Easy-WorkStyle
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2002年04月06日(土) |
なんかいい仕事ないかなあ |
今日は江東区の図書館でお勉強。
まわりを見渡すと、後ろが税理士の勉強をしてる人、横が社会保険労務士の勉強をしている人、右前が弁理士の勉強をしてる人だった。みんな勉強して独立しようと思ってるんだろうなあ。かくいう私はシステム監査の勉強をしようとしながら、結局図書館の本を読んだだけ。あかんわ、集中力なくて。
考えてみれば今までやってきたシステムの仕事なんてこつを覚えたら誰でもできる仕事で、ハッキリ言って、スペシャリストとは到底言い難い。営業店で全然使い物にならない連中がシステム部にくると立派に管理職になったりしているもの。笑ってしまうよ。考えてみればみるほど本当にいんちきな商売だ。
プログラマの人はすごいと思うのだけど、SEなんてバカでもできる。かっこつけて仕事してるふりしているけど、システム設計なんていいかげんでもなんとか動くもの。プログラマが勘違いさえしなければ、ちゃんと動く。あとは、ベンダーがマシンをちゃんとチューニングしてくれれば、立派にシステムは動くものだ。要は「期日をしっかり守ってるか」ということと、「仕様を勘違いしてないよね」という2点さえおさえていればオッケーなんだよ。この2点だけおさえていれば給料がもらえる。そんな簡単な仕事だ。
それでもトラブルがおこるのは、その2点でさえきっちりおさえてないということだ。ほんとに大バカだ。(自分のことやけど。。)なんといってもスケジュールの管理が大切。無理なスケジュールでぶっつけ本番をやると大概失敗する。結局システムづくりも人間のやってることなので、ミスはつきもの。事前にしっかりテストをしておけば、大概はうまくいく。そんなもんだ。そんなものに一生懸命になっているのが馬鹿らしくなってきた。誰でもできることになんでこんなに時間を費やさないといけないのか?こんなことをあと10年以上も続けるのかと思うとめまいがしてくる。
で、転職しようかなあと思って、自分のスキルを振り返ってみると、何もないことに愕然となった。確かに情報処理試験はいくつか合格しているけど、これってスキルなのかかなりあやしい。たしかにコンピュータのことをちょっと知ってるくらいの意味はあるかも知れないけど、それでどうやねんという感じ。結局は誰でもできることにちょっとだけ箔がついてるだけ。司法書士や税理士みたいにすぐに食っていける仕事ではない。英語もからっきしだめだし、何をとりえにやっていけばいいのか。。
転職雑誌などをみると、自分より年下の人たちが取締役とか社長とかで写真にのっている。ま、確かにそういう連中はひとにぎりなんだろうけど、それでも、いままで自分は何をやってきたんだろうと振り返るとかなり心許ない。過去をいっさい捨てて、新たにできることは何かなあとかんがなくちゃいけない。今晩からあしたにかけてよく考えてみよう。弁護士という選択肢も考えてるけど、子供を育てるのにたちまちお金が必要だ。司法試験に合格しても研修期間から独立までの数年間の生活資金がない。ある程度の資金確保をしていきながら、ステップアップする必要がある。
結局はお金だ。自分ではこんなことをしたいと思っても手許に余裕資金がないうえに住宅ローンを払っていかなくちゃいけない。こんな状態で転職も何もないでしょとかみさんに言われるのがおちだ。でもあと10年もたてば、用済みになってしまう業界だけに、ちゃんとその後のことを考えておかねばならない。もともと集団主義の中でやっていけないタイプなのに, どうしてサラリーマンなんかになっちゃんたんだろう。ホントにバカだ。
子供のためにも父親が楽しく働いている姿を見せたいものだ。
この前かみさんの安産を願って、安産祈願で有名なお寺に行った。
このお寺は古くからあるとても由緒正しいお寺のはずなのだが、安産祈願の価格がなんと2万円!!もするのだ。お寺は銀行などと同じく公共性があるのだから、いくらなんでももっと常識的な線で価格設定をして欲しい。 腹帯とお守りの原価は一体いくらだろう?いいとこ500円じゃないか?500円のものを2万円で売ったら1万9500円も儲かるじゃん。むちゃくちゃだ。利益率97.5パーセント!!!
そもそも祈祷と言っても、うじゃうじゃお経を唱えているうちの一瞬に名前が入るくらいじゃないか?気持ちも何にもなく、お寺は過去の権威のみを傘に、ぼろ儲け主義、拝金主義に走っているのではないか?
だいたいお参りにくる人もよくそんな大金をそんなところに払おうと思うものだ。弁護士への法律相談30分に1万円払う時は、高いなあと思って躊躇するくせに、全然親身に考えてもくれないところに、ポンと2万円もどうして払えちゃうのだろうか?2万円もだせば、温泉一泊できるよ。その方がよっぽど胎教によろしいのではないだろうか。 ということで、僕らは賽銭50円のみを賽銭箱に入れて安産祈願して、早々に退散いたしましたよ。ハイ。
またまた大阪に帰って、家族そろってよい週末を過ごした。
昨日は有馬温泉に日帰り風呂。今日は近場の大仙公園で花見だ。 昨日の有馬グランドホテルは最高によかった。お風呂と昼食のセットなんだけど、お客さんもそんなに多くなく、広いお風呂に6人ほどしかいなかった。露天風呂は子供と僕とで貸し切り状態。いや〜極楽極楽。料理も最高においしくて、至福のひとときをすごせた。このホテルは送り迎えも愛想よく、本当に最高。ほとんど死にかけの4ヶ月のご褒美にと奮発してよかった。発案のかみさんに感謝感謝。 昨日はぜいたくだったので、今日は近場の大仙公園にお弁当をもって花見。これがまた超満開。最高!上手い具合に桜の木の下に場所があいていて、そこで食べるお弁当のおいしいことおいしいこと。お弁当を食べた後、子供とごろんと昼寝がまた楽しい。目を開けると満開の桜。横を向くと楽しそうな我が子。ああなんたる幸せ。 会社でのいやなことなんかどうでもよくなってくる。仕事より家庭をとってよかった。こんな週末を毎回過ごせたら幸せだろうなあ。残業さえ減ればこういう週末が過ごせるだろう。今度はどこの部署かわからないけど、スピーディーに仕事をこなして、早く帰るようにしたい。 マイホームパパを笑うやつは笑え。
2002年03月21日(木) |
あやうくトラックに轢かれるとこだった。 |
今日、トラックに轢かれかけた。自転車で歩道を走っていると、急にトラックがバックで飛び出してきたのだ。あと3秒ほど通過するのが遅かったら轢かれていただろう。トラックの若い運転手があやまっていたが、謝って済む問題じゃなかったかもしれないのだ。 子供の時にもローラスケートで坂を下って遊んでいて、突然前を車が横切ったことがあった。なぜかそのときは、ふうっと誰かが持ち上げてくれたような気がした。完全にぶつかるタイミングだったのになぜかかすり傷ひとつしなかったのだ。今思い出しても不思議な体験だった。 定命といって、仏教では人間には与えられた命があるというのを瀬戸内寂聴さんの本で読んだことがあるが、そういう意味では、どういうわけか私自身が生かされているという感覚がすごくする。まだ死んだらあかんよと仏さんか神さんがが手を差し伸べているように思える。
子供が障害を持ったのも、何か縁があったのかもしれない。子供が障害を持たなければ、夫婦で障害について話をしたこともなかっただろうし、ましてや子育てが夫婦共同で行うものという認識に僕がいかなかっただろう。男は外で仕事をし、女が家庭を守ればいいという古い感覚のまま生きていたことだろう。ひょっとしたら離婚していたかもしれない。 大学のころボランティアで障害者の世話をしていたのだが、それもどういうわけか自発的にやっていた。誰かに強制されたわけでもなく、友達がやっていたわけでもないのに、やりなさいと空の上から見えざる手が僕を誘導していたような気がする。手話の勉強もしようとしていた。その頃はかみさんと結婚することも、生まれた子が障害児になるということも決まっていなかったはずなのに、すべては予定されていたかのように、自分の経験の中にちゃんと障害児に対する基礎ができていたような気がする。 子供が障害になったときに読んだ本に、神様はちゃんと見ていて、障害児を育てられる家庭にしか障害児をつれてこない、みたいなことが書かれてあった。 いろんなことがすべては関係しているのかもしれない。運命論者ではないけれど、人生はあらかじめ予定されているのかもしれない。ただ、選択できる時もあって、そのときどういう選択をするかということで、その後の人生が変わっていくのかもしれない。でも自分が選択した道自体もひょっとしたら神様はお見通しなのかもしれない。
今回、東京を拒否して大阪に戻ることが人生にどういう影響を与えるのかわからないけれど、これはなるべくしてなったとも思える。これから第3の人生をどう生きるか、真剣に考えたいと思うのだ。 森毅さんの本に「人生20年説」というのがあって、人生20年ずつ4回あると書いてある。1回目が学生の20年間、2回目が仕事の20年間、3回目と4回目は忘れたけど、40ぐらいから60ぐらいまでの人生に何をするのかというのは大事だと思う。あと3年で40歳。第3の人生に向かって今から準備をしていこう。
今日はあんまりお天気が良いので、公園でお弁当を食べることにした。 昨日は大阪に帰って、子供のカブスカウトの組集会にいったし、公園で野球をやったりと、子供と触れ合えて楽しかった。今日はさらにのんびりしようということで、車で20分くらいのちょっと大きめの公園に出かけた。わりと穴場のようで、駐車場もとめれたし、お昼を食べれるベンチも結構余っていた。 これはなかなか穴場だなあとかいいながら、お弁当を食べていると、隣に精神薄弱というのかなあ、ときどき奇声を発したりする人4人ぐらいとその介助のボランティア4人の合計8人ぐらいのグループがお弁当を食べだしたのだが、周りの人たちがあからさまにとても怪訝な顔をしだした。いかにも「のんびりしているところにこの人たちは何?」って感じ。
普段、障害者が周りにいないからそういう対応になるんだろうなあ、と思った。鎌田慧の本に、非常に有名なスポーツクラブでダウン症の子供を一目見るなり、入るのを断られたという話が書いてあったが、結局、普段の生活に障害者がいないから、そういうのは排除してかまわないという論理が働くのだろう。「変な奴は排除してしまえ。」という論理。 結局いじめもそういう論理から始まるのだろう。ちょっと変わってる奴とか、おとなしすぎる奴をみつけて集団から排除するのだ。絶対多数の中に自分の身を置きたいから、いじめ集団に加わって多数の中に入ろうとする傍観者たち。とにかく波風のたたない居心地のいい集団の中に身を置いておこうという保守的な感覚がいじめを助長している。
今日の障害者に対するまわりの人たちの反応を見ながら、つくづく日本は嫌な国に成り下がっているなあと思った。障害者をまわりでバックアップするのじゃなくて、そういうバックアップしている人を含めて排除しようという感覚。そういうのが普通になっている。 ちょっと気分を害しながらお弁当をたべたのだけど、唯一救われたのが、障害者の世話をしているボランティアの人たちの屈託のない笑顔だ。こういう人たちが増えれば、世の中も変わっていくのかなあと。。。
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