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トルストイといえば、イワンの馬鹿ぐらいしか思い出さなかったが、昨日本屋のキリスト教の棚に「365日のことば」とか「トルストイの民話」というのがあり、作家であると同時に宗教家であることを初めて知った。
今日、朝の電車で、山本有三の「世界名作選」という文庫本を読んでたのだがその中に「人は何で生きるか」というトルストイ作の民話が入っていたのだが、非常に重いテーマを昔話調で語っている。
貧しい靴屋が寒い夜更けに礼拝堂の前でうずくまっている裸の青年を見つけることから話が始まるのだが、この青年は実は天使で、1人の女の魂を抜くのを躊躇したことで神様から「人間の中にあるものは何か?」、「人間に与えられていないものは何か?」、「人間は何で生きるか?」という3つのことがわかれば天に戻ってもよいという命題を与えられて地上に降りてきたのだ。靴屋との1年あまりの暮らしの中でこの3つの命題を理解するという話なのだ。
この本は小・中学生向けの本なのだが、本当に深い内容だ。人間はなぜ生きるのか?
いろいろな著名な人が「なぜ生きる」とか「生きる」とかいろいろな本を書いているが、どれもいまいちピンとこなかったが、このトルストイの小説はわかりやすい。
ほろ苦い経験というのは、結構あとから効いてくるもので、あの時なんであんなことしたんだろう?とか、ホントにバカだったよなあとか、なんて青かったんだろうなあなんて思ってしまう。
恋愛でも仕事でもそうだが、ボクは後先考えずに「えいやっ」という感じで思った通りにやってしまう。
好きな人にめちゃめちゃ変なシチュエーションで告白したり、段階に達していないのに「キスしてもいい?」なんて阿呆なことを聞いたりしてしまう。段階を踏むというのがめんどうなのかもしれない。
仕事でも嫌なことがあったら、ずけずけと言ってしまう。阿呆な上司には「あんたそれは間違ってるよ!」とずばり言ってしまうので敵が増えてしまう。もっと周りを気づかえば良いのだけれどそういうのができない。
今朝、電車の中で大学を卒業してから今日までのおバカな過去を次から次へと思い出しては苦笑していたのでした。。。。早く大人にならねば。
今年も花粉症の季節になって、鼻がむずがゆい。
今年は特に花粉量が多いようで、ボクももろに直撃されている。
しかしながら、僕らのこどものころにはこんな病気あんまり聞かなかったのに、最近は、やたらと患者の数が多い。
一説には戦後の植林事業で杉を植えすぎたからという話も聞くけれど、なんとなく、日本人の体そのものが弱くなってるんじゃないかなあと思えなくもない。
インフルエンザだって昔からあったけれど、こうも毎年毎年ワクチンをうたないといけないくらい流行したことはなかったような気がする。
しだいに日本人のからだが蝕まれている原因は、実は、食品を輸入に頼っているからではないだろうか? 日本の土地で収穫したものではなく、なんか外国で採ったり作ったりしたなんだかよくわからないものばかり食べていることが、体をすこしずつ悪くしているのではないだろうか?
と思うのは少し考えすぎなのだろうか?
テツandトモの「なんでだろう?」が大ブレイクしているが、このグループがヒットしているのはなんでだろう?
今の日本はおかしなことが多すぎる。ホントにいろんなことに「なんでだろう?」と聞きたくなってくる。
こち亀バージョンだけでなく、いろいろバリエーションがとれるのがヒットしている原因なのだろうか?
今のところ一番の問題は発泡酒の値上げだ。みんながビールが高いから発泡酒に切り替えたのに、税金をあげるのはなんでだろう?ビールの税金をあげればイイのに、庶民から税金をとるのはなんでだろう?
他にもいっぱい「なんでだろう?」というのがある。
医療費を3割負担にするのはなんでだろう?健康保険料を値上げするのはなんでだろう?配偶者特別控除をなくすのはなんでだろう?いらない特殊法人はいっぱいあるのに僕らに一番必要な住宅金融公庫がまっ先に廃止になるのはなんでだろう?
大企業は借金チャラにしてくれるのに、僕らの住宅ローンはチャラにしてくれないのはなんでだろう?終身雇用が日本の自慢だったのにリストラされるのはなんでだろう?
小泉首相がいまだに支持率が高いのはなんでだろう?脱北の人を日本に亡命させずに韓国におしつけるのはなんでだろう?世界中が反戦なのに、アメリカの言いなりになってしまうのはなんでだろう?
デフレで困っているのにインフレターゲットを設けないのはなんでだろう?日本の子供達の75%将来を悲観しているのはなんでだろう?自殺者が1年に3万人以上いるのはなんでだろう????
2003年02月21日(金) |
ニッポンを取り戻そう |
最近、どうもアメリカの悪いところばかり学んで日本のよさがなくなってきている。
先日も書いたが大阪府立のろう学校高等部が1本化されてしまう。愛知県には4校もあるというのに。。これを統合による合理化とか効率化とか活性化などということばを使って、さも喜ばしいことのように言う。最近は企業も合併ばかりだ。合併して不要となった人をリストラするのだろう。
リストラ、リストラ、リストラの嵐だ。
最近の世の中といえば、合併、合理化、能力主義、勝ち組/負け組、グローバルスタンダード、というアメリカから持ち込まれた海賊主義、アングロサクソンの論理だけがまかり通って、昔の日本が持っていた謙譲の美徳だとか、武士道というようなものがなくなってきている。
リストラがさもあたりまえかのような風潮はおかしな話だ。いままで通りで別にかまわないのに、何もしなくてもいいのに、なんだか合併しないといけないかのような悪しき風潮がまん延している。
先ほどのろう学校の統合など、いったいこれをすることでどれほどの効果があるというのだろう。特殊学校だけに少人数教育は維持しなければならないので、別に教員の数を減らすわけにもいかない。2ケ所が1ケ所にかわるだけだ。どこに何の効果があるのだろう?
たしかに使わなくなった1ケ所を売却すれば利益がでるかもしれないが、今回の案は別の場所の廃校になった学校を使うという案であるため、その場所を売却しなくなった機会損失が発生するため、全く利益がでない。では、なぜ何の効果もない統合をやってしまうのだろう??
多分稟議書には生野高等ろう学校の売却利益だけを書いてあるのだろう。廃校になった白菊高校の売却を止める損失(機会損失)は書いてないのだろう。上は何も見てないのだろう。合理化効果を適当に報告すれば、よしよしよくやった。合併すればそれでイイのだ!ってな感じなのだろう。そういういい加減な流れで、生野の近くに住んでいた生徒の親を動揺させるだけだ。何が面白くて府民を混乱させるのだろうか?そういった人たちの転居費用とか通学費とかは全部家庭に押し付ける気だろうか?
話は変わるが、今日の新聞に朝鮮学校の卒業生は大学入試資格を与えないのに、インターナショナルスクールの卒業生には大学入試資格を与えるということが書いてあった。一体どういうことだろう?
英米語を使う学校はOKだが、朝鮮語を使う学校はNG。どういう発想でそういう結論がでるのだろう。日本の高校の卒業生など、英語も朝鮮語もひどい場合は日本語も満足にできないのに無条件で大学入試を受けれる。一方朝鮮学校の生徒は朝鮮語と日本語のバイリンガルなのに大検を受けなければ大学の入試すら受けさせてもらえない。ホォワイ?どういうことなんだろう?
日本は戦争時代は鬼畜米英なんて言ってたくせに、今じゃ米英の飼い犬になりさがってしまったのか?
NHKの大河ドラマで宮本武蔵をやっているが、ニッポンは今こそ武士道の精神をとりもどし、昔の立派っだったころのニッポンを取り戻さなければいけないのではないだろうか。
さよなら米英。こんちわニッポンなのだ。
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