せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年06月26日(月) |
顔合わせワークショップ |
10月に台本を書いて演出をする劇団pal's sharerのみなさんとの顔合わせ。というか、どんな人たちなのか知っておきたかったので、ワークショップ稽古をさせてもらった。 恵比寿から天現寺の交差点に向かって坂をのぼったところにある施設。広尾界隈はめったに来ないところだけれど、恵比寿から歩いたのは初めて。街並みの古さと新しさが混在しているかんじがおもしろい。 白井美香ちゃんに竜太郎さん、それに今日が初めましてのみなさんと約2時間半、いろんなことをさせてもらう。 フライングステージでいつもやっているようなシアターゲーム。それに富士見丘小学校での永井さんによる即興劇のエチュードも。最後は、ちょうど持っていた「お茶と同情」のワンシーンを読んで、演じてもらう。 声優さんとして仕事をしている人たちが、初めて手にする台本にどんなアプローチをしてくれるか、興味があったので。 シアターゲームもエチュードも台本も、どれもとてもおもしろいものになった。「ムーンリバー」が終わってからの稽古、そして秋の本番がとても楽しみだ。
2006年06月25日(日) |
穢ないけれど生きている |
録画しておいたNHKの日曜美術館、大正時代の甲斐庄楠音をとりあげている。この人の「横櫛」という絵が僕はとても好きだ。 初めて見たのは岩井志麻子の「ぼっけえきょうてえ」の装丁かもしれない。切られお富がモチーフの女郎の立ち姿がなんともいえず妖しい。 今日の番組では、楠音が自ら女装してとった写真も紹介された。自画像の「毛抜き」という絵では上半身裸の青年が毛抜きでヒゲを抜いている。 後年、溝口健二の映画で衣装を担当した楠音。着物の柄のセンスがとても素晴らしい。 同時代の画壇の長老、土田麦遷に「穢ない絵」と酷評された彼は晩年「自分の絵は穢ないけれど生きている」と書いた。その思い、悔しさと誇りが胸に迫る。 楠音として声をあてていたのは四谷シモン。日曜美術館、ちょっとイカすキャスティング。
目白の駅前で樺澤氏と待ち合わせ。車で劇場置きのチラシを配る。合流してから、アイピット目白、シアター風姿花伝、ストアハウスをまわる。電車&徒歩だとかなりめんどうな劇場巡りも、車だとずっとラクになる。 その後、月曜に続いて「未来図鑑」の収録。今日は本編を赤羽橋のレストランで。 控え室で着替えて、メークをしながら打ち合わせ。その後、1Fに降りて、同じ回の前半のゲスト「男前豆腐」の社長、伊藤信吾さんの収録を拝見する。 「未来図鑑」のメインコメンテーターはつんく♂さん、それに藤原美智子さん、箭内道彦さん、進行はアナウンサーの松丸友紀さん。ソファに座ってリラックスしたムードでのおしゃべり。 男前豆腐は、「豆腐屋ジョニー」というネーミングのお豆腐がとてもおいしくて、誰がこんな名前をつけたんだろうと前から思っていた。 伊藤さんは、バンドをやっていた経験もあり(「屯田兵」っていうそう)、男前豆腐のCDをリリースしたり、いろんなグッズをつくったりもしてる、とっても「男前」な人だ。 5人の前には豆腐やグッズが登場して、とてもトークが盛り上がっている。僕は、「ミッシング・ハーフ」のビデオ以外、何もなし。女装しておいてよかった・・・としみじみ思った。 伊藤さんの収録が終わって、僕の番。コメンテーターのみなさんとの打ち合わせのないまま、「じゃあ、呼び込みでお願いします」と。みなさんに呼ばれて登場することになった。緊張する間もなくというかんじ。 なんとなく真面目な話をきちんとしようとかしこまっていたのだけれど(ビジュアルが女装でもあるのでね)、つんく♂さんたちの僕が登場するまでのトークに乗っかるかんじで、とってもカジュアルなおしゃべりを結局してしまう。 話そうと思っていたことの他に、つんく♂さんにリードされて、受け答えをしているうち、思わぬところに話題がとんで、なんだかものすごく楽しい時間を過ごさせてもらってしまった。感謝。みなさん、どうもありがとうございました。 放送は、7月17日(月)の深夜24時からBSジャパン「未来図鑑」。僕は伊藤さんのあとなので、24時半頃からということになると思います。どうぞご覧ください。 収録のあと、メジャーリーグの事務所へ。手伝いに来てくれた直蔵さんも一緒に。 明日からの「ムーンリバー」先行予約の準備。樺澤氏は新しく購入したフライングステージ用の電話&FAXを設置。僕は、先週送ったダイレクトメールの戻り分のチェックをする。 先週、買ってもらってあったのに、バタバタして飲めなかった缶ビールで、僕と直蔵さんはお疲れさまの乾杯。樺澤氏はまだ運転があるのでパス。
今、家は紫陽花でいっぱいだ。庭の生えているのにくわえて、お隣からいただいた見事な大輪が玄関と居間に活けてある。 外を歩いていても、ああ、きれいだなあと見ている紫陽花。ボリュームたっぷりなわりに押しつけがましくないのがいい。 いつもは花屋で切り花を探すのだけれど、今年は、山のように飾って売っている。家にあふれてなければ買って帰るのに。 一昨日の富士見丘のダンスの授業、本山さんに「明後日、筋肉痛ですよ」と言われたのだけれど、昨日まではなにごともなし。まずはほっとしていたら、今日になってカラダ中がだるくてしかたない。筋肉痛という痛みではなく、どよんとしただるさ。やっぱり来たか・・・。ゆっくり風呂にでも入ろう。 来年の企画のために取り寄せた本を駅前のセブンイレブンで受け取る。これもまたおもしろくなりそうだ。実現したら、びっくりするくらい楽しい舞台になるだろう。わくわくする。
吉祥寺の明樹さんのおうちで、先日のアンの公演の打ち上げその2。打ち上げに参加できなった僕のために、もう一度みんなで集まろうと企画をしてくれた。感謝。 由佳さん、あかねちゃん、清木場ちゃん、まじりん、なるちえ、津崎くん、檀くん、ジュリに諸さん、それに咲希ちゃん。 由佳さんの手料理(なんていろいろ&とってもおいしかった)とみんなが持ち寄ったあれやこれやで、たのしくおしゃべり。 これからのアンのことをいろいろうかがう。おもしろそうな企画がいくつも。これからもよろしくお願いいたします。 終電に間に合う用に少し早めに失礼する。 道々、森川くんと電話で話す。彼が以前住んでいたあたりの五日市街道を歩きながら。考えることいろいろ。
2006年06月21日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
富士見丘の授業の前の日は、なんとなくちゃんと眠れず、今日も寝たり起きたりをくりかえし、結局、5時過ぎには目が覚めてしまった。 それでも、うとうとしていたら、7時前に階下の母親に呼ばれて降りていく。 猫がまたスズメをとってきた。ゆうべ帰ってこないと思ったら……。放り投げて遊んでるから、取り上げて捨てて!と言われる。 またかと思いながら、猫がじっと見ている居間のちゃぶ台の下をのぞくと、スズメが一羽ころんと転がっていた。 母親がトイレットペーパーを丸めて渡してよこす。猫をとりあえず脇によけて、スズメをつかんだら、まだ足がぴくぴく動いている。でも瀕死なことにかわりはない。 「埋める?」と母親。まだ生きてるのにそれはあんまりだ。しかたないので、庭のあじさんの根本に置いておいた。 部屋にもどってベッドに横になったら、あっという間に寝入ってしまう。二度寝だ。しかもかなり深い眠り。このところの寝不足のつけか。寝坊しそうになってバタバタと起きて出かける。 40分授業の日だというのを知らなかったため、結局、3時間目にちょっと遅刻してしまい、体育館に直行する。 今日の授業は、本山新之助さんによる、ダンス。2クラス合同で振付を覚えてみんなで踊る。 カウントを数えながらのときは、そんなに難しくないかもと思った振付だけれど、曲がかかったとたん、あまりのテンポのよさにびっくり。唖然とする。ようやく覚えた何エイトが、ほんの一瞬で終わってしまう。 腰を落としたり、すっと伸びたりと、躍動感いっぱいの振付は、とってもかっこいい。本山さんが踊るとさらに! でも、とってもむずかしい。 子供たちはだいじょぶだろうかと見ていたけれど、みんなちゃんとついていっている。大人はかなり悪戦苦闘。 途中から、列ごとに2人組になって、最後の部分を2人がクロスして踊る振りが 入った。最後は、好きなポーズで決める。 子どもたちは、なんだかとてもすんなりできてしまってびっくりする。テンポの早い曲とダンスのセンスがとっても要求される振りなのに。全員で踊っても、あら、あの子だめだわ・・・という子がいない。なんてすごいんだろう。 去年の6年生の卒業公演のダンスを見ているからだろうか。ダンスをやっている子が何人もいるということだけれど(今日は、見学で、実際のダンスの先生をしているお母さんが参加してくれた)、それにしても。 何がなんだかわからない状態でやるというのと、目標なり目指すものがちゃんと見えているのとでは、やっぱりいろんなことがずいぶん違ってくるんだと思った。 最後に本山さんから「みんなよく踊ったけど、少し元気がないかもしれない」という話があった。たしかに、去年も一昨年も、この授業のときは振りつけの合間や休み時間が、なんだかえらい騒ぎになっていた。 今年の6年生は、元気がないというのではないけど、とってもいい子たちなのかもしれない。どう踊るか、振りをちゃんと覚えて、ちゃんと踊ろうということについての集中力はとても素晴らしい。 無理矢理、元気を出しなさい!というのではなく、騒がしいくらいが丁度いいというのでもなく、ひとりひとりがちょっとずつはみ出た個性のままで、芝居作りができたらいいと思う。 次の授業は、吉田日出子さんによる「喧嘩の台本を書く、演じる」(仮題)。子供たちには、「喧嘩の台本を書く」という宿題を出す。僕と篠原さんで、いくつかを選んでリライトして、それを吉田日出子さんといっしょに演じてもらう授業だ。 去年も、この授業のあたりから、子ども達の声が聞こえるようになった気がする。どんなものを書いてきてくれるのか、今からとっても楽しみだ。
家に帰ってテレビを点けたら、永六輔が出ていた。 カメラよりもずっと下の方を見ながら話している。どうやら子ども達にお話しているようなかんじ。カメラを全く見ないで、あきらかに「小さな」子供に対して。時々、実際には聞こえない子ども達からのヤジやらつっこみを聞いては、それに対して答えながら、話し続けてる。 番組は教育テレビの「視点・論点」というもの。その時々のいろんな人が思うことをわりと自由に語る十分間(五分だっけ?)。 話の中身は、近々74歳になろうという彼が、子ども達に宇宙の誕生から、彼らの命にたどりつくまでの36億年の物語をするというもの。 「子供たちには、必ず彼らを生んでくれたお母さんがいて、「少し手伝った」お父さんがいる。そのまたお父さんとお母さん・・・というふうにずっとたどっていくと、恐竜の時代になって、生命の誕生、地球の誕生、宇宙の誕生にまでさかのぼっていってしまう。」 「人にはすべて、宇宙の歴史36億年が積み重なっている。その人の命を、殺したり、放り投げたりしてはいけないんです。」という話だった。 話の中身もおもしろかったが、それよりも、僕は、彼がこの話を子供たちにするときのように話しているという、その語り口というか、話しっぷりのみごとさに圧倒された。それだけで、芸といっていいくらい。 実際にいない子ども達がほんとうにカメラの枠の下にいるような、いや、だから、こちらからは見えない子供たちに向かっていつまでも語りつづけるかんじは、やや尋常ではなくて、「やだ永さん、ぼけちゃったの?」と一瞬心配になるくらいだった。そのくらいの「すごみ」さえ感じられるものだった。 「僕は73歳ですけど、36億73歳だと思ってます。生まれたときから、人は36億年の歳月を背負っています。だから、同じ時代に生きる子供も年寄りも、みんな同年代なんです」という彼の話は、なんだかとっても心にひびいた。 僕も年の話がでるたびに「切り上げればみんな100歳」なんて言ってるけど、36億歳をのっけるというのは、やっぱりとんでもないスケールだ。 その中で、彼が「これはいつも話す話ですが、省いたところがあります」といった部分についての話がおもしろかった。 子供たちにこの話をするときには、「恐竜が来るぞ!」「ほら、足元にゴキブリがいる。やつらは恐竜の時代からずっと生きてるんだ」と話す。すると子供たちは、大声でいつまでも盛り上がる。「騒いで疲れないと子供たちは話なんて聞かないから、まず疲れさせないといけない。今日、(テレビの前の)みなさんにその話をしないのは、みなさんは、すでにかなり疲れてるからです」。なるほどね。 「子ども達は疲れないと話を聞かないんだろうか?」と明日の富士見丘小の授業のことを考えた。どうだろう? 永さんの話は、経験から出た言葉としての重みはあるけど、それが真実というわけでもないような気がする。 それでも、見えない子供たちに向かって話す、彼の視線と聞こえない子供の声を聞いているその姿は、とっても嘘のないものだった。 なにげなく点けたテレビで、思いがけずいいものを見た。
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