せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年05月21日(日) ラ・カンパニー・アン ワークショップ 「やわらかい服を着て」

 ラ・カンパニー・アンのワークショップの最終日の発表会におじゃまする。
 会場は、「ミッシング・ハーフ」の稽古でお世話になった歌舞伎町のミラクル。「罠の狼」の上演会場だ。
 共演している津崎くん、それに古いつきあいの三枝嬢、マイズナーのWSで一緒だったまどかちゃん、まりえちゃんが参加してる。
 小峰公子さんの唄にあわせてのジェストダンスとリーディング。一つの型にはめるのではなく、その人一人一人の自分らしさと、舞台に今立っていることの喜び、そして、観客を前にしていることを感じながらのパフォーマンス。
 アンでいつも見ているジェストダンスとはテイストの違う動きを見たり、ああ、これは同じ方向だわと思うものを見たりしながら、いろいろなことを考える。
 ダンスにおける「動き」には2種類あるんじゃないだろうか? 動きそのものが表現になっていて、力自体も、その動きと一緒に発散されていくもの。もう一つは、どんなに動いても、力はそこから流れ出していかないで、逆にうちにうちに積もっていくようなもの。
 緊張している俳優の足の指が動いてしまうのは、どこか、緊張を逃がそうとしているものだと思う。
 それと同じように、自分の内にある力や思いを外にどんどん逃がしていくことが表現になるダンスと、どんなに激しく動いても、思いは逃げていかないで、動けば動くほど、どんどん積み重なっていくものがあるんじゃないだろうか。
 今までこんなことを考えたことはなかったのだけれど、今日の発表を見て思ったのはそんなことだ。
 西洋のダンス(バレエなどの跳躍系)とアジアの地面を踏みしめていく踊りの違いだろうか? 
 アンのジェストダンスは、日舞に似ていると思っていたけれど、今日、あらためて思ったのは、これがアジアの踊りのまぎれもない直系なんだということだ。
 
 三枝嬢と少し話してから、新国立劇場へ。
 永井愛さんの新作「やわらかい服をきて」のゲネプロを拝見する。
 2003年のイラク戦争開戦前夜から今年の3月までの3年間。「ピースウィンカー」というNGOに集う若者たちの群像劇。
 一流商社マンから、どんどん自分が「難民」になっていくリーダーを演じるのは吉田栄作。そのまっすぐさと不器用さが実に似合っていてとてもよかった。
 土木作業員になってニッカポッカで登場したり、事務所として借りている倉庫の屋外の洗濯場の流し台でカラダを洗って(!)、バスタオル一枚で出てきたり、その「落ちぶれ感」が、とてもチャーミングだ。
 劇中では、他のメンバーに「もうちょっとなんとかして」とけむたがられるのだけれど、彼が持っている「落ちてもやっぱり光ってるかんじ」にとても救われる気がした。
 往年のトレンディドラマのスターである吉田栄作が、戦争反対のNGOのリーダーを、かっこ悪く演じるというのは、とてもおもしろいしかけと企みだ。企画が新国立劇場というのもすばらしい。
 本来無名であるボランティアを演じるにあたって、他の俳優だったら、意識して、いい人を演じようとか、向上していこうとか、上向きのベクトルをイメージするんじゃないかと思うのだけれど、吉田栄作が演じているこの役の持っているベクトルは、志の高さとは逆に、思い切り下に向いている。
 これは作者の永井さんの企みであると同時にこの役を吉田栄作がやるにあたってもれなくついてくる、今の彼のありようじゃないかと思う。
 この、まずは「下に向いている」状況が、ただのいい人としてはおさまらない陰影をこの人物に与えていると思う。逆に言えば、いい人が持っている臭みや嫌味からも免れてる。その上で、めざすよりよい生き方、彼の理想は、だからこそ余計にせつなくみえてくる。
 これが初舞台の吉田栄作は、そんなわけで、僕にはとっても魅力的だった。
 芝居としては、劇中で流れる、リアルタイムで知っている3年という時間が、僕にはとても重かった。僕はあの日、何をしていたんだろう。そして、今、僕はどうしているんだろうと。
 劇中で吉田栄作の恋人役の月影瞳が持っているバッグが、エルメスのバーキンだった。
 どのくらいの一流商社なんだろうというのが、彼女のこのバッグのおかげで(彼女も同じ会社に勤めている)とてもよくわかる。吉田栄作がどんなに「落ちぶれたのか」ということも。
 終演後、開演前に会った根岸さんと一緒に、永井さんにごあいさつ。加藤記生ちゃんに声をかけられて、「ムーンリバー」の話をちょっとする。
 帰り、根岸さんから、このあいだの関西の非戦リーディングの話を聞いて、これまたばったり会った宇田くんと新宿まで歩く。


2006年05月20日(土) 押し入れ

 パソコンは、一度、起動して「残り5分」だったのが、ネットにつなげているうちに、ついにダウンしてしまった。ああ……。
 今日は一日、仕事の日。稽古はなし。
 電源アダプタを買ってこなくてはいけないのだけれど、時間がとれない。
 あきらめて、パソコンなしの日ということにする。

 「罠の狼」の衣装候補を探して、押入をひっくりかえす。
 「ミッシング・ハーフ」のときのトランクを引っ張り出したときに、どこに何があるかはだいたい把握していたので、すぐに発掘成功。
 それにしてもこの荷物の山はなんだろう?
 衣装は、経験上、捨ててしまうとすぐに「捨てなきゃよかった!」と思うはめになることがわかったので、とっておくのもしかたない。
 よくわからないのは、古い手紙や、資料や、写真だ。ブックオフでも引き取ってくれないだろうと思われる、日焼けした古本にも困ってしまう。
 20年も前の芝居のチラシやパンフレットは、見つけるとうれしくて、つい見入ってしまうが、なくても困るものじゃないことはまちがいない。
 いつか読み返す日が来るだろうと思ってとってある、古い手紙の束。というか山。今、読み返さないということは、これからも読まないってことだろうかと思う。
 僕が読みたいなあと思うのは、実は、その頃の僕がどんなことを考えていたんだろうかということだったりするんだと気がつく。
 ここにあるのは、僕への手紙で、僕からのものは何ひとつない。あ、一つだけ、思い切り失恋をしたときに、なんでこうなったんだろう?という相談まじりの報告を友人にした手紙のコピーがあった。何でコピー取ったのか、今となってはよくわからないんだけれど。
 読み返したら、19歳の僕の恋のしかたのあまりのたあいのなさにちょっとあきれた。同時に今の自分とのあまりの違いにショックも受ける。一生懸命だったんだねと。今の自分が忘れていた過去の動かない証拠をつきつけられた気分。だからそれはね……と意見してやりたいことがいっぱい。「エクレア」の稽古をしながら、遠く思えてしかたなかった「恋する苦しみ」がまさにここにはあった。
 分厚い今の僕の着ぐるみのなかに体重52キロ、ウエスト60センチの僕がいるように(18歳当時)、この恋に苦しんでぼろぼろになっていた僕もどっかにいるはず。いや、いたことを、ちゃんと思い出す。なかったことにしないでおく。
 これから、きっと、当時の僕の手紙があっても、読み返しては、ぼくは「やれやれ」とあきれることが多いんだろうけど、それでも、どこかおもしろがってその手紙を読んだりするんだろうと思う。
 もらった手紙を読みながら、僕の手紙を想像する(または、思い出す)のも、悪くないかもしれない。いつになるか、わからないけど。
 思い切って捨ててすっきりしてしまおうかと思った押入に、また元の通り、しまい込んだ衣装ケースたち。
 こんなことができるのも、実家に住んでいるからだろうと思う。
 こんなもの引っ越しのたびに持っていけるわけがないもの。


2006年05月19日(金) アダプター

 ラ・カンパニー・アンのWSのため、日曜日まで稽古はお休み。
 「ムーンリバー」の準備をいろいろしようと家に帰ってパソコンを広げたら、電源アダプターの調子が悪い。
 接続が悪いんだよなと思い、あれこれいじっていたら、アダプターから変圧して出力する側のプラグが取れてしまった。あわててくっつけて元の通りに差し込み、なかったことにしようとするが、だめだった。
 内蔵バッテリーの容量がどんどん減っていく。
 作業をあれこれしながら、万一にそなえて、というか、必要最低限のデータのバックアップをとる。
 そうこうしているうちに、バッテリーの容量が限りなくゼロに近くなってしまったので、非常用のもう一本にチェンジ。満タンにしてしまっておいたはずが、残量があと1時間ほどしかないことが判明。
 いじましく、ぎゅーっとプラグとアダプター本体を押しつけていると、「残り6分」という表示が「残り7分」になったりする。これでほそぼそといけるんじゃないかと思い、とりあえず作業を終えて、大事に電源を落とす。


2006年05月18日(木) ばったり

 仕事の帰り、北千住駅で、若林先生に声をかけられる。
 富士見丘小から転任されて、今は足立区の小学校に行かれているそうだ。こんなばったりもないだろう。お元気そうで何よりだ。
 富士見丘の話を少しする。もっとも、扉座の体験教室が一度あっただけで、来週から授業自体は始まるので、話すこともそんなにはないのだけれど。
 とってもステキな笑顔で話しかけられて、おしゃべりするうちに、自分がとっても沈んだ表情をしていたなあと気がついてしまう。
 いつもにこにこしてたいとは思わないけど、気持ちがどこか疲れていたんだと思う。
 夜、帰ってこない猫のためにキッチンのサッシをあけておく。夜中に降りたら、うちの猫と一緒にかつらちゃんが上がり込んでいて、僕の姿を見ると、二人でこそこそ出ていった。
 なんだよ、すっかり仲好しなんじゃないか。
 時々、聞こえてた、かつらちゃんの鳴き声は「あそぼー」と呼んでる声だったのかもしれない。


2006年05月17日(水) 「罠の狼」稽古8日目

 ゆうべは持っていた傘をどこかへ忘れてしまった。あららというかんじで駅に降りたらどしゃぶり。小降りになるのを待って、フリーペーパーを傘がわりにして、稽古場へむかう。
 今日は後半を中心に稽古。ビデオをとってもらって、初めて見てみる。思うこといろいろ。
 その後、最後の段取りを替えたら、なんだか全然違う気持ちになってしまった。びっくりする。これでいいんだろうか?と思い、水木さんに聞いたら、だいじょぶとのこと。なんだか、また違った線がつながったような気がする。
 まだ小雨の降るなか、代々木上原まで歩いてしまうことを思いつく。広いきれいな井の頭通りは駅までのくだり坂。ひと気がないのをいいことにいろんなセリフしゃべり放題。


2006年05月16日(火) 「罠の狼」稽古7日目

 樺澤氏と打ち合わせ。ハナさんも一緒に。その後、引っ越したばかりのメジャーリーグの事務所で、この間撮影した「ムーンリバー」のデータを受け取り、先行予約の整理をする。フライヤーの入稿の前に、TLGP2006のガイドブック用の広告データをつくらないといけない。フライヤーとは関係なく、どれがおもしろいだろうかと写真をあれこれ選んでみる。

 「罠の狼」稽古7日。
 今日は初めて行く稽古場。荻窪の駅からずいぶんと歩く。だいじょぶかなと心配になったあたりで清木場さんに声を掛けられて、ちょっとほっとする。
 とってもきれいな新しい稽古場。あかねちゃん、津崎くんが来てくれていて、「ジェラシー」と言われる。たしかに広々としてとても気持ちがいい。
 場面に挿入される詩のリーディングの位置や動きを確認していく。津崎くんが読んでいる詩を、彼を見ながら聞いていたら、なんだか、今までとは違うところにいけそうな気がした。
 セリフの意味を積み上げていくのではなく、その言葉をしゃべってる気持ちを重ねていくと、ああ、こうだったんだ……と思える瞬間に何度も出会ってしまう。
 その気持ちの整理をしていくような稽古。
 衣裳担当のもろさんが来てくれる。僕はどんなかっこうでここにいるんだろう? いろんなアイデアを聞かせてもらう。
 帰り、駅前のやきとりやに寄る。さくっと帰るつもりが、津崎くんと一緒に合流してくれたジュリの家に。その後、水木さんのいる「switch」へ移動。久しぶりに、飲んだなあという夜。もちろんおしゃべりもたくさん。


2006年05月15日(月) ヒンドゥー五千回「阿佐ヶ谷にて君を弔う」

 にしやんこと西田夏奈子さんが出演している。阿佐ヶ谷アルスノーヴァにて。
 王様の入山くんと会う。西田薫さんに声をかけられてびっくりする。「ミッシング・ハーフ」千穐楽以来の森川くんと、立ち話する。
 アルスノーヴァは民家を改造した不思議な劇場。
 マンガが一面に張られた壁と下手のドアとハシゴ、それに大きな箪笥がおもしろい空間をつくりだしている。
 あとで聞いたら、あのドアは実際の劇場のドアなんだそうだ。出番を待つ役者は外で待機して、鍵穴から聞き耳をたてていたらしい。
 はじめのうちはなんの話だかよくわからないのだけれど、だんだんいろんなことが見えてくる。
 にしやんは、紅一点で独特の存在感。この人を見ていると、何をしゃべるかというよりも、どうそこにいるかってことなんだよなあと、つくづく思う。何もしゃべってないときのいかたや、ハシゴをのぼっていくその後ろ姿がとっても雄弁に何かを語ってる。
 聞き返しの多いテキストの文体は、作家としては正直ちょっと苦手なのだけれど、役者さんたちはみんな、ちゃんとそこにいる人たちで、安心して見ていられた。
 終演後、にしやんにご挨拶。
 入山くんと別れたあと、森川くんとすっかり街並みの変わった阿佐ヶ谷に新しくできたカフェでおしゃべり。「ミッシング・ハーフ」のことや、最近のことあれこれ、それにこれからのことなど。会えてよかった。うれしい時間。
 帰り、エスムラルダさんとばったり会う。パレードの話をしながら、4月30日に行われたサウンドデモで逮捕者が出た件についてもおしゃべり。非戦を選ぶ演劇人の会のMLで流れてきた情報なのだけれど、TLGPとほぼ同じルートを歩いたデモで、DJをはじめとする何人もの逮捕者が出たそうだ。TLGPと同じ所轄警察署の対応がとても気になる。


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