せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年03月26日(日) 「ミッシング・ハーフ」稽古

 稽古3日目。阿佐ヶ谷にて。
 森川くんが登場する場面を中心に。
 冒頭の大門さんと僕の場面は、芝居が「大きく」なっている。上演するサンモールスタジオの寸法よりは、やや大きめの芝居。
 昨日の帰りの電車で、森川くんとそのへんのことを話したのだけれど、彼と僕のやりとりは、もう少し、寸法をおさえていきたいと思う。その方が、それぞれの良さが光ってくるだろうから。
 いろんな謎を秘めたまま、最後の最期に「実はこういう人だった」というのがわかる芝居ではなく、今回は、初めのうちに全部、お客さんに手の内を明かして、こんな人たちですよというのが、わかった上で、物語が動いていく構造になっている。
 なので、今日の森川君とのやりとりも説明しなくてはいけないことがいっぱい。読み合わせをして、すぐに立ち稽古になったのだけれど、初めのうちは、芝居の寸法の変化と、それぞれの人物の説明だけでなく、気持ちまでも説明しようとしてしまって、なかなかうまくいかない。
 繰り返すうちに、結局は相手からもらって、それを返していけばいいんだということに気がつき、身体がそのように動いていくようになり、だんだん場面ができあがっていった。
 森川くんの役もまた特殊な役だ。アンビバレントな感情をいっぱい抱えたまま、上海に来ている。
 それでも、めちゃくちゃといってもいいくらい特殊な僕と大門さんの役にくらべれば、ややナチュラル。このバランスがなかなかむずかしいところ。
 帰りは、お花見日よりのあたたかな夜。一本先の電車に乗ってしまった大門さんと竜太郎さんと僕。新宿で2人を見送って、一本後に乗っていた、クニオさん、森川くん、佐久間さんと合流。今日もおしゃべりしながらの総武線。


2006年03月25日(土) 「ミッシング・ハーフ」稽古

 稽古2日目。阿佐ヶ谷にて。
 冒頭の場面を読み合わせ、そして、立ち稽古。
 大門さんと僕の2人の場面。芝居のはじめの、言ってみれば筋売りの部分。
 ここがどこで、いつなのか、私たちはだれなのか、2人はどんな関係なのかを、芝居の初めにお客さんにわかってもらうため説明的なセリフが続く場面。
 最初の読み合わせから、あれ、こんなふうに書いたんだっけ?と思うくらい、おもしろくて、わくわくしてくる。
 説明になってしまうセリフの背景に流れる気持ちのやりとりが、短い場面のなか積み重なっていくおもしろさ。
 稽古場の温度がふわっと上がった、そんなかんじ。
 大門伍朗という役者さんの力とあったかさが、この場面をふしぎなところまでひきあげてくれている。僕は、何の心配もなく、やらなければいけないことだけを、その場で、感じて、動いていくことができた。
 言葉じゃない気持ちの積み重ねが見えてきて、その気持ちをぶつけあうやりとりが見える場面になった。
 びっくりしながら、今日の稽古が終わった。なんともいえない、いい気持ちだ。芝居ってなんておもしろいんだろう。
 帰りの電車、方向が同じ、森川くん、佐久間さんと、芝居の話でもりあがる。
 こういう稽古を毎日積み重ねていきたいと思う。


2006年03月24日(金) 富士見丘小学校卒業式 「ミッシング・ハーフ」顔合わせ

 台本にむかって、結局、朝まで起きてしまい、そのまま富士見丘小学校の卒業式へ。
 控え室になっている特活室室へむかう6年生が階段を降りてくるところに出くわす。みんなブレザーでドレスアップ。髪型もずいぶん変わっている子がいて、一瞬、誰だかわからないほどの、あらたまりかただ。
 劇作家協会からは、青井さんと篠原さんと僕が出席させていただいた。控え室から並んで体育館に入場。これもまたドキドキする。
 来賓席に着くと、5年生の合奏に合わせて、6年生が入場する。一人一人しっかり間をあけて。その姿を見ているだけで、なんだか胸がいっぱいになる。早くも涙。
 自分が歩いたときには気がつかなかったのに、卒業公演で使った「花道」のカーペットがきちんと敷かれていることに気がついた。後で聞いたところ、副校長先生が是非ということで敷いてくださったそうだ。この間は高木先生を見送った花道を通って今日は彼らが卒業していく。すてきな演出だ。
 その後の卒業証書授与では、畑先生が弾くピアノ曲の中に「大切な友情」があって、このへんから僕はハンカチで涙を拭っていた。一人一人のこの一年の様子、「放課後の卒業式」でのこと、休み時間に話したことのあれやこれやが、思い起こされる。
 校長先生のお話は、今日も漢字を紙に書いて。今日は、「友」と「汗」。みんなで手をあげて宙に字を書いた。
 「友」と「汗」、両方についてお話された中で、どちらでも演劇授業と卒業公演について触れてくださっていた。
 なかでも、演劇授業で学んだこととして、コミュニケーションの大切さに触れられて、「お芝居は、人と人との間にあるということを学びましたね」と言ってくださったのには、感動した。
 演劇授業が、演劇という枠を超えて、もっと普遍的なものとして、先生方、そして子ども達に、とどいていたのだなと、ほんとうにありがたく、嬉しい気持ちになった。
 6年生がひな壇に並んで、全員であいさつを述べたなかにも、演劇授業が取り上げられて、「華道(さくらみち)」をみんなで歌ってくれた。ありがとう。
 式が終わって、控え室で一休みしたあと、校庭で5年生が作るアーチを通っていく6年生を見送り、そして、挨拶。保護者の皆さんにも。ご挨拶、そして、記念撮影。サイン帳に慣れないサインをしたり。
 今年もまたとてもいい卒業式に参加させていただいて感謝だ。彼らが、これから中学生になり高校生になり、大人になっていくなかで、今年一年の演劇授業のことを思いだしてくれたらいいなと思う。
 来賓として紹介されたときの一言の挨拶、僕は「卒業おめでとうございます。楽しい一年をどうもありがとう。これからも元気で」と彼らに言った。ほんとにありがとう。楽しい一年だったよ。

 夜、阿佐ヶ谷で「ミッシング・ハーフ」の顔合わせ。高円寺に寄って、台本の印刷をして、まみぃと一緒に稽古場へ。
 大門伍朗さん、森川くん、そして制作の樺澤氏、竜太郎さん、佐久間さん、中川さん、それに記録のドキュメンタリーを撮影してくれているクニオさん、フライングステージからはノグとマミィが参加。
 挨拶のあと、今回の芝居についての説明を僕から。全体の構造とそれぞれの役柄について。
 大門さんにお願いすることになる3人のとっても特殊な人物についての説明。それから、当時の上海と時代背景についてのあれやこれや。
 スケジュールの確認をして、今日はお開き。
 その後、駅近くで稽古初日乾杯。芝居の話ばかりをぞんぶんに。
 さあ、いよいよ始まった。これからの稽古も、できるかぎり、この日記で紹介していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。


2006年03月23日(木) 「上海リル」

 劇中で使う音楽のことを考えている。何もなしというのは、特殊な緊張感を観客に強いてしまうような気がして、一曲だけ(今のところ)、ほんの少しだけ、音楽を使おうと思っている。
 曲は、「上海リル」。「上海帰りのリル」じゃなくて。
 ずっと昔、芝居を始めた頃に親しかった、GHQリズムシスターズというグループが、この曲や、「桑港のチャイナタウン」「支那の夜」「夢淡き東京」や「河童ブギウギ」なんかを、すっきりとしたアレンジで歌っていた。
 その頃から、この曲の持っているエキゾチックな雰囲気が大好きだった。
 もともとは映画音楽だったこの曲を、1940年の上海のムードを出すために使いたい。音源は、これから探そうと思う。
 「ミッシング・ハーフ」の主人公、川野万里江が、実は「上海リル」本人という話も考えたのだけれど、さすがにそれは嘘が破綻してしまいそうで、却下。
 何種類もある歌詞の中で、僕が好きなのはこんな詞だ。うろおぼえなので実は大間違いかもしれない。実際に使うのは、歌詞のないバンドが演奏しているものの予定です。

  霧は海に落ちて 街に夜が来れば
  赤い口 あだな姿 歌うは上海リル
  恋の街よ上海 流れ来るメロディ
  高らかに口ずさめば 遠くへ響く
  街の女王 洒落たリル 踊るよ
  輝ける芥子の花の 粋なリル
  懐かしき面影 素晴らしきはリル
  つぶらな黒い瞳 うるわし上海リル


2006年03月22日(水) 絶対に起こらなかったこと

 台本のための資料を読んでいる。新しく読みたい本が見つかって、ネットで注文する。1940年の上海のことが、もっともっと知りたい。
 台本を書きながら、そして、この芝居のことを考えるたびに、三島由紀夫の「鹿鳴館」の作者による外題のことを思い出す。
 「明治十九年十一月三日の鹿鳴館における天長節夜会には、ここに見られるような事件は絶対に起こらなかった。但し、歴史の欠点は、起こったことは書いてあるが、起こらなかったことは書いてないことである。そこにもろもろの小説家、劇作家、詩人など、インチキな手合のつけこむスキがあるのだ」
 「ミッシング・ハーフ」で描かれる1940年の上海での出来事、そして、サイレントの女形俳優、川野万里江の存在、その全てが「絶対に起こらなかった」ことばかりだ。
 でも、書いていて、こんなに親身に感じる登場人物もいない。絶対にいなかった架空の人物を描いているのに、絶対にいたとしか思えなくなってくるような不思議な感覚。
 彼女の人生は、すっかり目の前にあって、あとは、どう舞台化していくかということだけが問題の、誰かの「評伝劇」を書いている、そんな気分だ。
 彼女がどんなにめちゃくちゃで、そして、大胆に自分の生きる道を選んでいったか。
 過酷な彼女の人生のレールをひきながら、それでも、なんとか幸せになってほしい、しあわせでいてほしかったと願っている。そんな不思議な感情も、今の僕のなかにある。


2006年03月21日(火) お彼岸

 朝方まで起きてしまい、目が覚めたのは10時過ぎ。母親と妹一家が出かける墓参りには、一緒にいかないことにして、家にいることに。
 そのかわりに、近くの花屋で仏壇に供える花を買ってくる。ついでに玄関用も。安売りだったスプレーカーネーションと麦の花束に、こでまりを1本。
 台所で花を活けている時間が好きだ。華道をやったことはないのだけれど、花ばさみを手に、アバウトに仕上げる。
 水に手をつけているのと落ち着く、あのかんじに似ているなと思う。
 天気がいいので、毛布を洗う。昼に干して夕方には、きれいに乾いた。いい天気の一日。
 やけにもさもさしてきた気がする猫にブラシをかける。ものすごい量の冬毛がとれた。もう春だ。
 母親は夕方になって帰宅。墓参りのあと、三郷のゲームセンターに寄ったんだそう。こどもたちと一緒に過ごす休日だ。
 夜中、NHKの「英語でしゃべらないと」で、釈由美子がオーストラリアの演劇学校に体験入学していた。いくつものエクササイズがとても新鮮。声に関してのもの、「母音に色をつける」というのもおもしろい。
 HPを更新する。

 「ミッシング・ハーフ」の予約は、劇団制作社のサイトからのWEB予約のほかに、フライングステージでも受け付けています。
 劇団のアドレス stage@flyingstage.com まで、どうぞ。
 僕がお返事をさしあげています。
 チケット代は、当日窓口精算で承ります。
 ご予約をお待ちしています!


2006年03月20日(月) ひとだんらく

 昨日の夜中のうちに洗って部屋干ししていた洗濯物を外に。部屋の窓も、思い切り開けて、風を中にいれる。
 年度末の仕事も今日で一区切り。送るものは送り、引き継ぐものは引継いで一段落。
 帰り、木村佐都美さんの仕事先に寄ってお買い物。元気な顔を見てほっとする。
 ビデオを見て、DVDを見て、本を読んで、メモをとる。台本に向かう。ほっとする時間。


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