せきねしんいちの観劇&稽古日記
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仕事先のPCで、検索をして、パソコンの修理について調べる。「マック、液晶、真っ暗」で検索したら、トップに出てきたところが、いいかんじ。 早速電話して話してみる。症状を説明したところ、持っていけばいいとのこと。それでも、今日は一日中、仕事で間に合わない。また明日。
仕事に出かける。 夜、パソコンが故障。とりあえず寝てしまう。 いつもは点けっぱなしのパソコンがないと、とても静か。 明日、高市氏に連絡して、マックの修理やさんを教えてもらおうと思う。
ブックオフで買い物。現代の日本の劇作家のもの。数年前に発行されたハードカバーが100円になっていた。それと劇書房の翻訳戯曲。これも100円。どちらもどうしようかな?と前から思っていたものだったので、迷わず購入。 日本ものを読もうと開いたら、アンケートハガキが入っていた。それも記入された状態で。この本を買ったのは、24歳のフリーターの彼で、購入場所は新宿の青山ブックセンター。要望等のところには「戯曲をもっと出してほしい」とあった。ここまで書いてそのままになっているのは、50円切手を貼らなきゃいけないことにあとで気がついたからかもしれないと想像する。 僕は、古い本に蔵書印があったりするのが、とても好きだ。昔、本は財産で、必ず誰かのものだったのだ。戦前のハンコやサインを見ると、買った人の思いが、僕までつづいているようなそんな気がしてくる。 手元にある、大事な本にも蔵書印とサインがある。戦前に発行された岩波文庫、泉鏡花の「注文帳 白鷺」という本だ。全集にしか入っていない、この「白鷺」という小説が僕はとても好きで、古本やで見つけたときには、大喜びでゲットした。奥扉に蔵書印。「注文帳」「白鷺」それぞれの最後のページに赤鉛筆で日付のサインがしてある。「注文帳」は「30.august.1939」、「白鷺」は「31.august.1939」。1939年、昭和14年の8月の終わりに、この人は、この本を読んで、このサインを書いたんだと、それまでなんだか曖昧だった戦前が一気に身近に思えるようになった。 この年の9月に鏡花は亡くなっている。この夏の終わりの2日、というか、その人が「白鷺」を読んだ昭和14年8月31日は、何年か前の日記に記された一日のように感じられる。このサインのおかげで。 はさまっていた愛読者カードは、お礼の意味をこめて、50円切手を貼って投函しておいた。
昨日の授業記録をメールで先生方に送る。 夜、4月の「ミッシング・ハーフ」の制作のやりとりを昨日に続いて良ちゃんと。絶対王様のしいたけをさんと電話で話す。 たんたんたんといろんなことを積み重ねた気分の一日。 夜遅く、猫と一緒に今日も入浴。というか、あれいないなと思った猫が、風呂場で寝ていて、ちょっと入るよとおじゃましたかんじ。のんびりと猫見風呂。 風呂上がり、日記をまとめてアップする。
2006年02月01日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
富士見丘小学校の授業。先週につづいて、3チームに別れての練習。 今日は、靴をぬいであがる部屋が割り当てられて、一度集合してゲームをしたあと、渡り廊下を通って、校舎のはじの部屋に移動。 今日は、中学校の受験のためお休みが多い。僕のところは3人。代役をやってもらって、今日はまず読み合わせ。 前回、「セリフってどうやっておぼえたらいいんですか?」と質問した男の子が、とてもがんばっていた。彼の頑張り方が、ほかのみんなをひっぱっていたと思う。 一度読んだ後、声を出す練習をしてみる。これまでの授業では、「大きな声を出そう」という練習は一度もしてない。でも、今年は体育館でマイクを使わない、しかも観客に取り囲まれたセンターステージでの発表。 ただ「大きな声を出そう」というのでない、指導のしかたはないだろうかと、先週の授業のあと、先生方と話した。今日は、僕なりの声についての授業をちょっとだけ。 小さな声もとてもステキだから、小さな声の自分はだめな自分だから、大きな声を出せるようにしなくちゃいけないというのではなく、小さな声の自分も大事にとっておいて、大きな声も出せるようになってみようと話す。 テレビのボリュームを上げるように。テレビの中の人は同じことしてるだけだけどねと。 大きな声は怒鳴り声じゃなくて、カラダに響いている声なんだよと話し、声帯と共鳴の話、それから、ハミングから「ma」の発声まで、鼻や背中や胸が声で震えているのを確かめてもらいながら、進めていった。15分ほど。 これは、フライングステージの稽古でいつもやっていたこととほぼ変わらない。大事なのは、意識することだ。子ども達にも、普段、みんなが普通に出来ていることを、確認しているだけですと話す。 その後の二回目の読み合わせは、一度目よりものびのびとできたと思う。 渡り廊下を一緒に授業をした扉座の鈴木里沙さんと話しながら歩いて、全員集合。子ども達のダメの通りのよさはすごいと話し合った。 今日も他のチームのようすを聞いて、わくわくする。75人でできることと20人でできることは全然違う。その違いとおもしろさが新しく生まれているんだと思う。子ども達もそのことを楽しんでくれているといいなと思った。
風邪でどうにもつらいので、仕事休んで一日家にいる。 外も荒れ模様の天気。 夜から出かける予定だった蓮子くんのヒレンカンの舞台も、初日おめでとうのメールを送ってごめんなさいしてしまう。 食欲もなく、ただ喉が痛いので、お茶ばかり飲んでいる。 風邪を引いて、横になりながら、折り紙したりするのは、あまりにも病弱な少年風で、妙におかしくなりやめることにした。
風邪はどんどん本調子になり、喉が痛い。去年のように腫れないでくれることを祈る。どんよりした気分のまま仕事から帰ってくる。 100円ショップで買った折り紙を持ち歩いている。昨日、なんとなく買ったものだ。 この間の富士見丘の授業で、休み時間、折り紙の鶴を見せてもらった。折り鶴じゃなくて、羽がぱたぱた動くヤツ。「折り紙できる?」と聞かれたので、「できるできる、子供の頃は得意だったんだよ」と話した。 小学生の僕は、ほんとに折り紙大好きな子だった。いろんな本を見ては、すごく細かいものをつくっていた。小さなユニットを組み合わせて、くす玉のようなものを作ったり。教頭先生が、ほめてくれて、プレゼントしたこともあった。あれは、先生が転任する時だったろうか。と、「折り紙」というキーワード(?)から、小学生の頃の思い出が、わらわらと蘇ってきた。すっかり忘れていたことばかりだからまさに「蘇った」かんじだ。 買ってきた折り紙は、とても小ぶりなもの。電車の中で、ちょっと出して、ちまちま折ってみた。折り紙の小ささのせいだけでなく、こんなはずでは!というくらい、指先が思うように動かない。紙を折っていくだけの作業なのに、微妙な感覚が蘇ってこない。ちょっと哀しくなったので、家に帰って、本腰を入れて、再挑戦。 一番悔しいのは、あんなにいろいろ知っていた折り方をすっかり忘れてしまっていることだ。くやしまぎれに、ネットで折り紙の本、それも昔、よく見ていた作家のものを注文する。 ユニットをくみ上げるものをなんとか作ろうと試みるが、うまくいかない。形はできるのだが、どうも無駄な手順を踏んでいるようで、仕上がりがきりっとしないのだ。 ネットで検索したら、すぐに出てきた。当時は知らなかったそのユニット折り紙は、「薗部式ユニット」というそうだ。「昭和の古典」とも呼ばれているらしい(折り紙業界では)。たどりついたサイトには、ていねいな折り図も掲載されていて、そうだ、こうやるんだったと、思い当たり、その後は、きりっとしたユニットを折ることができた。同じものを30個つくって、くみ上げた。完成したのは、懐かしい形だった。三十年ぶりの再会だ。 富士見丘での一言が、思いがけなく、すっかり忘れていた小学生の僕を思い出させてくれた。なんとなく思うことと、こうして、何かをつくることで蘇るものは、その実感のしかたがなんて違うのだろう。 指先を動かすのはいい刺激になるということなので(ボケ予防か?)、しばらく、折り紙をマイブームにしてみようかと思う。 注文した本が届くのが楽しみだ。
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