せきねしんいちの観劇&稽古日記
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猫がもらわれていった ここ数日、家の近くで子猫が泣いていた。 よれよれの黒い小さな猫。なんでうちに来るの?と思いながら、ほうってもおけないので、えさをやっていたら、どうやらうちの玄関先にいついてしまいそうに。それもしょうがないかと母親と話していた。 夜、帰ったら、その猫がいない。 昼間、近所の女の子が引き取っていったそうだ。 最近猫がなくなったというそのおうち、きっとかわいがられるだろう。 子猫がいた間、なんとなく落ち着きがなかったうちの猫も、顔つきがのんきになった。 網戸ごしに聞こえてきたもらわれていった子猫の鳴き声は、これまでのせっぱつまったものじゃなく、ただ甘える声になっていた。 寝ていたうちの猫がふと起きて、耳をすましている。僕も一緒に耳をすます。
一日、仕事。 この週末、行きたいと思っていた何本もの舞台に結局行けなかった。 青山吉良さんの舞台も、日程をど忘れしていて、見逃してしまう。 それでも、夜には、予定通り、行きつけのバー、アイランドの12周年パーティに顔を出す。 その後は、タックスノットへもごあいさつに。 早い日曜の終電でばたばた帰宅。
来年3月の新作「新・こころ」の資料を探す。 漱石はひととおりは読んでいるのだけれど、今回の新作にあたっての 視点「男と男の愛と友情」からきっちり読んだことはなかったので、あらためて読み返す。「こころ」「野分」、そして、評論もいくつか。 明治の年表も確認。戦争とのかかわりもふくめて。 「こころ」を初めて読んだときの不思議な違和感が、今ならきちんと説明できる。 そのあたりが、きっと今度の新作のかなめになるはず。
11月に作・演出する舞台、パルズシェアーの打ち合わせ。 白井さん、佐藤さんと。 題材を確認する。あらかじめやりとりしていたことをもとにした話し合い。 シンプルにすんすんと固まっていった。 去年の「許しつづける女たち」より、ずっと素直な構造になりそう。 これなら、だいじょうぶと、ちょっとほっとする。
2007年07月18日(水) |
富士見丘小学校演劇授業 |
朝から、富士見丘小学校の授業。 卒業公演のテーマについての話し合い。 つづいて、篠原さんと僕から、「どんな芝居がおもしろい?どんな芝居がつまらないと思う」という質問。 びっくりするほど、しっかりした意見が発表される。 卒業公演のもとになる作文=お話は、夏休みの宿題だ。 夏休み明けにそれをもらった、僕と篠原さんは、台本を書いていく。 今日聞いたことを忘れないように。おもしろいものにしていかないと。 まだどうなるか、何にもわからないけど、方向は見えてきた、そんなかんじ。
マチネが千穐楽。 平日マチネは、さびしく終わるんじゃないかと心配だったのだけれど、大勢のお客様にささえられて、終演。 今日も、舞台上、舞台裏で会う一人一人がとても愛しい。
終演後、バラシ、そして、打ち上げ。 みなさん、どうもお疲れ様でした!
みんなでつくった「サロン」、仲間と過ごす時間と場所。 それは、ほとんど劇場にいる時間や芝居している時間と等しい。 一瞬一瞬がかけがえがなく、そしてなつかしく思える。 そして、今、ここにそれがあること、そこに行こうと思えば、いつでも行ける。 そんな今があることの幸せ。
台風がいったと思ったら、今度は地震。 出かける前の台所でめまいがするなあと思ったらゆらゆらと揺れる地震だった。 台風で電車がとまったらどうしようと心配していたのに、今日は地震で電車が遅れる。 余裕で出たはずが、ぎりぎりに劇場入り。 ソワレ、終演後、劇団鹿殺しの丸尾丸一郎さんを迎えてのポストパフォーマンストーク。 チョビちゃんも一緒に。 今日は、僕が質問される日。誠実に答えることを心がける。 答えながら、自分のなかで確認していくことがいくつも。 言葉にすることの意味を考える。 明日で、「サロン」もおしまい。 MLに「明日でおしまいですよ!」と今井さんからメール。なんだか胸がいっぱいになる。
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