せきねしんいちの観劇&稽古日記
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2006年10月07日(土) |
「許しつづける女たち」稽古 |
昨日のうちに予定をたてて、時間を区切って抜き稽古の予定が、どんどんおしてしまう。 3時までに一区切りと思っていた5場の稽古が終わったのは18時過ぎ。みっちり、芝居をつくっていったせいだ。おもしろかった。おもしろい芝居になった。 休憩のあと、6場の前半のやりとり。まずはこんなかな?というところまで。 最後に3場と1場を通してみる。久しぶりの1場がとても楽しくもりあがった。ぐーんとコメディの要素がました印象。それとチームワーク。3場でもかんじたいいチーム感がとても気持ちいい。 9時に終了して、お先に失礼する。 渋谷で平田さんと待ち合わせをして、富士見丘小学校の子供達の作文と絵を受け取る。前回の授業で出た宿題。未来の地球について。 帰りの電車で、作文を読み、絵を見てみる。どれいがいて、王様がいて・・・という社会の構造を描いたピラミッドの絵があったのだけれど、「王」じゃなくて「玉」になって、思わず笑ってしまう。いろいろな未来がとどいた。篠原さんと打ち合わせをして来週の授業の準備をしよう。
2006年10月06日(金) |
「許しつづける女たち」稽古 |
すごい風と雨。傘をさして自転車ででかけたら、傘が壊れて、引き返す。 これは台風なんじゃないか? 京成線〜都営浅草線も遅れていて、遅刻して稽古場入り。 昼間、今回、声の出演の山本くんの録音。音響の鈴木さんと二兎社の「書く女」についておしゃべり。 一度、電話で声を聞いただけの山本くんなのだけれど、声の質にあてて書いた今回の役。きっちり演じてもらってなかなかおもしろくなったと思う。お疲れさまです。 その後は稽古。5場の前半から初めて、病み上がりのアカネちゃんをまじえて、4場後半。まずはやってみようということで、とりあえず。 2場と3場を通して、今日はおしまい。 帰りは、雨が少し小降りになった。それでも、まだ風はとても強い。ニュースを見たら、台風が低気圧になったものだと言っていた。そうだったんだ・・・・。 夜中、うちの猫は風と雨の中、出かけていって朝帰り。
2006年10月05日(木) |
「許しつづける女たち」稽古 |
今日は仙川の稽古場。久しぶりに降りた仙川の駅前がすっかり様変わりしていてびっくり。今日も、雨降りの中の移動で稽古場に着く前に早くも疲れてしまう。 稽古は、3場の後半から。読み合わせだけで、きっちり立ち稽古をしていなかった場面を。どんどん人が増えていきながら、加速していくノリがおかしい。さもない会話をていねいに組み立てていく。稽古をしていると、だんだんみんなのやりとりというか、その場にいることに慣れていくのがわかる。何が違うのかというのをきっちり伝えてあげるのが、僕の仕事なのだろう。 雨が続いている。うちの猫は夜中、外に出たがっているが、今日は中にいなと言い聞かせる。余分にエサをあげてみるが、イライラと爪をといでいるので、一瞬だけ外に出して、どうしようかと動かないでいるのを、ほらねと抱き上げて、部屋に入れた。
2006年10月04日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 「許しつづける女たち」稽古 |
今日も、発表会のための作品づくりのための授業。昨日までは、前回の篠原さんにつづいて僕が構成した台本を用意して、また違った場面を演じてみてもらおうという予定だったのだけれど、予定変更。みなみちゃんが書いてきてくれた、「犬のチョコ」の話をもとにした短い場面を篠原さんが用意して、「見えないものを見てみよう」ということについての授業、そして、「おもしろいと思うのはどんな劇」か、「おもしろくないと思うのはどんな劇」ということについて話し合ってみてもらおうというものに。 子供達から届いたお話をもとに、芝居を書き上げることは今の段階でもやれないことはないのだけれど、もっともっと彼らの言葉と思いをすくいあげたい。そして、大人が作ったものをやってみるのではなく、自分たちで劇をつくるんだということをもっともっと感じて、芝居づくりを楽しんでほしい。 里沙ちゃんによる、アップ。今日は「見えないものを見てみよう」ということなので、長なわとび。はじめは縄をつかって。次は、縄なしで。1クラスずつ順番に。全員が縄ありで跳んで、次はなしで。見えたり、見えなかったり。回し手がなかなかに重労働。 続いて、「犬のチョコ」の場面を読んでみる。健翔さんがしきってくれる。 前回の「光速のマシーン」同様、輪になって座って、「。」で区切って、全員で読んでいく。 誕生日に犬をもらった子供のおどろき。箱をあけたら犬がいた、そのびっくりするかんじをやってみる。 はじめは、輪のまんなかの箱があって、1人がそれを開けておどろく。 続いて、全員が、その場面のセリフを演じる。箱を開けたら犬がいて、びっくりする。 「びっくりするとどうなる?」と健翔さん。 じゃあ、犬じゃないことをやってみようと。 里沙ちゃんに尻尾が生えた。里沙ちゃんがきれいな着物を着ている。里沙ちゃんがハゲてる。外から入ってきた里沙ちゃんを見た子供達から、その都度、溜息や歓声が上がった。 次、窓の外の木に花が咲いてる。振り返ったら、大きな花が咲いてるのに気がついて、驚く。 「あ!って思うとどうなる?」と健翔さんが子供達に聞く。 「声が出る」「肩が上がる」「目を開く」「口を開く」 「他には?」と健翔さん。 「息を吸う」と誰かが答えた。聞いていた僕と篠原さんは、そのとおり「息を吸った」 子供達は、自分でたどりついた。びっくりすると息を吸うんだということに。 それを踏まえて、もう一度、一人ずつ箱を開けて、「あ!」とおどろくというのをやってみる。 びっくりすると息をのむけど、「あ!」っという声を出すには、息を吐かないといけない。「どうなってるの?」と考え出すとものすごくむずかしくなってしまいそうだけど、子供達はそれぞれのやり方で箱をあけて、おどろいていた。 最後に、全部のセリフを1つのチームで演じておしまい。おもしろくなった。 続いて、どういう芝居がおもしろいかという話。 みんなに書いてもらったお話についての感想をあらためて。 みなみちゃんの「犬のチョコ」のその後がどうなるか?を聞いてみる。どうなると思う? 僕も篠原さんも、みなみちゃんの展開は思いがけなくてステキだと思っていたのだけれど、子供達から出た意見、アイデアも、それぞれとても意外なものばかりだった。息をのんだ。一人が特別なんじゃなくて、みんなが特別なんだと思った。ちょっと反省した。 どんな劇がおもしろい?という問いかけにはこんな意見があった。 「展開が予想できない」「くだらない」「感動する」「真剣な場面なのにお腹が空く」「登場人物が違う(いろいろな人がいる)」 つまんねえなって思うのは? 「先が読めてる」「笑いがない」「感動しない」「真剣な場面を真剣にやるとつらくなる」 「登場人物がみんな同じ」「どろどろしてる」「入り組みすぎてるもの」「同じことが続く」「場面が変わらない」「主人公以外が出てこない」「イメージと違う」 劇作家は、そのとおりだよなと、耳の痛い意見ばかりだった。 子供達は、ちゃんと何がおもしろいかを知っている。そして、それを、かなり具体的に言葉にしてくれた。 最後に、劇中でタイムマシーンで未来にいくことになるのだけれど、じゃあ、その未来はどんな未来だと思う?というのを考えてもらうことにした。これは宿題。 ななこちゃんの書いてきてくれたお話を外枠として使いたいと考えているのだけれど、その未来の地球のありようをどうしようか?ということをみんなで考えてほしいというのが、昨日の篠原さんとの打ち合わせだ。 破壊された環境というのもありだけれど、もっとおもしろい設定があるはず。彼らが考えた、未来の地球について、もっと話を聞いてみたい。それをもとに、来週の授業の準備をしよう。 その後、うちあわせ。1組の田中先生から、みなみちゃん、ななこちゃん、小林くんの作品が、モチーフになったということについての子供達の受け止め方をうかがう。僕らには全くわからないクラスのようす。そういうこともふくめて、みんなで芝居をつくっていく。 昨日、一昨日と休ませてもらった仕事をかたづけにいく。その後は、稽古。今日は世田谷の鎌田。富士見丘から練馬へ行き、新宿経由、成城学園まで。そこからバスにのってようやくたどりつく。一日、ずっと移動しているような気分。 稽古は5場を。まずは前半のミカちゃんとあっくんのやりとりをつくっていく。2人しかいない場面をどんどんやっていく。 次々登場する人物。場面の終わりが切ない。リマちゃん、マチャ、ツナコ、きっちり芝居をしてくれている。でも、切ない自分をわらってみるみたいな視点がほしいとも。今日は、ここまで。いい稽古だった。 帰りはバスで二子玉まで出て、田園都市線、東武伊勢崎線、すわりっぱなしの旅。授業も稽古も(仕事も)楽しいのだけれど、移動でへとへとだ。雨の中、徒歩で家まで帰り、ぐったりと横になる。
2006年10月03日(火) |
「許しつづける女たち」稽古 |
今日も仕事を休ませてもらって、台本に向かう。 午後、芸術文化振興基金の説明会@駒場エミナースへ。 その後、「許しつづける女たち」の続きを書いて、夕方、なんとか書き上げる。 脱稿。まずは子供は生まれた。稽古場の直しはあるだろうけれど、とりあえずはこれで6場の芝居の幕が降りる。 稽古場へ台本を持って行き、まずは読み合わせ。 後半の3場で約55分。まだまだテンポよくなるはずだ。 脱稿祝いの乾杯の予定だったのだけれど、明日の富士見丘の準備もあり、まだまだこれからという気持ちでいっぱいだったので、まっすぐに帰ってくる。 メールのやりとりをいくつかしたところで眠ってしまう。夢も見ないでぐっすり眠った気分で目を覚ましたら、まだ1時間ほどしか経ってない。ひさしぶりにちゃんと寝ようと思うが、今度は目が冴えて眠れない。結局、そのまま起きてしまい、5時過ぎにメールを大量に送ってしまう。
仕事を休んで、一日台本。「許しつづける女たち」と明後日の富士見丘小学校の授業のためのテキスト。どちらも先延ばしにしてきたツケ。締切、ぎりぎり。なんとかしないと。 昨日の「書く女」は、書きつづけることへ勇気をくれた。 もらったものを、文字にしていく。
待ち合わせ。モの字くんと渋谷にて。gaku-GAY-kaiの出演について。 ムラポンのウィッグや衣装を担当してくれていた彼。劇団の養成所にいたこともあるということで、ひとしきり芝居の話。「贋作・犬神家の一族」の竹子役をお願いすることにした。
二兎社「書く女」公開ゲネプロ@世田谷パブリックシアター。森川くんと。 樋口一葉を作家として女性として描いた力作。 一葉はたぶん一番好きな作家だと思う。「にごりえ」「十三夜」「わかれみち」「大つごもり」「たけくらべ」。どれを読んでも、頭の中がすっきり整理されるようなすがすがしさをかんじる。 一葉といえば、困窮のなか作品を書き上げ、あともう少しで幸せになれたのに、そのトバ口に立ったところで亡くなってしまう、なんて気の毒な作家なんだという印象があった。 井上ひさしさんの「頭痛肩こり樋口一葉」は、一葉についてのとてもすぐれた、そしておもしろい評伝劇だけれど、ここで描かれる一葉も、自分はもう死んだものと思っている、やっぱり不幸せな一葉だ。 今回の「書く女」の一葉は、しあわせだ。それが何よりびっくりして、何より感動したところ。 明治の文壇の作家達、というか、若い男の子達と交流する一葉。家族になじられながらの作家生活、でも、やっぱり暖かく見守られている。 このしあわせな一葉の姿を見ることができて、僕はほんとにうれしかった。一葉の日記にも、「頭痛肩こり・・」の中でもただ事実としてしか語られない、若い文学者たちとの交流がこんなに目の当たり見られるなんて・・・・。 半水桃水への思いは、とても有名で、あらかたのことは「それは知ってる」ということだけれど、彼が書いていた「胡砂吹く風」という小説、当時の朝鮮を舞台にした日本と朝鮮の共生を描いたものだと知ったのがとても新鮮だった。 同様に、一葉が生きた明治のこの時代が、日清戦争を背景にしたものだということにも、初めてきづかされた。 年表の文字の羅列ではない、その時代を生きている人間の姿を通して、はじめてわかったのだと思う。時代を切り取り、時代を描くというのはこういうことなのだ。 「書く女」には、多くの明治の女達が登場する。田辺花圃をはじめとする彼女たちは、作家として自立しようと、もしくは一人の人間として自立しようとするのだけれど、果たせない。今も昔も人生をおしつけられ、おさえつけられている「日本の女」のありようなのかもしれない。 「書く女」としての一葉の作品に、どれだけ、彼女の生活が反映しているかがとても興味深かった。ああ、なるほどと思うことが多かった。劇中でも語られるけれど、作品とは結句、作家の人生そのものなのだということがよくわかる。 僕は、この舞台から、書くということについての勇気をもらった。ただただ不幸なだけじゃなかった一葉さんに出会えたことがほんとにうれしい。 出演者はみなさん、切ってはめたような好演。一葉役の寺島しのぶの一人になった途端に自由自在になる存在の大きさに圧倒された。机に向かい書き続ける姿の、なんと力強く、勇気づけられることか。映画「恋に落ちたシェイクスピア」のインクで汚れた指のシェイクスピアに並ぶ、書くための元気と勇気をくれる姿になった。
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