せきねしんいちの観劇&稽古日記
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台本に向かう日。いつもは、パソコンのとなりのテレビで、お気に入りのビデオを音を消して流しっぱなしにしているのだけれど、一昨日、ブロードウェイの100年を繰り返して見ているうちに巻き戻しに失敗し(デッキが)、テープがからまって取れなくなってしまった。無理矢理テープ本体は引っ張り出したのだけれど、けっこうな長さのテープが奥の奥におあるローラーにからまっている。カッターで切ろうとしても無理、ラジオペンチで引っ張っても無理。あきらめる。 郡司さんが編集してくれた「Wの悲劇」の「女優オンリー版」を流している。女優オンリーというか世良公則のくだりが全編なしというかんじ。さくさくとストレスなし(!)に見られるとても貴重なもの。「贋作・Wの悲劇」が思い出され、もっとああやればよかったと思うところがいっぱい。いつかまたやれたらいいなと思ったりする。 夜中は24時間ライブの通販の番組を、これもまた音を消して点けている。こんな時間に起きている人がこんなにたくさんいるということが、妙にうれしい。
この三連休の目標は台本を進めることだ。今抱えている3本にとにかく向き合う。 家にいるとつい家事に逃避してしまうのが、悪い癖だ。今日も、洗濯をまとめてしたのだけれど、新しい柔軟剤がいい匂いで、これはまた今度と思っていた分までかたづけてしまう。 とっても寒い日に、暖かな部屋にいるしあわせをしみじみ感じる。やることがあるというのは、なんてありがたいのだろうと思う。 夜、物干しに出たら、ものすごい星空が広がっていた。いつもは翌日まわしにするこの日記も、今日はさっさと書いてアップしてしまうことにする。
仕事に出かける。駅のホームに立つと、少し湿り気のある冷たい空気が気持ちいい。 帰りに、北千住の東急ハンズで買い物。カレンダーを探すがこれというものはなし。すっかり奥の方に移動した年賀状のコーナー。年始のご挨拶は、今年もメールで送らせてもらったのだけれど、いただいた賀状へのお返事用にカードを買う。 いきつけのコーヒーショップでコーヒーを飲んで帰ってくる。落ち着いたいい気分。台本のアイデアがいくつも浮かぶ。どうしようか?と悩んでいたことが、これしかないというふうに具体的にみえてきた。さっそく書き留めておく。
2006年01月05日(木) |
富士見丘小学校打ち合わせ |
篠原さんと二人で富士見丘小学校に打ち合わせにうかがう。 これからの授業の進め方と、台本の構成についての確認などなど。しっかりと具体的な打ち合わせをする。 2月24日の本番までの少ない授業時間で稽古をどう進めるか、子ども達に宿題として出すものは何か、大人がやっておくことは何か、それと、18日のオーディションについて。 これまでの学習発表会の舞台に向けてのオーディションの進め方など、とても参考になった。どうするとみんなが納得して、楽しく、舞台に立てるか、そのことを第一に考えたい。 あと何日というのが見えてくると、さすがに考えるすべてが現実的に見えてくる。舞台になる体育館をどう使うか。パイプ椅子を置くとどうのくらいの空間が残るか、計算もしてみた。 75人全員が出演することが決まったけれど、出番がない子供たちはどこにいるのか、などなど、これから考えることはまだまだいっぱいある。 ともあれ、おもしろいものになりそうなことは間違いがない。 75人の子ども達と多くの先生方と一緒に、イカした舞台をつくっていきたいと改めて思った。
夜、「ブロードウェイの100年」は、60年代から70年代の終わりまで。「ウエストサイドストーリー」「カンパニー」、「屋根の上のバイオリン弾き」「ヘアー」、そして「コーラスライン」「スウィーニートッド」。このあたりになると僕にはそろそろリアルタイムで知っている時代だ。 「コーラスライン」の冒頭のダンスシーンが映し出された。「贋作・Wの悲劇」で踊ったナンバーの本場ものだ。振りをうろおぼえのまま伝えてしまったところがいくつかあって、申し訳ない。それでも「これを踊ったんだな」ととても感慨深かった。本場のダンサーたちのへなへなっぷり(古くささだけじゃなく)に、ちょっとびっくり。今風なかっこよさという点では、もしかしたら僕たちの方がイカしてるかもしれない(ところどころね。手足が短い分、しまって見えるし)。それでも、ラストの「ワン」の勢揃いでは、ほろっとしてしまう。僕が演劇を始めたきっかけ。一年の始めに、うれしいものを見られた気分。
2006年01月04日(水) |
「ブロードウェイの100年」 |
NHKの夜中にやっている「ブロードウェイの100年」がおもしろい。前にも一度見たものだけれど、戦前からほぼ現在までのブロードウェイミュージカルの歴史と舞台裏が、「作り手の立場から」丁寧に語られている。 今日は「マイ・フェア・レディ」の初演まで。ジュリー・アンドリュースの舞台姿と歌声に圧倒される。 今のミュージカルのありようにたどりつくまで、ほんとに大勢の人が思いつく限りのアイデアをしぼりだして、おもしろい舞台を作り出そうとしていたという、そのことがよくわかる。 人種差別の問題をまっさきに取り上げていたのが舞台だということが、僕にはとても大きな事に思える。 白人が黒人に扮するミンストレル・ショーについて知ったのは、このシリーズがきっかけだ。「ポギーとベス」、それに「南太平洋」というミュージカルの意義についても、上演された背景を知って初めてわかったことが多い。 大衆によって支えられながらも、大衆に迎合はしない。不屈の魂が生み出したものだけが、名作となって残っていくのかもしれない。 「娯楽作品」として取り上げられがちなミュージカルだが、舞台にこめられた熱い思い、「娯楽」とは全く別なシリアスな側面がわかるとよりいっそうおもしろい。というか、おもしろさ中心にとらえていた自分の意識をちょっと反省する。知った上で楽しんでしまい、笑い飛ばす、そのことが大事なんだと。
残り物の鮭の切り身をほぐしてチャーハンにする。今日も遅い一日の始まり。 母親は叔母の家に出かけて留守。猫も遊びに行ってしまって、家には一人きりだ。 部屋で仕事をかたづけるが、どうにも区切りのない一日になってしまいそうなので、夕方無理矢理出かける。乗らなくてもいいバスに乗って、お正月気分を何となく楽しんでみる。 初詣という気分でもないので、ふらふらと本屋をのぞき、スーパーでパスタとソースを買って帰ってくる。 一人でペンネをゆでて夕食にする。残り物を片付けなければいけないのだけれど、今日は勘弁してもらう。 ドラマ「古畑任三郎」の初日は、かなり微妙。石坂浩二が出演ということで、往年の横溝シリーズへのオマージュのようなお話。たたりを恐れる村人たちのようすがまるっきりありえなく思えて、その時点でお話が信じられなくなってしまう。藤原竜也は、微妙すぎる役どころを、ぎりぎり成立させている。立石涼子の存在感がダントツですばらしい。 録画しておいた「土方歳三最期の一日」を見る。なつかしい顔ぶれに会ったような気分。榎本役の片岡愛之助が、こんな人いたんだという新鮮さ。山本耕史との二人の場面が、おもしろかった。史実として「負けた」人たちを描くのは、むずかしいことだろうと思う。史実とは関係ない、ほんとにあったとは到底思えない場面が活き活きとしているのは、当然かもしれない。
目が覚めたら、階下から人の声が。寝過ごしてしまった。ばたばたと降りて、弟一家に挨拶。 11人分の仕度の手伝いをする。弟の奥さんと台所に立つ母親が、どこかうきうきしている。 2時過ぎに勢揃いして新年会。毎年囲むちゃぶ台が狭く感じるのは、甥っ子姪っ子たちが大きくなったせいだねと言い合う。ついでに言うと、少し大人になった彼らは毎年恒例だった泣きながらのケンカをすることもなく、大人はのんきに飲み、食べることができた。 災難だったのはうちの猫だったかもしれない。妹夫婦の家の犬(トイプードル)と仔猫(雑種)が来たせいで居場所がなくなった。 特に仔猫は、野良だったのを拾われてきた強者で、怖いモノ知らず、何にでも向かってくる。何でも食べる。パンも食べるらしい。どんな猫だ。 大人の猫として、がつんとかましてやってと、しつけを頼まれたうちの猫だが、めんどくさくなったようで、外に出せと訴える。小雪まじりの外に出すのは切ないのだけれど、まあ仕方ない。行ってらっしゃいと送り出した。 おせち料理、今年はずいぶん少なくしたつもりのはずが、それでもなかなか減っていかない。メインの手巻き寿司が一回りしたあとは、すぐ甘いモノに手が伸びて、一回戦終了。 僕と母親を残して、みんなで近くのホームセンターに福袋を買いに出かけていった。毎年恒例の風景。 夜は、おにぎりと鶏の唐揚げとモツ煮込みで二回戦。のんきにテレビをみながら団らん。電車で来た弟たちの終電に合わせてお開き。 毎年いっぱいになる台所の洗い物が、今年はその都度片付けていたせいで、すっきり。それでも冷蔵庫の中は、残り物でいっぱい。これからしばらくはおせちの残りをおかずにする。これも毎年のことだ。 何かくれとねだる猫に、特別な日だけのモンプチを開けてやる。夜中、猫は、僕の枕もとで寝ていた。ゆすっても起きない、見事な爆睡っぷり。
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