せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年02月12日(日) パソコン引き取り

 夕方、秋葉原へパソコンを引き取りに行く。壊れていたのは液晶とバックライトだけで、インバーターは無事とのこと。出費が少なくすんでほっとする。
 御茶ノ水まで歩いて、駅前のリンガーハットで夕飯。最近できたこの店に僕は時々寄っている。野菜がたくさんとれるちゃんぽんがぼくはけっこう好きだ。苦手なネギ類がいっさい入っていない麺類というのもありがたい。
 帰り、復活したパソコンで、メールを大量に受信して、わたわたと返事を送る。
 ホームページの更新はもうしばらくたたないと手が付けられない。
 夜、森川くんと電話で話す。芝居のことなどあれこれ。
 4月の公演のDM発送用のリストの整理にとりかかるが、途中で挫折。眠ってしまう。


2006年02月11日(土) 「アクト・ア・レディ 〜アメリカ中西部ドラッグショー〜」

 にしすがも創造舎特設劇場 。地下鉄に乗るよりはと巣鴨の駅から歩いてみたら、けっこうな距離だった。右手に時折見える染井霊園の木立。傾斜の向うにあるようで、丘の上を歩いているようないい気分。
 元学校の校庭を通って、体育館に作られた劇場へ。きっちり作り込まれた客席がとてもりっぱ。体育館もこんなふうにすると劇場っぽくなるんだと感心する。
 「アクト・ア・レディ」は、1920年代の架空のアメリカ中西部の街が舞台。とってもカウボーイばっかりな、とっても旧弊な街で、三人の男が女装して芝居をしようとするお話。
 男が女を演じるということについての葛藤や、途中で劇中の人物と自分とが混乱していったりと、複雑なとてもデリケートな芝居。
 ウィッグやドレスやメークがとても大きな意味を持つなか、リーディングということですべては観客の想像力に任される。
 演出は、冒頭から「マイアヒー」を流したり、最後に踊ったりと、現代につなげる試みをしていたが、それよりも、劇中劇で演じられる女性たちの言葉のもつ意味(演じている男達にとっての)と、「演じる」ということへの彼らの自意識のありようをていねいに積み重ねるべきではなかったかと思う。(そのまえに、もっとあたりまえにきちんとリーディングできるようになってほしいとも思う。)
 非常な早口で、何を言っているのかわからないセリフが、時に、日本のアングラ風(歌舞伎的なものも含めて)な言い回しで語られるのも、演じている劇中の彼らの内面をべたっと塗りつぶしてしまってもったいない。
 演出で試みている「おかしみ」は、戯曲に描かれた自然発生的なドラァグショーのおもしろさとは全然ちがうものになっていて、どうしてこれがわからないの!!?ととてもはがゆかった。大げさな古くさい言い回しと、苦し紛れに生まれた、べたな表現のもつおもしろさが、戯曲にはきちんと書かれているのに(馬に蹴られた女性の額には、赤いひづめの跡がついている!)。無骨な男たちが、芝居を通じてゆれうごき、変わっていく様子をもっとちゃんと見てみたかった。
 衣装とメークをつけて、きっちり演じたら、なかなか面白い芝居ができあがるはずのいい戯曲。ただ、そのときはぜひ別の演出で見てみたいと思う。
 終演後、微妙にブルーな気分のまま、いつもの池袋〜西新井のバスに乗って帰ってくる。さくさくと。


2006年02月10日(金) 古い資料

 今日も遅くまで仕事。今朝から読み始めた資料の文庫本に、フライングステージの昔の公演案内のDMの文面がはさまっていた。第7回公演、初めて池袋演劇祭に参加した芝居。
 その頃、僕は翌年上演した「美女と野獣」のもとになる話をずっと考えていて、戦前の映画関係の本をいっぱい読んでいた。
 別の芝居に昇華してしまって、すっかり忘れていたのだけれど、今回の「ミッシング・ハーフ」は、そのとき読んであれこれ考えたことを、もう一度、そのままの形で書いてみることになったのだと今さらながら、気がつく。
 ただ、そのままではなくて、一昨年やった「贋作・毛皮のマリー」の女形俳優が、サイレントからトーキーへ映画が移行するなか、声のために映画界を追われるというお話も今度の「ミッシング・ハーフ」には入っている。
 ただ、「女の声」と「クローズアップ」のために、女のカラダを手に入れようとするというのは、新たな設定だ。
 資料を読んでいると、日本にも、そんな苦労をした人が、きっといたんじゃないかと思えてくる。その人が見た映画は? 読んだ新聞には何が書いてあったんだろう? そんなことを知っておきたくて、資料を読んでいる。


2006年02月09日(木) 扉座サテライト「LoveLoveLove9」

 扉座の研究所の卒業公演「ラブ・ラブ・ラブ」を見に、六行会ホールへ。
 駅前でアップ&道案内をしている研究生と田中さんに会う。熱いなあとちょっとドキドキする。
 ロビーで横内さん、茅野さん、里沙ちゃんにごあいさつ。席に着いたら、茅野さんのとなり。こんなふうに並んで芝居見るのは何年ぶりだろう。一昨日部屋で資料を探していたら、扉座が善人会議の時代に初めて紀伊國屋で上演した「夜曲」の当日パンフが出てきた。みなさん当たり前だけど、とても若くて、あれからもう二十年が経つのかと感慨深い。
 芝居は、研究生が考えて作り上げた台本を、田中さんや横内さんが手を加え、演出したもの。劇団研究所の公演としては、ここまでやるかというくらい、気合いがはいっていてすばらしい。
 「ロミオとジュリエット」をベースにしたオムニバスに、「実話シリーズ」という、ほほえましいとてもリアルな日常のお話がミックスされ、ウェストサイドストーリーやレントのナンバーもあり、コンドルズっぽいダンスもあり、ほんとに盛りだくさん。堪能し、感動する。
 帰りは、いい芝居を見た後のいつもで、なかなか帰りたくない気分。地下鉄をなんども乗り換えて、ゆるゆると帰ってくる。


2006年02月08日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 今日も3チームに別れての授業。前回の約束どおり、今日から立ち稽古だ。
 先週につづいてふじみルームという、カーペット敷きのフリースペースになっている教室で。
 声を出すということについての練習を少しやってから、台本に。声を出すことにだんだん慣れていってくれたらいいと思う。
 冒頭の場面から始める。体育館の使い方の説明をして、歩きながらやってもらうが、ただ立って読んでいるだけになってしまう。最初に登場する4人の子ども達が小さく固まってしまう。それでも、しばらくやっているうちにだんだん「いかた」がわかってきたようで、いいかんじの距離感でいられるようになった。
 読み合わせの段階で言ってきた、誰に話しているかということが、立ち稽古になると、とても大事になってくる。まだ、そのあたりが微妙なかんじのまま、とにかく進んでいく。
 後半の登場人物、氷役のヒデキくん。この街を支配している人物だ。つい近くに寄って話してしまうので、「偉い人は遠くからでも命令できる」と話す。そのためにはどんな声が必要か考えてごらんと。
 はじめはほんの1mほどだった距離を、教室のはしとはしに別れてやりとりしてもらう。その声がエイっと出たところで、今日はおしまい。
 あと本番まで16日。その言葉に彼らよりも、僕の方がどぎまぎしてしまう。
 来週の授業までにセリフを覚えてきてほしいと話す。この一週間が一番大変だけど、がんばってほしいと。
 劇中歌の楽譜をいただく。こどもたちが書いた詞にこどもたちが曲をつけたもの。なかなかむずかしい、でもとてもいい曲だ。家で練習して、一緒に歌えるようにしておこうと楽譜を読む。


2006年02月07日(火) 秋葉原

 夕方、仕事を切り上げて、秋葉原に向かう。パソコンを持って。
 久しぶりに降りた秋葉原界隈。あまりの変わり方に唖然とする。ここはどこ?とほんとに思ってしまう。つくばエクスプレスの乗り換えで降りたことが一度あるけど、そのときは乗り換えだけだったので、こうまで違う街になってるとは思わなかった。
 高校生の頃、コードや電球を探したり、石丸電気でレコードを探したりした街の面影が全くない。すっごいビルが建って、こんなスペースどこに隠してたのかというかんじの広場があったりする。ほんとうにしばらく立ちつくしてしまう。
 しばらく歩いたら、昔ながらの雑踏に出くわし、ようやくほっとする。
 修理やさんは、御茶ノ水方向にしばらく歩いた雑居ビルの3F。マック専門のところらしく、古いマックやいろんなパーツが積み上げられている。
 見てもらったところ、バックライトが切れてるらしいということがわかる。去年、横浜の中華街で落っことして以来、横に一本黒いスジが入るようになってしまっていた液晶もついでに取り替えてもらうことにする。
 仕上がりは、日曜の夜。もうしばらくパソコンなしの日が続く。


2006年02月06日(月) 傘×2

 午後から雪または雨の予報の曇り空。カサを持って出かけて、まんまと途中の電車に置き忘れる。ついこの間買ったばかりの新顔。
 パソコンがないので、資料やら何やら本ばかり読んでいる。読書に夢中であわてて降りて、置き忘れるという、久しぶりのパターンだ(いつもは、普通にただぼーっとしているせい)。
 仕事先の置き傘はキーをなくしてしまって取り出せないことが判明しているので、折り畳みの傘を買う。前から気になっていた、畳むととっても薄っぺらくなるタイプ。これから春先まではなくさないだろうと淡い黄緑色にした。
 天気の悪いなかパソコンを持ち歩くのは不安だったので、今日も修理屋は行かず、遅くまで仕事。絶対王様の稽古が始まる15日まで、片付けられることをしておくかんじ。
 雨も雪も結局降らず、新しい傘はなんとなく無駄な買い物になってしまった。


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