せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年07月17日(月) |
法事 「ムーンリバー」稽古4日目 |
父親の7回忌。今回は少人数で、あっさりと。お坊さんの読経を聞きながら、前はこういう法事ではもっと父のことを思ったりしたもんだったと思う。時間が経ったからということではなく、実家で仏壇に手を合わせることが多いからかもしれない。父の兄弟、母の兄弟もとてもトシをとって小さくなっている。当たり前だが、時の流れをかんじる。 稽古4日目。シアターゲームの「場を作る」に、今日は僕も参加してみる。いつもの見ている視点とやっていく意識の差にややとまどう。まだ、カラダが役者になっていけてないかんじ。あと、もう少し。 1場の改訂版を稽古。やりとりをていねいに積み重ねていくことを心がける。 稽古場にはさしいれのお菓子がいっぱい。お茶場も充実して、固定の稽古場ならではのアットホームさ。 帰り、大雨なので、バスで西新井まで。遅くまでやっている駅前のスーパーで惣菜を買って帰る。ついでに「レタスクラブ」を買ったつもりが、家に帰って見てみたら、同じ大きさの「サンキュ!」だった。1冊後のを取ったための失敗。母親用に台所のテーブルに置いて部屋に上がった。
ためこんだ洗濯物をやっと洗って干したとおもったら、にわか雨にやられた。したかなく部屋干しにする。 パソコンの調子が悪い。変換がとても重たくなってしまって、いらいらさせられる。ここ数日の暑さのせいか。熱暴走のような症状もあったなあと思い、しばらく電源を切って、寝かせておく。 ノートにサインペンで書きつづけていく。芝居を書き始めた頃、ノートパソコンをまだ持ってなかったころ、電車の中でメモ書きをどんどん書きためて、家に帰ると清書していた。 劇作家、三吉十郎の「四六時中、その芝居のことが頭を離れなくなるようでなくては、芝居を書き始めてはいけない」という言葉を思い出す。 他の誰かの「芝居は祈り」という言葉も。僕の祈りの行く先を思う。パソコンを閉じてみると、それまでとは少し違ったことを考えるのが不思議。
2006年07月15日(土) |
「ムーンリバー」稽古3日目 |
昨日のシアターゲームに加えて、即興のエチュードをやってみる。全体を2つのチームに分けて。 はじめ、じゃんけんをしたら、ゲイチームとノンケチームにきれいに分かれた。まずはノンケチームから。こんなおもしろがりかたができるのもうちならではだろう。 一人ずつ、場面に入っていって、場をつくっていくエチュード。二回目にチームを変えて、計4つの組が演じた。なんておもしろかったんだろう。一人一人がちっとも重ならなくて、その人しかできないことをじゃんじゃんやれている。 これよりおもしろい芝居にしなくちゃとややあせるが、すばらしいキャスティングができているんだということを再確認。 昨日の続きの冒頭の稽古。昨日は成立しなかった、人物同士のやりとりができている。客席向きにはいつでもなれる腕をもった役者さんたちが、お互いだけを頼りに舞台にいられてる。昨日から今日の大きな変化がたのもしい。 キャストの採寸をまみぃにしてもらう。今回は、ある意味、全編コスプレなので、衣装の調達を考える。 帰り、今日も巣鴨まで歩き、途中であらかたのメンバーは飲みに流れ、僕は東くんと2人で二丁目に。久しぶりのタックスノットへご挨拶に。 とっても混んでる週末の夜、タックさんに確認しておきたかったことを伝えて、了承してもらい、早い終電に間に合うようにあたふたと帰ってくる。
2006年07月14日(金) |
「ムーンリバー」稽古2日目 |
実質の稽古初日。 自己紹介をかねてシアターゲームをいらいろやってみる。一昨日感じた、いろんな人がいっぱいいる感はさらに高まる。 羽田さんのリードでストレッチから。体型の近いどうしということで、僕が組ませてもらったのだけれど、ほんとにきっちりカラダをキープしている人なんだなあと感動する。僕は、あちこちが突っ張って、へろへろに。 拍手をまわしたり、しりとりをしたり、チーム作りの初日というかんじ。 彫刻家と粘土、タクシーと運転手と2人組のゲームをやっていく。ユニークな発想が新鮮だ。 冒頭のシーンをざっくり立ってみる。舞台の説明から始めるが、何もない空間でのいかたの難しさが見えてくる。 正面向きじゃない、やりとりに集中できるカラダになりたい。 帰り、巣鴨までの道をおしゃべりしながら歩く。前に一人で歩いたら死にそうになった道も、おしゃべりしながらだと、それなりにたのしい。蒸し暑い夜、ひんやり冷えた山手線に乗ってひといきつく。
資料を読む日。セリフを書きながら、思いもよらないことを登場人物が言い出してしまい、調べものをする。 あたりさわりのない、だいたいの情報でなく、1979年の彼らが話す言葉のナマっぽさを考える。 斉藤憐さんの「劇作は愉し」をぱらぱら読む。参考にというのではなく、戯曲を書く上の「覚悟」のようなものを確認する気持ち。 母親と来週の法事の話をする。父親の七回忌。お寺や食事のこと。こんなときだけの長男の仕事を確信犯でおもしろがる。
2006年07月12日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 「ムーンリバー」稽古初日 |
午前、午後の四時間。2組、1組の順番で。 今日の講師は鴻上尚史さん。声とカラダをつかった表現の授業。 輪になって自分の名前をいうというゲームからスタート。僕たちはいつものように、はーい、輪になるよ!と子ども達をうながそうとしたら、鴻上さんに「子供じゃないんだから、大人は見てる」と言われる。たしかに、いつもやや世話を焼きすぎていたかもしれない。ということで、今日は、全てを鴻上さんにお任せして、ちょっとひいたかんじでの関わり方。 名前を言っていくゲームは、その後、名前を言ってから、女子は1つ、男子は2つ手を叩くというものに進展。拍手をまわすゲームもやった。 次は3人組になって、2人が手を繋いで「便器」になる。間に入った1人は「うんこ」。1人の鬼が「便器チェンジ」というと「うんこ」は動かずに、「便器」が移動。鬼も便器になるので、あぶれた人が新しい鬼になる。他に逆のパターンの「うんこチェンジ」、また、全取っ替えになる「便所爆破」も。人数の関係で、これには、僕と里沙ちゃんが参加。けっこう必死になって遊ぶ。おとなどうしで手を繋いでしまって「おとなげないね」と言い合う。 続いて、彫刻家ゲーム。2人組で1人が彫刻家、もう1人が粘土。よろこびやいかりといったテーマをやったあと、できあがった作品はそのままに、彫刻家が他の作品も鑑賞。いいと思った作品の前に立って、どれが一番いかしてるか品評会。 粘土は彫刻家の指示に従わなくてはいけないので、自分ではやらないような姿勢や表情になる。とても大胆な表情でかっこよかったスギモトさん。いつもはとっても大人しい人なんだそうだ。里沙ちゃんは、ペアになったイトウくんに、やたら片足を上げたままのつらいポーズをやらされていた。 後半は声を出す。声の要素はなんだろう?という質問。いや、具体的には「声の何を変えると、声は変わるのか?」という質問をして、「何」の部分をいろいろ言っていく。大きさ、早さ、高さまではわりとすぐに出た。それぞれ、大きい声を出したり、小さい声を出したり(例文の「声の大きさを変えると声は変わる」と言う)ささやき声を出してみたり。はじめに鴻上さんが、実際に小さな声で子供たちに指示を出すと、子ども達がみるみる集中していくのがわかる。鴻上さんの声はさらに小さくなって、言われたとおりにささやく子ども達の声もどんどんかすかになる。この集中しているかんじが、とても気持ちのいいものだった。みんなで同じ、いい集中をしたというかんじ。 残る2つがなかなか出ない。いろいろな意見がでるのを、辛抱強く待って、たどりついた答えは、1つが「間」。「早いテンポでしゃべっても間が長い人もいるし、ゆっくりで間が短いパターンもある」というのを、子供を叱る母親のセリフで演じてみせてくれた。とってもおかしい。 最後の1つは。声質、音色。なかなか出てこなかったのだけれど、誰かが「質」と言った。鴻上さんは「お、すごいな、誰?」と言ったら、4,5人がいっせいに手を挙げた。そんな大勢の声じゃなかったような気がするけどなあ。 声の質をいろいろ変えて、しゃべってみる。黒柳徹子の声、先代のドラえもんの声、クレヨンしんちゃんの声、安田大サーカスのクロちゃんの声などでもりあがる。 授業のあと、今日もミーティングルームでフィードバック。 鴻上さんのお話で興味深かったのは、読書などで内面を充実させることが表現力につながるという考え方もあるけど、表現の方法をいろいろやっていくことで内面が育っていくということもある、ということ。いつもは出さない声や話し方をすることが、それまで知らない考えや気持ちを思うきっかけになる。 今日、子ども達は、声とカラダの表現を、遊びながら、いろいろやった。先週までは、演じる人と見る人に分かれて何ができるかというような授業だったけど、今日は、全員が演じる人、というより、みんなが自分に何ができるだろうという自分自身を見つめる授業になったと思う。 昼休み、先週の授業の感想の作文をいくつか見せてもらう。印象的だったのは、これまで知らなかった友達のいろんな面を見ることができたというものだ。子ども達も僕たちと同じようなおどろきと感動を味わっているんだなあとうれしかった。 今日は、中学校の職業体験授業ということで、去年卒業したタカヒロくん、コウタくん、ミズキちゃんが授業の見学をしてくれていた。みんな、びっくりするくらい大きくなって、とっても大人だ。久しぶりに会えて、とってもうれしい。 彼らは朝から夕方まで、校内のいろいろな仕事をしているんだそうだ。今、書いている芝居に登場する中学二年生の「ホンモノ」に会えて、絵空事でない人物を描こうとあらためて思う。
夜、「ムーンリバー」の稽古一日目、顔合わせ。にしすがも創造舎にて。 僕らの稽古場は3年2組。今日は一日中、学校にいるような気分だ。 退院して間もない大門さんをのぞく、全キャスト、それに舞台監督のさっこさん、美術の小池さん、制作の對馬さん、それに樺澤氏。小学校の教室にある机を椅子に座って、学級会のような顔合わせ。 挨拶のあと、制作からの連絡、それから、「ムーンリバー」についての説明をそれぞれの人物についての説明。家族や友人といったチームごとになって、黒板の前に並んで立ってもらう。 今回初めて客演してもらう、記生ちゃん、東くん、阪口さん、羽田さん、それににしやんといっこうちゃんに佐都美ちゃんと、もう、これだけいろいろな面々がそろうともう並んで立った絵面を見ているだけでわくわくしてくる。 美術の打ち合わせをしたあと、稽古は明後日から本格的にということで、今日はざっくりと解散。 窓からきれいな月が見える。ホンモノの月は大人になるほど小さく見えるものだけれど、今日の月は、やけに大きくりっぱに見える。見る方の目の問題なのかもしれない。 小池さん、さっこさん、樺沢氏は、場を変えての打ち合わせに移動。僕は、對馬さんと西新井行きのバスに乗って帰る。いつも乗っているこのバスに誰かと乗ることになるとは思わなかった。芝居の話をいっぱいさせてもらう。
声の仕事の日。スタジオの入りが一時間押しになって、それまでの時間、近くの公園をのぞいてみる。野良猫がいっぱい。やややせたものから、毛艶のいいふっくらとした仔猫までいろいろ。 ここは、この界隈の一息つけるところ=憩いの場のようで、会社員やお年寄りが散歩したりベンチでくつろいだりしている。猫の写真を撮っている人も何人か。 白黒のぶちの仔猫がひとなつこくて、さわっても逃げない。ひとしきり遊んでいたら、おじいさんに話しかけられた。「雨降ると猫はつらいねえ」というところからあれこれ、猫話をする。 しばらくしたら、猫がびくっとして立ち上がった。おじいさんは「男だとこわいのか、やっぱり」と言う。「男だと」? どうやら、僕は「女の人」だと思われているらしい。たぶん「おばさん」に。目をしぱしぱさせながら話してる、このかなり高齢のおじいさんには、そう見えてるんだ、きっと。しれっと会話をつづけたけど、こんなとき、自然に声のトーンが上がってしまうのはなぜだろう? 猫もそのまま歩いていってしまったので、僕も「どうも……」挨拶してフェイドアウトする。 しばらくして雨が降り出した。近くの化粧品点で大きな傘を売ってるのを見つけて、購入。いつなくしても後悔しない値段。そこでは、ポーチュガルやら、MG5やらタクティクスが店先にどーんとあった。まだ現役なんだとびっくりする。すごいロングセラーなんだ。
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