと思います。
(あくまでも私はです)

水と同じように流れていなければ
淀んでしまいかねない私の人生ですが
それは人様々であって
湖の様に流れ込んで満たされたり
自然に湧き上がる様な生き方もある
と、ネットから学んだ気がします。

これからは
時々、お休みをしながらも
細く長くノンビリと続けてみて
いつの日にか終わりを迎えても
それはそれで良しとしましょう。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

今回、「人を信じられなくなって」を書いて
後悔はありませんでしたが
ストレートに何でも書いてしまった事に
思慮や配慮に欠けていたのではないかしら?
と、内心では気にかかっていました。

ところがメールを何通か頂きまして
訪問して下さっている方の存在を実感し
温かい目、好奇の目、批判の目と
いろいろな角度から
見て下さっている事を知り
そのどれもが私にとって
ありがたいものでした。m(_ _)m

書いても良かったのだと
ちょっと、ホッとしています。

掲示板を設置していませんので
お話をする機会は殆どありませんでしたから
メール交換が出来ましたことは
本当に良かったですし嬉しかったです。

いつか、目の負担にならない程度に
「我が儘BBS」を設置してみたいなと
思っています。
その時は、どうぞ宜しくお願い致します。

☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

web上で日記を書く事に
かなりの抵抗感があり
意味も無く恥ずかしかったのですが
書き慣れるにしたがって
このツールを得た事で
私の中のASと遭遇した事は幸運でした。

宙の事は、まあまあ一段落しましたので
次は「成人のAS」について
真摯に探求してみたいと考えています。

私にとっての
「インナー・AS」(勝手に命名)と題して。

2005年04月03日(日)



 
 人を信じられなくなって

おそらく
これほど人を信じられなくなったのは
始めての体験だと思います。

今日
たまたま、あるサイトの掲示板の
書き込みを見てしまったのです。

それは歯の浮くような書き込みでした。

一瞬、目を疑いましたし
血の気が引くほど悲しい想いが胸に溢れ
そっーかーー
そうなのねぇーと
何度も何度も読み返してしまいました。

ネットを始める前も
裏で悪口を言っては
表で良い顔をしている人と
接していた事がありましたから
慣れてはいる筈でしたが
まさか同じ経験をネットでも繰り返すとは
考えてもいませんでした。

人間は聖人君子ではありませんから
愚痴ったり、時には悪口も言うでしょう。

それを悪いとは考えていませんし
言う事で気持ちが楽になるのであれば
それはそれで救われるのですから
1つの手法として理解も出来ます。

でも、私は
仮に言ったとしたら
同じ事を本人にも言いますし
言えなかったなら
その人との関係をフェードアウトさせ
静かに身を引き裏切り行為はしません。

あの書き込みを見なければ良かったの?
いいえ、見る事は運命だったのでしょう
本当に嫌だな〜〜と思いましたが
見て良かったのかもしれませんね。

それは合わせ鏡なのだからです。

私の中にもある暗闇に
光を当てる誘導体だったのでしょう?

ここのところ
ネットからも離れていましたから
しがらみも無ければ
顔色を伺わなければならない人もいません。

それはとてもありがたい事だと感じます。

そして、
想像以上に自分を知る
多くの手掛かりを頂けた事は大収穫でした。

この悲しみが癒えて
整理がつくまで暫く休もうと思います。

2005年03月18日(金)



 
 田園都市線「青葉台」駅 散策

刹那を生きるに書いた友人のGさんと
会って来ました。

待ち合わせ場所は
いつも、お決まりの場所が多いのですが
ずっと行ってみたかった「青葉台」を
指定しましたので期待で一杯〜〜でした。

ドラマの撮影場所としても有名ですし
緑も多くセレブ感も仄かに感じられ
いわゆるアーバンライフに近い
お洒落な住環境が提供されているのですが
魅力は何と言っても駅との直結ですね。

ちょっと住んでみたい街です。

約束の時間、11時に
お互いが遅れる事なく会えたのは
時間にキッチリしているGさんならではで
とても嬉しかったです。

最近
時間にルーズな人に会う事が多く
出だしから長時間待たされて
スッキリせずに始まるのは
あまり心地良いものとは言えません。

遅れて来られても構わないのですが
決して歓迎出来るものではありませんので
時間通りというのは良いものです。

このGさん
おそらく私の友人の中で
意思の疎通が完璧に出来て
会話にブレがない人としては
唯一の人だと思います。

年に1度くらいのペースで会ったり
電話で話したりしているのですが
会った時は、多岐にわたる話題で
それはそれは面白くて楽しくて
時間も忘れてしまうほどなのです。

ですから
今回も楽しみだった筈の散策はせずに
19時まで話し続けてしまいました。(^^;

いつもの
宙との訳の分からない意味不明な会話から
すっかり解放されての言葉の遣り取りは
疲れを完全に取れて元気まで湧いて来ました。

友人の存在に
あまり重きを置いていなかった私ですが
鬱っ気が抜けて来て
気持ちに余裕が取り戻せ始めているのでしょう
回りに目を配り
心に目を向けられるようになって
世の中が色づいて見えるように
なったのかもしれませんね。

ありがたいな〜〜と
とっても感謝したくなるのです。

面倒な事は
宙の事で一杯一杯なので
とにかくサラリと生きて行きたい
それが最大の望みになりそうです。

2005年03月17日(木)



 
 潰瘍性大腸炎の友達Yちゃん

大腸全摘出の手術を受けたYちゃんと
やっと再会できました。(^^♪

初めて会った時
副腎皮質ホルモン剤の影響で
身体は骨と皮だけという状態なのに
顔だけは真ん丸のムーンフェイスで
お相撲さんの様にパンパンだったのが
印象的で可愛かった〜〜。(^^*

今日の再会はとっても楽しみで
どの程度、回復しているのかを
この目で確かめられますからね。

きらきらオーラを放ちながら
ぽぇさ〜んと満面の笑みで登場したYちゃん
薬を切ってから数年を経ているので
体型もスッキリ&ナイスバディー
おまけに
フェイスラインもシャープになっていて
超美形だったのにはビックリでした。

うわ〜(゚○゚)こんなに美人さんだったの〜。

まるで別人のように元気を取り戻せたのは
若さが後押しをしてくれたのでしょうね。

本当に安心しました。^^

私は美形というだけでは
心惹かれることはありませんが
Yちゃんは
時の流れが内面に厚みを持たせたのでしょう
ホンワリ豊かになっていて
押し付けの無い会話に成長を感じました。

あれだけの大手術を乗り越えて
今はとっても落ち着いて元気なのですが
術後は体調不良でノイローゼになってしまい
病院(精神科)に入院していたそうです。

こうして再会するまでの間に
6年くらいのブランクがありましたが
その間、お互いに鬱と戦っていたとは
皮肉な巡り合わせを感じてしまいます。

共に稀有な人生を歩む事となり
地獄を這うような苦しみを体験した者同士の
言葉を越えた関係は最高に癒されます。

病気そのもは
辛く苦しい体験ではありましたが
人間的に大きな人達との出会いは宝となり
困難を乗り越えた時の至福感を体験出来て
今となっては幸せだったと言えますね。

病気関係での友人は
このYちゃんだけですので
元気で長生きして欲しいです。

Yちゃん
とにかく生還したのですから
人生を楽しまないとね。

本日は
「メタセコイヤの木」という映画を鑑賞し
帰りがけに「全難連」支部に顔を出して
会長さんとお話をして来ました。

私とYちゃんから同時に出た言葉は
病気をした事で不幸という結果は
もたらされなっかたね・・・です。

2005年03月15日(火)
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