せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年06月11日(日) 雨の日の野良猫

 雨降りの一日。
 朝、野良猫のかつらちゃんが、またやってきた。
 ふぎゃーふぎゃーと鳴きながら、雨の中、軒下を伝い歩いている。
 雨の日の野良猫はわびしい。
 いいから上がんなよと声をかけたが、僕の姿を見ると、逃げていってしまう。
 あとはうちの猫にまかせてキッチンのサッシをあけて、二階にあがった。
 しばらく経って、お茶を入れに降りたら、かつらちゃんがぴゅーと逃げていくところだった。うちの猫は「え?」というような顔で見送っている。
 何もしやしないのにどうして?と思いながら、なんだか悪いことをしたような気分。
 いつまでも降っている雨がちょっとうらめしい。


2006年06月10日(土) ホームベーカリー

 母親がパンを焼いている。
 パチンコの景品でもらってきたホームベーカリーで、このところ毎日のように。
 景品というのは正確ではなくて、来店のたびにたまるスタンプorシールがいっぱいになると、その点数に応じて何かがもらえる、その景品らしい。近頃のパチンコ屋はほとんどスーパーのようだ(食料品の景品も充実している)。
 粉とイーストと水やマーガリン(バターじゃなくていいらしい)やらを一度に入れて、スイッチを入れると、こねるのも発酵させるのも全部機械がやってくれて、何時間かあとには、こんがりパンが焼けている。
 夜、寝る前にタイマーをセットして、朝、文字通り、パンの焼けるにおいで目が覚めるといったかんじ。焼きたてというのを差し引いても、それなりにおいしい。一度に焼ける一斤半を2人で2日かからず食べてしまう。すっかりパン食な家になってしまった。無添加なのは間違いないので、それもうれしい。
 僕が生まれ育った葛飾の家には大きなガスオーブンがあって、僕や妹はずいぶんお菓子を作ったものだけれど、パンは何度か挑戦してあきらめた。いくらなんでもめんどくさすぎる。こねる力と根性、それに適温をつくって発酵させる手間のわりには、それほどおいしくなかった。買ったほうがおいしいじゃんという結論。
 今の家にオーブンはない。パンもお菓子も、作るよりも、おいしいものを少しずつ買ってきた方がずっといいと、僕も母親も学んだはずだった。
 それが、ホームベーカリー。たしかに、簡単で手間がかからず、それなりにおいしいもんなあと、テクノロジーの進歩に感謝する。
 そういえば、去年、母親は、南部鉄でできた「ガスで焼けるパン焼き器」を買って来たりしていた。できあがったしろものは、パンというよりは、固めのカステラに近かったけれど、以来、イースト菌の箱はずっと冷凍室に眠っていたらしい。
 はじめのうちは、説明書にある通りのレシピをいろいろためしていたが、この頃はいろいろ応用している。クルミをきざんで入れて、インスタントコーヒーを入れてみたり、ゴマのかわりに、おみやげにたくさんもらったエゴマを入れてみたらどうだろうとか。
 目下の心配は、「母親がいつ飽きるか」ということだ。南部鉄のパン焼き器が流しの下で眠っているように、大昔、電気餅つき器が「あとかたづけがめんどくさい」と言い言いしているうちに、いつのまにか姿を消してしまったように、このホームベーカリーが姿を消してしまわなければいいのだけれど。
 飽きっぽい母親の、不思議なパンへの情熱が、これで納得して、さめてしまわなければいいと思う。もしかしたら、ずっと昔から、あこがれていたのかもしれない家でパンを焼くということを、今、楽しんでいる母親なのかもしれない。
 実は、僕も一度、焼いてみた。ただ材料を入れるだけなのに、発酵がうまくいかなかったようで、とってもみっちりした重たいフランスパンができてしまった。以来、「これは母親のテリトリー」ときめて、触らないようにしている。
 不思議な四角い形で焼き上がるパンは、この年になって新しく生まれた「おふくろの味」になりつつある。


2006年06月09日(金) ヤモリ

 夜中、「ムーンリバー」関係のメールのやりとり、フライングステージのHPに情報やフライヤー画像を一気にアップする。
 夕方から降り出した雨は、降ったり止んだりしながら、夜中にはざーざー降りに。
 猫の姿が見えないので、いつもの出入り口になっているキッチンのサッシを開けてみるが見あたらない。
 母親に「外に出した?」とたずねたら、「玄関で雨宿りしてるんじゃない?」と言う。
 だったら入れてやればいいのにと思いながら、玄関のドアを開けたら、やっぱりいた。きちんと座って、タイル張りの床の上の何かをじっと見ている。なんだ?
 前足でちょっかいを出しているのを、とりあえず抱き上げてみたら、そこにいたのは大きなヤモリだった。
 「やだ、また食べかけ?」と一瞬あせるが、ヤモリはまだ無傷なようす。ただでさえ平べったいのがさらに平たくなって嵐が去るのを待っている風情。
 ヤモリは漢字で書くと「家守」で、家を守ってくれるいい生き物だと聞いたことがある。そんな方を、猫のおもちゃにしてしまうのはさすがに気が引ける。
 抱き上げた猫をそのまま、家の中に連れていき、ドアをしめた。
 昔、梅ヶ丘のマンションに住んでいたとき、引っ越したその日の夜、部屋にヤモリが出た。うぐいす色の砂壁とおなじような色の大きなヤモリが、かもいの下あたりにひっそりとはりついていた。ちょっと触ったぐらいでは、動こうともしないで、結局そのまま、その夜は寝てしまったのだけれど、朝になったらもう姿は見えなかった。
 その時も、引っ越したその日にヤモリが逃げ出す(そう思えた)なんて……と憂鬱な気持ちになった覚えがある。案の定、その部屋に住んでいた2年間は、仕事ばかりの毎日で、今思うと「何してたんだろう」と考えてしまうような日々だった。
 さて、朝方、どうしたろうと、玄関を開けてみたら、ヤモリの姿はもうなかった。ちょっとほっとした。


2006年06月08日(木) サッカーの夢

 「ムーンリバー」稽古前の連絡をいろいろする。アンの舞台の間、どうしてもペンディングにしてしまっていたあれこれを一気に。
 テレビはワールドカップ一色だ。音を消してつけっぱなしにしているテレビが、それでもサッカー関連ばっかりだと、なんだかなあと思ってしまう。まだ始まってもいないのに。
 夜中のどのチャンネルもスポーツニュースばっかりという時間が苦手だ。そんな時間帯が夜中遅くまでずれこんでいるような気分。しかたないので、教育テレビの高校講座かなにかをつけておく。世界史とか化学とか。
 そんなサッカーに対するイライラのせいか(別に嫌いっていうんじゃないんだけども)、サッカーの夢を見た。
 高校の頃、冬の体育はサッカーが多くて、やたら広いグラウンドでなんでこんなに走らなきゃいけないの?と思いながら、走り回っていた。僕は、サッカーよりはバスケットの方が好きだった。単純に走る距離が短いという理由で。
 夢の中で、僕は体育の授業をさぼりまくっていて、「一度も出ないとは何事か」と体育教師に叱られていた。いやな気分の悪夢というのではなく、なんだか疲れる夢だった。さぼってるわけだから、走り回ったわけでもないのに。
 昨日の富士見丘からの「学校」、テレビからの「サッカー」からの連想、それに「逃げている」ような僕の気分or「逃げたい」という願望(笑)からの夢かと、起きて考えた。


2006年06月07日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 5時過ぎにめざめて、樺澤氏からのメールと留守電の確認。今日のフライヤーの入稿関連のあれこれ。あちゃー。ばたばたとメールを送る。
 そのまま起きてしまい、今日は朝から、富士見丘小学校の授業。
 永井愛さんによる「場をつくる」。
 今日は、午前中の3、4時間目が2組、午後の5、6時間目が1組。1組の授業は全校の先生方も見学。
 まずは1組から。はじめに僕と篠原さんでウォームアップ。
 つづいて、まずは「場をつくる」エチュード。1人が出ていって、自分なりにここがどこかを決めてそこにいる。次々やってくる人たちは、自分なりにここがどこかを考えてそこにいつづけて、5人目の人が、「ここは○○」と宣言。そうすると、微妙にずれのある5人は力をあわせて、一つの場面をつくる。それまでは、無言で一人一人ばらばらだったのが、ここがどこかが決まってからはその場面でのやりとりがはじまる。僕だったらどうするんだろうと考えてしまう、なかなかむずかしいエチュードだ。
 子供たちは、やや戸惑いながらも、それぞれの場面をつくっていた。
 イスをならべておいていたので、どうしても座って読書というパターンが多くなってしまい、なかなか動きだしていかないのが、子ども達なりのおさまりかたのように思われた。
 つづいて、「エレベーター」。去年、一昨年の6年生の発表でも見ているので、子ども達にはおなじみの課題。見ず知らずの人たちが乗り合わせたエレベーターが止まってしまう。さあ、どうしよう?というもの。
 途中から、大人を演じないで、6年生でいいということになって、ずいぶんのびのびしたかんじになった。
 さっきの「場を作る」よりも、みんなその場にいることに抵抗がなくなっている気がした。ウケるために何かをするんでなく、ただそこにいるということ、人の反応を見て、話を聞いていることがきっちりできていることに感動する。
 だんだん顔と名前が一致してきた子ども達、一人一人のキャラクターが見えてきた。
 最後に、やりたい人が何人でも出ていいということになったら、ほんとに全員が舞台に集まった。
 エレベーターに乗り切らないので、半分は、エレベーターの前で待っている人たち。それぞれが、いろんなことをしていて、おかしかった。混雑したエレベーターのなかで痴漢騒ぎが起こったり、中と外とで携帯のやりとりがあったり。ただ、だまってようすを見守っている子の生き生きとした表情、大騒ぎから少しはなれて、「今ね、エレベーターが止まっちゃって……」と家に電話をしている子もいた。
 あとで担任の阿部先生に聞いたところ、ふだんは仲間をリードするようなキャラではない子が何人も場面をひっぱっていたそうだ。
 子ども達は、そんな子のいつもとは違う姿におそらくはびっくりしながら、知らなかった一面が見れたことを、素直におもしろがっているんじゃないだろうか。
 印象的な何人もの子供たちの名前が、あたまに入ってきた。面白い、ユニークな子がいっぱいだ。
 給食をはさんで、午後は2組の授業。
 1組よりも動きが多い、ある意味、のびのびした子が多いのが印象的。
 はじめの「場をつくる」エチュードも、レストランやボーリング場、ディスコなど、動きのあるものが多い。
 見学の先生方が大勢いるというのも、がんばりに拍車をかけているのかもしれない。
 続いての「エレベーター」は、知らない人どうしであるということがとてもきっちりおさえられていてびっくりする。永井さんも言っていたように「お互いに敬語で話せている」というのがすごい。初めて会う人は、相手に自分の気持ちをちゃんと伝えようとしなくてはいけない。なれあいの友達の軽いおしゃべりとは違って。
 子ども達は、まるでそのままセリフになるようなやりとりを積み重ねて、場面をつくっていっていた。
 印象的だったのは、キャラクターを作り込んでいる子が何人もいたこと。秋葉系のアイドルオタクの子、下のトラックに工具を置いてきた大工、なんだか大きな荷物を持っている人、実はFBIでピストルを持ち歩いている男。
 最初に「独り言」を言ってから登場という設定が、実によく生きたと思う。
 これまで何度も見た「とにかく脱出しなきゃ!」という脱出劇にならず、「どうしようか?」から「別にいいんじゃない?」とのんびりかまえているキャラクターが今日は何人も登場した。それが、場面に参加すること拒否しているんではなく、ちゃんと参加しながら、ある個性としてそこにいる。
 緊張してる場面なのに、なんで笑ってしまうの?と気になってしまいがちな笑顔でいる子も、緊張してるときって笑うし、誰かに話しかけるときって、ついほほえんでしまうよねと、今日はリアルに思えたのが発見だった。
 僕は、ずいぶん笑い、はらはらし、展開の予想を裏切られ、びっくりさせられた。いいものを見せてもらったと思う。
 こちらの組でも、この子は何?と思うようなおもしろい子がいっぱい。これからがほんとうに楽しみだ。
 授業のあと、ミーティングルームで先生方と一緒に、フィードバック。
 先生方からの感想がとても興味深かった。
 今の6年生の3、4年時、1年生の時の担任だった先生方からのお話。ほんとうにこの子たちは、先生方に見守られながら育っているんだということが、あらためてよくわかった。
 解散後、音楽の畑先生に、僕たちの子ども達への指示の出し方が富士見丘の先生の話し方に似てきたと言われる。たしかに「はい、準備ができたら、始めるよ!」とか普通に言うようになった。先生がたとのおつき合いが長くなって、だんだん話方やこどもたちへの向き合い方について、影響を受けてきたのかもしれない。
 帰り道、永井さん、青井さん、篠原さんと駅に向かって歩いていたら、去年の6年生のカナコちゃんたちとばったり会う。中学の帰りだ。
 「今日は即興劇だったんだよ」などとおしゃべりする中、カナコちゃんに「面白い子いる?」と聞かれる。やっぱり気になってるんだねえ。
 去年の6年生の卒業公演の成果をふまえながら、それをなぞるんでなく、今年の6年生と一緒につくる芝居はどんなものになるんだろう? 何人もの子ども達の顔がうかんできた。どんどん楽しみになってきた。

 フライヤーの入稿は無事終了。夕方になってようやく電話とメールで確認ができた。そういえば、去年も富士見丘の授業の日にこうやってばたばたしていたんだった。相変わらずだ。
 「ムーンリバー」の準備もいよいよ本格的に始まる。こちらも楽しみがいっぱい。


2006年06月06日(火) カフェイン

 出先で飲もうといつもなら水かお茶を買うところをあんまり眠いのでついコーヒーのペットボトルを選んでしまった。
 そのせいか、ドキドキと落ち着かない。カフェインのせいだ。
 昔、どうにも台本が書けないとき、起きていたくてコーヒーばかり飲んでいた。そんな日が何日も続いて、僕は、やたら動悸のはげしい人になってしまい、こんどは「何か病気になったんじゃないかしら?」と心配になった。
 薬局で症状を話したら、「救心」をすすめられて、しばらく飲んでいたことがある。今なら、コーヒーの飲み過ぎだとすぐわかるのだけれど、当時は必死だった(今が必死じゃないってわけじゃないけど)。
 今では、原稿にむかうときには、ハーブティーを飲んでいることが多い。カモミールとかローズヒップとか、ペパーミントとか。どれも気持ちが休まってしまうものだけれど、ドキドキしてうわついたものを勢いで書いてしまうよりは、今日はもうやめようと寝てしまった方がいい結果を生むよう気がするので(やっぱり、必死じゃないか?)。
 版下づくりやデータ入力などの「作業」をしなければいけないとき、それにどうしても眠ってはいけないときは、栄養ドリンクのお世話になる。それでも、起きて原稿を書くためにコーヒーを飲むことはめっきり少なくなった。
 仕事の帰り、いきつけの喫茶店でグレープフルーツジュースを頼んで、原稿にむかい、一段落したころ、動悸もようやくおさまった。
 カフェインのせいだけでなく、やらなきゃいけないことをいつまでも抱えているせいなことはやっぱり間違いない。
 夜、DMリストの整理をしながら、寝てしまう。無理矢理おきていたせいか?
 夜中にもらった電話にも出られず、爆睡。


2006年06月05日(月) オオミズアオ

 仕事の帰り、劇団制作社にて打ち合わせ。「ムーンリバー」のフライヤーと制作関係、来年のスケジュールなどなど。
 劇団制作社の新メンバー、對馬さんとごあいさつ。
 お宅が東武動物公園ということで、帰りは一緒に。はじめましてのごあいさつも兼ねて、たくさんおしゃべり。
 對馬さんと別れて駅に降りたら、ホームに大きな蛾が落ちていた。一瞬、薄い空色のハンカチのように見えた。たぶんオオミズアオというやつだと思う。
 翡翠のような色の羽に、小豆色のふさふさとした触覚、黒い大きな目。
 いいかげんな蝶よりもよっぽど堂々として美しい。
 力無く落ちているのを、人に踏まれないよう、脇に連れていこうとしたら、ゆっくりと羽ばたいた。
 羽を閉じてとまるのが蝶で、開いてとまるのが蛾だと聞いたことがある。
 蝶はきれいで、蛾は汚いというイメージがずっとあったけど、こいつはなんてきれいなんだろう。
 昨日のバラシのあとの積み込みのとき、ミラクルの向かいの植え込みに大きな白い蛾がとんでいて、あ、オオミズアオだと思ったんだった。まさか同じヤツではないと思うけど、不思議な再会の気分。
 紙に乗せて運ぶうちに、指に羽がふれた。予想通り、ひんやりと冷たかった。


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