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2002年05月14日(火) |
右を向いても左を見ても |
瀋陽総領事館の北朝鮮亡命者見逃し事件で、いろいろマスコミが騒いでいる。
ああいうビデオを見て、中国の主権侵害じゃないか!と真っ先に思う人と、なんだあの総領事館職員のたらたらした動きは!と思う人とで見方が異なる。
確かに総領事職員の動きはひどい。治外法権のいわば日本国領土内に勝手に侵入したことを咎める様子もなく、なにやってんのかなあって感じである。まさか韓国のテレビが撮影してたなんて思いもせずに油断してたんだろう。
ここ最近、北朝鮮の人たちの大使館駆け込みが増えているというのに、そういう事態が発生したときのコンティンジェンシープランは無かったんだろうか?少なくとも敷地内に侵入してきたら断固阻止するべきだろう。ホントに何やってんだとつっこみたくもなる。
しかしながら、マスコミが主張すべきは、あくまで中国の主権侵害をたたくべきだ。外務省の不甲斐なさは今に始まったわけじゃない。そんな日本国内のうちわもめは後でよくて、問題は中国が勝手に人の領土に入ってきたことを問題視するべきだ。他の国の人がみても、中国人が敷地内に入ってきたことをまず問題視するだろう。
それを日本のマスコミは外務省批判にすぐ矛先を変えてしまう。そんなことだから中国になめられるのだ。
今日、仕事中にネットサーフィンをやっていて、このフジ子・ヘミングに行き着いた。
もともと仕事の用語を検索していたはずなのだが、気がついたら、なぜかたどり着いた。彼女は学生時代は、天才ピアニストと呼ばれていて、さあこれからという時に聴力を失ったピアニストなのだ。
知らなかったのだが、3年ほど前、NHK教育テレビで大反響となり、復活を果たした奇蹟のピアニストだそうだ。今は少し聴力は回復されているそうだが、大きなハンディだと思う。
それで、会社帰りに早速デビューアルバム「奇蹟のカンパネラ」を買ってきた。帯には「みずからの内部に回帰していくその軌跡が感じられる」とか「音と音とのすき間の音がきこえる」とか書いてあり、なんだかよくわからないのだが、素人感覚ではあるけれど、確かにショパンのノクターンやリストの愛の夢などは非常に聴き心地がいいというのはよくわかる。
本人はどういうふうにこの音楽を「聴いて」弾いているのだろう?
うちの子供も音楽できるようになるのかなあ。。。
鬼束ちひろのCDを借りにビデオ屋に行ったのだが、ビデオのコーナーで前から見たかった黒沢明監督の「生きる」も借りてきた。
深夜1時半までかかって見終わったのだが、素晴らしすぎて声もでないくらい感動した。志村喬の演技力と映画の中ででてくる「ゴンドラの唄」を歌う2回のシーンが圧巻。 最初は小説家に連れられてクラブハウスのピアノに合わせて歌うシーン。これはすごい。2番まで歌うのだが、2番は志村喬のアップでずっとフィルムを回している。ピアノの旋律とずれていき、涙を溜めながら歌う様子がズームアップされたままなのだ。
そしてラスト前の主人公が雪の降る夜に公園のブランコで歌うシーン。さっきのクラブでの歌が伏線になっていたのだ。
いままで何もせずにやってきた市民課長の主人公が、胃癌を宣告されたことにより、生き方を変える。各課をたらい回しにされて棚上げになっていた児童公園設置の嘆願を最後の仕事として、各課を地道に説得して回るのだ。はじめて市民のために生きたと感じたのだろうか、雪の降る中、公園のブランコで泣きながら「命短し、恋せよ乙女…」と唄うのだ。
お役所仕事の様子や権力に媚び諂う様子が50年近くも前の映画とは思えないほど生々しい。今も全く変わっていないのではないか? 今の官僚諸君はこの映画を一度見て考え直して欲しいものだ。
希望かなって、やっと大阪に帰れた。
が、職場は元の部署。この部署は今月末をもってなくなる部署だ。特に仕事もなく、片付けをひたすらやっている状態。
ま、この暇な状態から、新しい生き方を考えるようにしよう。
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昨日の中国総領事館の亡命一家見逃し事件の映像を見る度に、この国の崩壊がもうすぐそこまでに迫っているような気がしてならない。
小林よしのりの「わしズム」という雑誌にも書いてあるが、本当にこの国はむちゃくちゃな方向に進んでいる。杉原千畝が生きていたらなんというだろう。日本は本当に背骨のなくなった軟体動物になっているのだろうか。
生きにくい世の中を憂えてみても、憂いがなくなるわけじゃない。みんなが最初の第一歩を踏み出せるそんな社会になれないものか。
「おやじの世直し」嶋中労さんという方の本を読んだ。
いや、おかしいのなんのって、私が言いたいことを全部さらっとエッセイに書いている。最近の若者の傍若無人振りに腹を立てているとこといい、理不尽なことに対してすぐ逆上するところなんかよく似ている。
ホントに最近の世情はおかしい。おかしすぎる。バブル崩壊のころ、僕達が会社員になったころからおかしくなってきている。お父さんは地域に全く見向きもせず、母子一体化した教育がとんでもない子供達を生み出している。父性の復権が言われて久しいが、一向に学級崩壊はなくならず、教師も無能なら、母親も無能で、父親は会社の事だけで手一杯で地域や教育にはとんと無関心。ついでに政治にも無関心で、もう日本はめちゃくちゃである。
近所の小学校の子供会の役員をやっているが、この前、教頭と歩いていると子供がよってきて、「どこいくのん?」と教頭に聞いている?なんじゃこのガキ、教頭先生に向かってなにタメ口きいてるんだと思ったが、その教頭は「体育館の鍵あけに行ってるんだよ」と普通に受け答えしている。この光景には唖然とした。なんじゃこの教頭。ともだちと違うんだから、そんなバカなガキ無視しろと思ったが、そんな関係が今はいいんだろうな。だからなめられるんだ。
子供会で馬頭琴の演奏会を企画したことがあるが、そのときの子供の態度など信じられないを通り越して、怒鳴り散らしたかったが、我慢した。今度あんなことがあったら、怒鳴り散らして殴りまくってやるところだ。
馬頭琴の演奏だというのに、体育館では、そこここで車座になって喋りまくり、バスケットボールを持ち出して遊んでる子供も入れば、おにごっこよろしくドタバタ駆け回っているのもいる。それが音楽を聞く態度か?うちの子供は耳が聞こえないにも関わらず、その演奏を体で受け止めようとしていたにもかかわらずだ。なぜ怒鳴り散らさなかったか?と言われると、その子供達の親がいたからだ。本来親が叱るべきなのだ。なのに親は叱らない。それがふつうだといわんばかりだ。もういい加減にしてほしい。まず、親から説教しなくちゃいけない。異常としかいいようがない。 父親はまず、会社から離れるべきだ。会社など、自分がいなくても結構回っていく。ハッキリ言ってどうでもいいところだと早く気付くべきだ。病気になったところで心配してくれるわけでもなく、単に残業させて、本来持っている能力を潰してしまうところと早く気付くべきなのだ。
それより、もっと家庭に戻って子供の教育を考えるべきだと思うのだ。
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