せきねしんいちの観劇&稽古日記
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今年ももう7月。半分が終わり、折り返しだ。 日記を一日も休まずに書くは大変じゃないの?と聞かれた。 毎日、何か書いてないといけない気がしてね・・・と答えたのだけれど、ほんとはちょっと別なところにある。 何日か休んで、どうしたんだろう?と思われるよりは、というか、その間、どうしていたのかを書いたり書かなかったりするよりは、どんなつまらないことでも書いて、毎日を埋めていく方が、今の僕にはラクなんだと思える。 ただし、その分、内容については、融通をきかせようと決めている。その日のすべてを書くわけではないし、書きたくないことは書かない。泣き言や愚痴もできるなら書きたくない。台本を書くことや芝居をつくる上での、言葉にならない大変さをわざわざ言葉にする苦労はわざわざしないでおく。 それでも、何かを書くことが、書いているのだと思えることが、僕をささえてくれているのは、間違いない。 ブログにしないの?とも聞かれたのだけれど、しばらくはこのままでいこうと思う。 そんな日記ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
母親のいなかである山形の親戚からさくらんぼが届く。数日のあいだに次々と届くのは、やはり旬のある果物ということなのだろう。 昔から見てくれは少しもかわらないのに、食べるとびっくりするくらい甘い。昔は、酸っぱい果物だった印象があるんだけどな。 母と二人では食べきれないので、近くの妹たちのところにさっそく持っていく。後の方に届いた分は、そのままクール宅急便で、弟のところに「転送」されたらしい。 そんなこんなで、わあこんなにあると思っていたのが、あっという間になくなってしまう。一度にたくさん食べるものではないといつも思うが、毎年、「あれ、もうないの? もう少し食べたかったのに」というくらいの気持ちで季節が終わるのが不思議。
木村佐都美ちゃんが出演しているゲキフリ「クライマーズ」を見に、清澄白河の劇団アトリエへ。 なんだかアニメみたいな台本と演技だなあと思い、正直、途中では苦手な芝居かもと思いながら見ていたのだけれど、最後には楽しい芝居を見たという気持ちで拍手を送る。終演後、佐都美ちゃんに挨拶して失礼する。 その後、葛飾区郷土と天文の博物館へ行く。「ムーンリバー」のために一度は取材に行こうと思っていた。予定していた、昭和の水害についてはあてにしていた資料がなかったのだけれど、とてもおもしろいものをたくさん見ることができた。 中でも昭和30年代の家を再現したコーナー。ミゼットがとめてある、物干し場のある庭。玄関に高い上がりかまちのあるお茶の間。となりは東四つ木にあったというネジ工場を再現したもの。薄暗い建物のなか、プレスや旋盤、大きな作業台に固定された万力や、よくわからない機械が置いてある。改築するまえのぼくの家の工場にそっくりでびっくりする。雑然としたかんじも、うすぐらさも、油まみれなかんじも。お茶の間は、あああるあるこういう風景というかんじで他人事だったのに、この工場は、とんでもなく懐かしかった。 時間があったら、プラネタリウムを見たかったのだけれど、今日はパス。1Fの受付で資料を何冊か買って帰る。 お花茶屋までの道はとても懐かしい。曳舟川はすっかり暗渠になっただけでなく、その上が親水公園になっている。たんぼが作られて稲が植わっていたり。駅前の地下駐車場の階段のきわに、土嚢がいくつも置いてあった、こんなところでも水害の備えをちゃんとしてるんだなと思う。 大きな茶色い犬を散歩しているおばさんとおしゃべり。13歳になるというその犬は、白血病であと3カ月と言われたんだけどもう半年生きてるんだそう。どうりでぜーはー息が荒いはずだ。「大きな犬は病院に連れてくの大変ですね」と言ったら、「もう病院には行かないの、安楽死させられるのやだから」といいながら、おばさんは犬に煮干しを上げていた。 夜、高校時代からの友人たちとの集まり。越谷の宇都宮邸にて。草加で浩子と舞と待ち合わせをして、スーパーで買い物をしていく。車中ですでにおしゃべりでもりあがる。 荷物を抱えて到着。裕三さん、美香、岡田くんと合流。飲み、しゃべる。遅くなって若さんも登場。この顔ぶれで会うのは二年半ぶり。会わない間にあったいろいろを大いにしゃべる。 このあいだは結婚前だった岡田くんはもう一児の父だ。それぞれの仕事や恋愛の話もあのときああだったことが今はね……と、話さなきゃいけないことが盛りだくさん。ここじゃなきゃしゃべれないよねということばかりを濃く熱く語る。かけがえのない仲間たち。
仕事に行くのに私鉄とJRを乗り継いでいる。スイカを持っていても乗り継ぎのめんどくささは変わらないので、結局、連絡キップを買うことが多いのだが、このところ、よく失敗する。 連絡キップを買ったつもりがその運賃分の私鉄orJRのキップを買ってしまうのだ。乗るときはなんでもないのだけれど、降りるときに狼狽する。自動改札に入れて、もう一度出てくるだろうと思っていたキップが出てこなくて、駅員さんを呼んで救出してもらったり(もちろん、その後、払い戻しをしてもらう)、途中で気がついて駅員さんに説明したりと、そんなことを今週、二度もやっている。 どこかで集中が切れるというか、安心してしまうのがいけないのだと思う(金額を確認した瞬間とか)。台本を書いている時は、いつもぼーっとしているようなかんじだ。なくしもの、わすれもの、乗り間違えなどなど、電車がらみの失敗が急に多くなる。 前はよくキップをなくしたものだけれど、この頃はもうだいじょうぶと安心していたのになさけない。早く書き上げて、ふつうに日常生活が送れるようになりたい。 鈴木里沙ちゃんが出演してるナマイキコゾウ「闇市狂詩曲」(@下北沢「劇」小劇場)を見に行く。 戦後の東京の闇市を舞台にした群像劇。東京裁判を背景に、戦争で心にキズを負った人たちのたくましくもせつない姿が描かれる。 里沙ちゃんは元和菓子屋の娘で空襲で両親を亡くして今は、「楽町のおきみ」と呼ばれるパンパン。派手なワンピースにきつめのメーク、真っ赤なコート、とってもイカしてた。 作・演出は、養成所時代の先輩の宋英徳さん。ひさしぶりにご挨拶と思っていたのだけれど、妙にてれくさくなってしまって、里沙ちゃんに挨拶して、わたわたと失礼してきてしまう。
朝の山手線の中にトンボが飛んでいた。そんなにおおきくもなくて、赤くもない、何トンボというのかわからない、ふつうのトンボ。 壁にすごいいきおいでぶつかるたびに音がする。ドアが開いたときにうまく出ていけばいいのにと、みんなで見守っていたら、背の高いサラリーマンが、わしっと手でつかまえて外に投げた。なんでもなかったように飛んでいったトンボといっしょに降りていった彼は、ヒーローのようにちょっとかっこよかった。 夜遅く、遅まきの衣替えをする。といっても、大したことはなくて、夏物のシャツを引っ張り出して、洗濯機に放り込んだだけのこと。夏の服は、押し入れから出したまま着る気にならない。明日まではなんとか天気が持ちそうなので、朝、出がけに干していこう。今夜まずは部屋干し。
昼間から真夏のような暑い日。仕事が終わらず、予定していた非戦を選ぶ演劇人の会の打ち合わせには行けなくなってしまう。 次回のリーディングは8月14日(月)@全労済ホールスペースゼロ(新宿)。 夕方、ものすごいいきおいで雨が降った、雷もずいぶん鳴っていた。外に出たのは、雨も雷も収まってから。昼間とはうってかわった、涼しい風が気持ちいい。 富士見丘小学校の来週の授業のための課題、子ども達に書いてもらった「けんかの作文」が昨日届いた。 早速読んでみる。まだ全員の顔と名前が一致しないのがもどかしいが、どれもみんなほほえましい。子ども達の書く大人の姿が特に。 明日以降、篠原さんと打ち合わせをして、何本かにしぼり、リライトをする。400字詰めの原稿用紙はずしりと重い。
いい天気。夕方の6時を過ぎても、夕日がさんさんと射してとっても明るい。 昨日から読んでいるアンダーソンの「お茶と同情」。以前はそんなに気づかなかったいろいろが、今回はとてもおもしろく感じられる。 それでも、これは同性愛を描いた芝居ではなく、同性愛を「使って」、結局は異性愛を描いたものだ。リリアン・ヘルマンの「子供の時間」が、最後にちゃんと女性同士の恋愛に立ち入ったのとは全然違う。まあ、そこが物足りない。 舞台はニューイングランドの男子校の寄宿舎。男の教師(ゲイ疑惑あり)と全裸で泳いでいたトムが、彼自身もゲイだと噂になり(もちろん劇中に「ゲイ」という言葉は登場しない)葛藤する。それを見守るのは、とっても男性的な教師ビルの妻ローラ。トムは疑いを晴らそうと、誰とでも寝る女の子とデートしようとしたりするが失敗。ローラはそんなトムを痛ましく思いながら、彼のことが心配している。彼女の前夫は、戦地で「男らしさ」を証明するために危険な任務につき戦死した。それと同じような苦しみを味わっているトムをいつしか愛し始めている。そして、彼女はビルに言う。「あなたがトムに辛くあたるのは、彼の中にあなたが一番見たくないものを見ているから」。ビルは、おそらくゲイである自分を押し殺して、逆にゲイを憎む人間になってしまっているというわけ。 彼女の言葉を聞いたビルはローラに「出ていってほしい」と切り出し、二人は離婚するだろうことがほのめかされる。「子供の時間」だったら、ビルは自殺してるところだ。このへんが、この芝居の甘いところというか、踏み込みが足りないところかもしれない(まあ、同性愛を描いてるものではないことは承知の上だけれど)。 僕は、トムとローラのせつない恋はどうでもよくて、このビルのキャラクターが今は一番面白くかんじる。(トムを誘ったとされるハリスという教師は、間違いなくゲイなのだけれど、あまりに存在が希薄なので)。 ものすごく自分を抑圧しているゲイ、このキャラがずーんと発展すると「真夜中のパーティ」の登場人物になっていくのかもしれない。自分のセクシュアリティを前向きにとらえるゲイが芝居に登場するのは、やはり80年代まで待たないといけないということなんだ。
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