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東京のとある中学校で、期末試験の選択問題の回答が逆から読んだら○○ホソイとか△△チコクとなるような(○○は女子生徒の名前、△△は男子生徒の名前)出題をしたということで、保護者に抗議を受け、新聞沙汰になっている。校長は取り返しのつかないことをしたといい、その先生と一緒に学年集会で生徒に謝罪したということだ。
こういう記事を読むと、どうしてこれくらいのことで新聞沙汰にするのだろうと不思議に思うし、そもそも中学校2年生にもなって、どうして保護者が抗議するのだろうと首をかしげざるを得ない。
だいたい先生のそういうおふざけに目くじらを立てて、生徒の前で謝罪させる校長も校長だ。その先生に同情したくなる。ちょっとしたおふざけでなんで生徒の前で謝罪せねばならないのだろう?生徒たちはそれで気がすんだのだろうか?
もし、そうさせることを生徒達が当然と感じ、その先生をつるしあげることを正義と感じるのなら、日本の将来はなんだか末恐ろしい気がする。しかも自分達が抗議したのではなくて、親がかわりに抗議したのにもかかわらずだ。大人になるにはジョークはジョークとしてさらりと流すだけの懐の広さが必要なのではないか?教育はそういうものだろう?不真面目はダメかもしれないけれど、ただそれを勧善懲悪の紋切り型で断罪するのは酷だろう。なんとも不自由な学校だという気がする。
きっとその先生は、今後冗談など言わなくなってしまうだろう。ふざけるとすぐに親からつるしあげられて生徒の前で、(いみじくも聖職者が、)教え子に頭をさげねばならないのだ。こんな馬鹿な話はないだろう。
「不真面目な先生やなあ!」と笑ってゆるせば、みんな幸せになれただろうに。
2003年03月05日(水) |
春が来るのはサラ金だけか。。 |
ア○ムの宣伝だが、若い男の子が、かわいいア○ムのお姉さんを訪ねてくるシーン。そのときのお姉さんの笑顔の裏にどうしても「しめしめ、かもが来よったわ」と言ってるように思うのは気のせいでしょうか。。。
それにしても消費者金融のコマーシャルが多い今日この頃。
物価は下がりまくり、わがマンションも下がりまくる。
誰かはやくこのデフレを止めてくれないかと思った矢先、今日は首相が「誰が首相になってもデフレを止められない」などと、わけのわからん発言をしたようだ。やる気がないのならさっさと辞めてほしい。
庶民はきょうもあっけらかんと借金を背負うではないか。。。
「記憶力を強くする」という本を読んだ。
東京大学の助手で池谷裕二という人の書いたもので、おもに脳の側頭葉の内側にある「海馬」のことを中心に記憶というものを最新情報を含めわかりやすく解説した本だ。
なかでも、年をとっても記憶力が減るというのは間違いで、頭を使えば使う程記憶力が良くなるという点が意外に感じた。
「年をとって、どうも物覚えが悪くて。。。へへ」なんていう言い訳をすることがあるが、こういうのは間違いで、ハナから覚えようとしていなかったということらしい。そういえば、小学校の頃は、ずいぶん簡単なことを何回もくりかえしくりかえししてやっと覚えたような気がする。
著者も記憶はなんども失敗しながらくり返していくことで記憶が定着すると言っている。なんのことはない、簡単に覚えれるわけではないのだ。くり返しが必要なのだ。
タクシー運転手が複雑な道路を記憶できるのは、何度も何度もその道を通るという体験をしているからだそうだ。おどろいたことにタクシー運転手の海馬は普通の人より発達しているらしい。脳細胞は増殖することはないのだが、唯一例外的にこの「海馬」の歯状回という部分の顆粒細胞だけは刺激によって増殖するのだそうだ。
大人になってくると、こういう根気のいる記憶をとろうとせず、表面をさらっと経験しただけで、記憶した気持ちになっているから、本当に記憶できないのだそうだ。もっと興味を持って何度も何度もくり返す必要があるらしい。
また、記憶方法も細かいことをちまちま覚えるのではなく、まず大掴みで掴んでそれから詳細を記憶する必要があるということだ。
ふむふむ、なかなか難しい。
あと、新しい体験(旅行とか)をするとか、楽しいなあと思うことが海馬を刺激し、記憶を向上させるらしい。楽しいことといえば、、すぐ変なことを想像するが、記憶力向上のためにいろいろ経験するのも良いようですな。
2003年03月03日(月) |
システムがおかしい。。 |
最近システムトラブルが多い。 おととい航空管制のシステムトラブルで100本以上の国内線が運休になったが、最近日本のコンピュータシステムがどうもおかしい。
企業にコンピュータシステムが導入されだした昭和40年代当時のシステム部門は、とにかく少ないメモリとハードディスクをいかに有効活用するのかが重要だった。日々頭を悩ましながらプログラムやJCLを組み換えては最適なシステム運用とは?ということを考えながらシステムを作っていた。
当時はシステム部門に配属されると、とにかく一からプログラミングを学び、細心の注意を払ってシステムを組み立てる訓練をしていた。(というよりは、秩序立ててシステムを組まないとすぐにダウンしてしまうような能力の弱いコンピュータを相手に格闘していたという感じだ。)
ところが、コンピュータが一般の人にも使われ出したここ数年のコンピュータの進歩は著しく、プログラミングの基礎などわからなくても、プログラムが作れるようになってきた。メモリの有効利用やそもそものコンピュータの特性など知らなくても、プログラムが要領良く動いてしまうようになってしまったのだ。
これが、最近のしょーもないミスの連発につながっているのではないだろうか?
経営はとにかくスピードを求め、システム部門も簡単になったプログラミング技術でその要求に答えようとして、昔のように細心の注意を払って隅々まで検証するということをしないようになってきた。それよりも早く作って、一発勝負で成果を早くだそうとしている。
昔のようにゆったりとシステムを構築していると、経営に非難されるので、プロトタイプを作っては、じゃんじゃん変更して、とにかくスピードをあげて成果を急いでいるという感じになってきた。
ここ数年の大企業が引き起こしたシステムトラブルはみんなそうだ。システム部門の慢心が引き起こしたものだ。
15年以上前のシステム部門は縁の下の力持ちだった。経営の中枢には全く縁がなく、深夜まで労働しているのにその見返りもないが、「おれたちがこの会社の屋台骨を背負っているのだ」という自負があった。そして、いつか経営陣を唸らせる存在になりたいと思って、みんなが一生懸命力を合わせて頑張っていた。
ところが、最近は経営陣もシステムの価値がわかってきて、IT部門が一躍経営の表舞台にのし上がってきた。これがそもそもの間違いだ。システムが縁の下の力持ちで、みんな一所懸命やっていた時代と異なり、浅い知識で十分システムが作れる時代になったことが、災いしたのだ。それでいてシステム部門は自分たちを偉いものと錯覚しはじめた。経営の中心がシステムと思うようになった。とにかく慢心のはじまりである。
一昔前なら、絶対にテストしていたようなことを簡単に忘れてしまうようになった。新聞などをみても「なんでこんなテストしてないんだろう?」と思うような事象ばかりだ。
基本がとにかくなっていない。わけのわからない専門用語を並べては偉そうにしているシステム部門になど未来はないのだ。
最近、よく眠れる。最近どころか、ここ20年ぐらいよく眠れるのだが、6時間以上寝てもぜんぜん眠いのだ。
どこか、おかしくなってきているのだろうか?年寄りになると早く目覚めるなどというが、ぼくはどちらかと言うと高血圧気味のはずなのに、朝だけは低血圧の人のようにいくらでも寝れるのだ。
一方、寝る時もめちゃめちゃはやい。そもそも寝入りっぱなに何かを考えるということができない。「何かを・・」ぐらいでもう寝ているのだ。2秒もかかったことがない。布団に入って、右を向いて「ああ、、今日は・・」と1日の回想すらできない。
布団に入る手前で寝てしまう時もあるくらいだ。この前は眼鏡をはずそうとしてその状態で寝てしまったので、朝起きると眼鏡が完全に顔に貼付いて、パンダのような型がついてしまったこともある。
この睡眠の状況をなんとかしたい。5時間ぐらいの睡眠ですっきりする方法はないのだろうか?
昨日、8分間運転中に居眠りをしていた新幹線の運転士が新聞の1面トップで批判されていたが、僕などこの記事を見て、ああ新幹線ってちゃんと止まるんだ日本の技術って凄いなあと人とは全く違うところで感心したのだが、世の中はこの居眠り運転士を問題視しているようだ。
こういう記事を読んで、運転手にならんで本当によかったと安堵した。新聞を読んでると前日の睡眠時間が10時間なのになぜ居眠りをするのか!などとこの運転士を責めまくっている。
この記事を見て、我が身をふりかえり、背中が徐々にピキーンと凍っていく感じがした。ボクなど、会社の会議で8分はおろか30分間ぐらい眠ったこともある。8分くらい意識がないことなど、もう過去200回はくだらないだろう。くわばらくわばら。JRなんかに勤めたらもうとっくに解雇されていることだろう。ボクは少し耳が遠いので、ぼそぼそしゃべられたらもうおしまい。ほとんど子守唄のように感じてしまうのだからどうしようもない。
新幹線のコックピットがニュースで映されていたが、すごく気持ちよさそうな椅子だ。あんな椅子に座ろうものならボクなど8分どころか前日10時間寝てても福岡から東京までずっと寝てそうだ。いやホント。
いままで今の仕事に不平不満を言っていたが、この事件をきっかけに心を入れ替えて、ちゃんとお給料をいただいていることに感謝しなければとあらためて思ったのでした。(が、今日の会議でもしっかり5分は意識がなかったよ。)
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