せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年07月10日(月) 不思議な子

 はんぱな時間の空いた電車に乗っていたら、小学校低学年の男の子がランドセルを背負って、となりの車両からやってきた。白い半袖のシャツに黒い半ズボン。あちこちの窓から外をのぞいている、やや落ち着きのない、でも、大人しそうな子。
 彼は、ドアのところで背伸びをして外の景色を見ていたのだけれど、もういいやとでもいうように、つつつと歩いてきて、僕のとなりに座った。
 シートはがらがら、他にいくらでも空いてるのに。びっくりした。でも、その、ぺたんととなりに座って、そのくせ僕のことなんかこれっぽっちも気にしてないようすが、きまぐれな猫がたまたまとなり来たようなかんじにそっくりで、なんだかとってもあたりまえだった。
 彼は、その後何分か、僕のとなりで足をぶらぶらさせながら、向かい側の窓の外の景色を見ていたのだけれど、来たときと同じようにまたふいっと立って、となりの車両に歩いていってしまった。

 夜、「ムーンリバー」の美術の打ち合わせを、小池さんと樺澤氏と。閉店は23時半と小池さんが電話で確認し、テーブルの上のメニューにもそのように書いてあるのに、23時前に追い出される。他に客がいなかったからか。フレキシブルな閉店時間。
 店を替えて、打ち合わせをつづける。小池さんが書いてきてくれたプランに、いくつか変更のお願いをする。今回もなかなかインパクトのあるものになりそうだ。


2006年07月09日(日) 匂いの記憶

 蒸し暑いので、冷風扇を物置から出してきた。去年、水はちゃんとぬいてしまったはずなのに、出てくる風がかびくさい。もう一度水をぬいて、後についてるフィルターを掃除する。
 冷たい風が出てくるのは簡単な仕組みだ。機械の中の布が水に浸されて、その布を通して風が吹く。気化熱がうばわれる分、冷たい空気になる。
 その布がどうやら匂いのもとらしい。雨の中、スーパーでファブリーズを買ってきて、盛大に吹き付ける。どうせびしょびしょになる部分なので。
 しばらくたってスイッチをいれたら、かび臭さは消えていた。「大したもんだなあファブリーズ」と思いながら、違った匂いがしてくるのに気がつく。においの残らないタイプの筈なのに。なんの匂いだったろうと考えるが思い出せない。
 夜遅く、突然思いだした。ずっと昔に使っていたポーチュガルというコロンの匂いじゃないだろうか。今はあるのかどうかわからない、微妙にマイナーな、でも当時はとても流行っていた香り。そのまんまじゃないけど、たしかにそうだ。残り香がとても近い気がする。
 もしかしたら気のせいかもしれない。僕の中の記憶の匂いが変質してしまっているのかもしれない。
 今は数え切れないくらいある男性用のコロン。昔はほんとに数えるほどしかなかったんじゃないだろうか。僕が知っている(いた)のは、ポーチュガルにタクティクスに、あとはMG5だっけ? そのくらいだ。
 ポーチュガルは中学の同級生で、その後、いろいろあった友人がつけていた香りだ。中島みゆきのレコードを聞くことも、コーヒーの豆をひいてドリップして飲むというのも彼から僕に伝わった趣味だ。
 「ムーンリバー」で描いている僕が中学生だった頃に思い出に、匂いの記憶も加わった。


2006年07月08日(土) Aのキー

 一日、パソコンに向かう。夜、突然、「A」のキーが反応しなくなった。入力ができない。僕はローマ字入力をしているので、「あ」段の文字が何一つ入力できなくなってしまった。
 キーボードの「A」のチップをえいっと外して、うっすらたまったゴミを取ったりしてみたが治らない。一度外したチップがなかなか元に戻せなくて、いらいらし、余計にパニックめいてしまう。
 どうして、こういう忙しいときにかぎってトラブルんだろう。前に宇田くんとそんな話をしたとき、「PCは人の気持ちがわかるから」と言われたことを思い出す。そうなの? だとしたら、とってもいじわるされてるってことなんだろうか?
 気持ちを落ち着けて、もう一度電源を落とし、今度はノートPCのキーボード全体を外してみる。裏側をなんとなく掃除して、元に戻して再起動。だめだ。まだ「A」はもどってこない。
 キーボードだけを買うといくらなんだろうとネットで検索する(「A」が入力できないだけなので検索は可能)。どのサイトでも2万円くらいする。バッテリーや液晶の買い換えを何度もしているこのPC、いつ買い換えるかはもう時間の問題なので、これ以上、お金はかけたくない。
 サイトを閉じて、ダメもとで入力を試してみたら、治っていた。しれっと「A」が復活していた。
 「人の気持ちがわかる」というのはこういうことなのか? よくわからないけど、とりあえず、助かった。もうしばらくだましだまし、使っていこうと思う。


2006年07月07日(金) ラベンダーと願いごと

 出がけについていたテレビでラベンダーの栽培についてやっていたのを、ちょっと見てしまう。
 多年草で、放っておくとどんどん株がおおきくなっていってしまうということ、剪定した芽を挿し木にすると、どんどん根付いて増やしていけるということ、花が終わったら、思い切ってどんどん切ってしまっていいのだということ、などなど、へえ・・・と思うことがいっぱい。
 放っておいていいというところがなんだか「やれそうな」気を起こさせる。プランターと土を買ってきて、苗を植えて、玄関先に置いてみようかという気になってきた。
 うちの近くにも、いつのまにこんなに巨大に?とびっくりするようなラベンダーの株が植わっている。
 ラベンダーといえば、昔は、とっても遠い草花だった。なんといっても「時をかける少女」に登場するのが印象的だったし、あとは赤江瀑の「オイディプスの刃」でも南仏のグラースのラベンダーの野が語られる。最近では、富良野が有名か。
 ラベンダーの香りには鎮静効果もあるが「太りやすい」ということ。反対にやせるのにいいのはグレープフルーツの香りだそうだ。
 20代、独り暮らしをしていたころ、部屋にはいつもラベンダーのコロンや花を袋につめたバス用の香り袋があった。あの頃は、太る心配など何もしないで、身近においていたのに・・・。
 今日は七夕。天気はいまひとつだけど、街角や駅の中に笹につるされた短冊がいっぱいだ。
 子供が書いたかわいらしいもの「むしをたくさんあつめたい」「ケーキやさんになりたい」というものから、「トム・クルーズに会いたい!」というやや大人なものまで。神社の絵馬を見るのはなんだか気が引けるけど、七夕の短冊はどんどん見させてもらっている。
 JRの駅の中にあった大きな笹は、ここ数日で短冊がいっぱいになった。僕の通勤時間はラッシュを少しはずれているので、何人もの大人が短冊を書いている姿にでくわす。足早に歩くコンコースで、そこだけはなんだかゆっくり時間が流れているようだ。
 子供の頃、七夕の笹は、7日が過ぎると川に流しにいっていた。父親と自転車に2人乗りして、近くの中川にかかる橋から放り投げていた。今なら、不法投棄になるんだろうけど、あの頃は当たり前だったんじゃないだろうか。同じ橋のたもとからは、柴又の花火大会の花火も遠くに見えた。
 今、家庭の笹はゴミに出すんだろうか。書いている芝居のせいか、ちょっとなつかしく思いだしたあれこれ。
 午後、北海道帰りの樺沢氏と電話で打ち合わせ。もろもろの確認をする。顔合わせ、そして稽古開始は来週の水曜だ。


2006年07月06日(木) 爆睡のあと

 久しぶりに早い時間に帰ってきたせいか、昨夜は9時過ぎに眠ってしまう。11時過ぎに打ち合わせの電話をもらうことになっていたのだけれど、何にも気づかず爆睡。目が覚めたのは、夜中の3時。留守電のメッセージを聞き、申し訳ない気持ちになる。
 今日も一日、カラダがだるい。昨日の富士見丘の授業で動いたせいだろうか。といっても、カラダでいえば里沙ちゃんの指導で腕を回したり、ジャンプしたりしただけだけど。あ、ジャンプか・・・・。
 昨日できなかった打ち合わせは、一件、明日に延期で、もう一つは電話で済んだ。
 ゆうべちゃんと寝てしまったせいか、今夜はちっともねむくならない。コーヒーのお世話にもならずに朝方まで起きている。眠くなくて起きているこんな時間は、なんだかとっても贅沢なプレゼントのように思える。大事に使う。


2006年07月05日(水) 富士見丘小学校演劇授業

 今日は「ケンカの作文を書く、演じる」。講師は吉田日出子さん。犬のトゥルーパーくんも参加。
 彼は、イビザンハウンドの6歳。とってもきれいな大きな犬。エジプトの古い壁画なんかに描かれている黒い犬。あれはほんとは黒じゃなくって白と茶色のぶちなんだそうで彼はまさにその犬。むちゃくちゃかっこいい。そして、とっても大人しくいうことをきいてくれて、授業のあいだ、いっつも「おいしいところ」にいてくれた。
 授業は、里沙ちゃんによるウォームアップからスタート。両手をぐるぐる回して、途中から右腕と左腕を反対に回す。それからジャンプ。1,2,3とカウントして3でおおきくジャンプしたり、しゃがんだり。
 予想していたけど、大人はこのへんでへろへろに。今日は、全員にみんなの前で出してもらうことになるので、最後に声を出してもらった。教室にはってある目標や自分の名前を大きな声で。
 さあ、ケンカの台本にとりかかる。
 僕と篠原さんは、2クラス60人から集まった作文から6編を選んで、テキストに構成した。いろんなケンカがある。「サッカーの帰りに英語塾に連れていかれる母と子供のケンカ」「貸したはずの野球のボールをまた友達にやってしまったという兄弟のケンカ」「犬を連れて帰ってきた母親と、ちらかった部屋でテレビを見ている子供とのケンカ」「夏休みにどこに行こうかと言い合う母親と兄と妹、それに父親」「テレビのチャンネル争いをしている姉と妹に母親も加わってのケンカ」「机にしまっていた電卓を勝手に使っただろうと姉を問いつめる弟」
 ベースになるやりとりや「これおもしろいなあ」と思えるセリフはそのまま残し、台本としてやりやすくするにはどうしたらいいかを考えて手を入れた。(たとえば、ここにもう一つセリフがあった方が会話がはずむとか、ト書きを書き加えたり)
 去年と同じに、あらかじめ、台本通りにやる組と後半即興でやる組に子ども達に別れてもらってある。
 永井さんの授業で経験し楽しんだ、即興で「場をつくる」ということを、今回も活かしたい。ただ、それは、なかなか大変なことで、全員にそれをやってもらうというのもちょっとハードな気がする。なので、台本どおりの組は、台本をそのまま読んで演じてもらっていい。もちろん、この企画には、ただ台本を読んでいくだけだと、どう上手にやるかということだけの追求になってしまうかもしれないし、それもつまらないよねという気持ちもある。
 まずはテキスト通りの組から。
 オチがついてあるわけではないのだけれど、みんなただ読むだけでなく、かなり芝居をしているのにびっくり。やっぱり小学生は小学生を演じるのがうまい。というか、そのまんまでみんなの前に立てるというのがすばらしい。
 後半は、即興組。一応、テキストの終わりまでをやりとりして、そこから即興でということだったのだけれど、途中から、どんどん書かれてないセリフが飛び出し、次はどうなるのか目が離せない展開になった。うけこたえをちゃんとしているからこそできることだと思う。
 日出子さんは、子どもたち以上にのびのびと母親を演じていってくれた。逆に、書いてあるとおりに演じようと真面目に一生懸命な子ども達を、思いも寄らない反応でひっぱりまわしてくれた。子ども達も、おとなだったら、もうだめ・・と諦めてしまいそうな展開にも、ちゃんとその場にいつづけた。僕は、なんだかすごいなあと思いながら見ていた。
 どこから即興になるか出演者どうしでくいちがうとその溝を埋めるのに時間がかかってしまうので、途中から、始める前に「どうしたい?」と確認してからやってもらうことにした。
 ある組は、「初めから即興でやる」ということに。テキストにある基本的な関係は外さずに(この場合は、電卓を使ったどうかを言い合う姉と弟)、2人は最後まで演じきった。
 午前中と午後のクラス毎の授業のあと、ミーティングルームで先生方とフィードバック(午後の2組の授業は、研究授業として全校の先生が参加されていた)。
 いろんな感想と有意義な意見をうかがう。僕が一番すごいなと思ったのは、子ども達がみんなの前で演じるということに対してのためらいのなさだ。物怖じすることなく、とにかく全員が出て演じた。テキストどおりであれ、即興であれ、これはものすごい勇気のいることだと思う。前に出る立場の子ども達だけでなく、見ている子ども達もすばらしかった。ちゃんと支えているからこそできることだ。
 今日、それぞれの発表のあとには、かならず子ども達から感想を言ってもらうことにした。ただやるのが目的なのではなく、観客の側からも感想を言ってもらうことで、あの場は、演じる者のためのだけのものではなく、見ている者のための場にもなったんだと思う。演劇には、俳優と観客が必要なんだよということの実際的な確認だ。
 今年に入ってからの授業、それに去年、一昨年の演劇授業を見ていたことや、演劇ワークショップの経験が、子供たちの中に間違いなく積み重なっていっているのがよくわかる今日の授業だった。
 それは、僕の印象では、いい役者づくりということよりも、いい観客づくりに近いような気がする。
 子ども達は、今、とってもいい観客になりつつある。いい観客の前で演ずることはとってもしあわせなことだ。そのことを彼らはきっと感じているんだろうと思う。
 彼らに伝えたい「演劇のおもしろさ」は、実はこんなところから、彼らに届いているのかもしれないと思う。


2006年07月04日(火) うちあわせ×2

 昼間、劇作家協会で富士見丘小学校関連の打ち合わせ。一昨年の授業を振り返るあれやこれや。ついでに篠原さんと明日の授業の打ち合わせもしてしまう。
 二人の分担が確認できたので、子供たちが書いた「ケンカの作文」のリライトをする。書き直すというよりは、台本としての体裁をととのえる程度の作業。セリフだけのものにト書きを加え、やりとりのあいまいな部分のセリフをととのえる。
 夜、「ムーンリバー」の美術をお願いしている小池れいさんと打ち合わせ。このあいだ行った郷土と天文の博物館の写真や、考えているイメージと場面をもとに、何ができそうかということから、話をさせてもらう。
 お、そんなことができるんだ!というアイデアをもらい、一気にイメージがふくらむ。わくわくと帰ってくる。


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