今年の夏休みは8月10日から9日間。でも別に嬉しくもなんともない。夏休み最終日の夜の憂鬱が今から想像できすぎてしまうので。それを味わうのだったら最初から夏休みなんてなくていいのに、とさえ思ってしまう。
でも明日から突入するよ。何しようかなー。
えっと、ぼくが所有しているスネアは2台あって、ひとつは2003年購入のソナーのブラスのやつ。もうひとつは2005年購入のグレッチのメイプル。
あくまでも主観であるけど、ソナーくんは、打てば響く、というカンジでmanemonoライブなどでは好んで使っています。スネアで音量稼ぎたいときも、比較的思い通りに鳴ってくれる。メタルシェル独特の甲高い音もぼく好みなのですね。
グレッチくんは、木胴ではあるけれどなんだか木胴っぽくない。どっちかというとカンカンと甲高い音がします。これはフープのせいもあるのかもなあ。でもこれで音量稼ごうとすると結構苦労するので、ソナーくんに比べると出番は多くありません。逆にもっと木胴っぽい音だったら使い分けることができるんだろうけど。
そもそも2005年当時に木胴を購入しようと思い立った理由は、ソナーくんとの使い分けがしたかったから。でもショップでいろいろ試しているうちに、やっぱりメタルシェルっぽい音に傾いてしまったんですな。当時の自分の好みの音は、いわゆる木胴っぽい音ではなかったんだろうと思います。
3台目のスネアを購入したいというのは実は数年前からずっと思っていて、当初は「もっとすっごい下品」な音のするスネアがほしかったのであります。シェルはスチールで、値段も安くていい。「どロック」を叩かせたら、その下品さで存在感No.1、みたいなイメージで考えてたんですけど。
なんだけど、最近お手伝いでたまーにスタジオに入ることがあって、そのバンドではスネアの存在感とか全然いらないのでグレッチくんを持って行ったりするんですけど、なんかイメージと違う。そんなに鳴ってくれなくてもいいのに、なんか主張してしまう。しかも本人まったく意図していない下品なフィーリングで。
オープンリムで「カーン☆」なんて音は全部の曲を探しても一音だって必要ないバンドなんですよ。だから全体のアンサンブルのなかにスネアの音もうまく混ぜ込みたいと思ってやってるんだけど、全然思い通りにならない。技術的なものもきっとあると思うんだけど、技術不足を埋めるのはやっぱり器材なんだろうなと思い始めて。
そんなわけで近々、三台目を購入してしまうかもしれません。最近ドラムに対する情熱みたいなものが失せ始めているような気がしてたんですけど、でも新しい器材ほしい、と思えるのはきっと失ってないからよね、なんて思って安心しています。ではまた。
さすがに今日は日記を書かないといけないと思った。
昨日は午後から秘密バンドの練習があったので何年ぶりかで下北沢に行った。下北沢駅が地下鉄駅になっていてびっくりした。
練習後に品川に向かい、そこで妻子と合流。懐かしい雑色の居酒屋に行く予定になっていた。
京急で雑色駅へ。途中の京急蒲田駅も随分変わっていたし、到着した雑色駅ももう以前の面影はまったくなかったんだけど。
「お店、あいてるかなー」なんて心配しつつ雑色駅から歩いてお店に向かう。前回お盆に行った時は休業していたので。
のれんをくぐり、引き戸を開ける。「こんにちはー」って行ったら、マスターが「あれー?」って。随分驚いた様子だった。なので「ご無沙汰してますー」って言った。
今日は三人で来ましたー。みたいなことを言ったら、ママさんが来て、
「いやー会えてよかった。実は今日で店閉めるんですよ」と。
えっ。なんですか?( ´ ▽ ` )
なんですって???! Σ(゚д゚lll)
一瞬耳を疑った。 ママさんがイキサツを説明してくれた。
ママさんの親御さんが介護状態になってしまい、ママさんが店をやりながら6年間も介護生活を送っていたと。 そしてそんな生活も限界が来てママさんが体を壊してしまったと。 マスター一人で店を回すのも無理だし、バイトを雇ってまで経営するような店でもないと思ってる、っていうこととか。 再開できるかわからないけど、今後の状況次第ではまた再会できたらと思っている、など。
断腸の思いで、と言ってた。「だからお二人にはもう会えないと思ってたから、来てくれてうれしい」とも言ってくれた。「今日は最後の日だから、常連さんがみんな予約入れてくれてこれから満席になるんですよ」とマスターが言った。でも小上がりの手前側の席の予約は七時半からだから、と言って通してくれた。
なにこのマンガみたいな展開
と思わずつぶやいてしまった。
この居酒屋を知ってからもう9年になる。今回は2年ぶりに来ることができた。でもこれが最後になるなんて。そして閉店の日にたまたま来ることができるなんて。すごく残念でもあるんだけど、これは奇跡だな、とも思った。
二時間弱の短い時間だったけど、数々の懐かしいメニューを堪能。この店で過ごす最後の夜を楽しんだ。この店がなかったら今の僕らはいなかっただろう、というのは大げさでもなんでもなく真実だと思う。もう何十回通ったかわからない(おそらくは100回近い)が、いつも「いい店だな」と思うのだ。それがなくなってしまう、という実感は正直ないが喪失感はんぱない。人生の大事な一部をなくしてしまったという感覚。もっと来ていればよかったという後悔。
でも悲しみに打ちひしがれているわけではない。マスターやママさんには、またどこかで会える気がするのだ。ただの気のせい、であるとしても、その可能性が限りなく低いものであったとしても、でもそのおかげで大丈夫でいられる。そして最近、自分の周りにもいろんな変化があって、「もうあの頃とは違うんだよなあ」と思うことが増えて、そういうことに対しての耐性ができてきたのかも、と思ったり。
さようなら。ありがとう。またいつか。
さようなら。雑色で過ごした日々。懐かしいけど。でもこれで本当の意味で「卒業」です。ぼくらはこうやって、いろいろなものに別れを告げながら、前に進んでいくのです。
2013年6月22日。その日、そのお店はぼくのなかで完全に神格化され、伝説となりました。伝説はぼくのなかで、これからも生きていきます。懐かしい思い出たちとともに。
今年の4月は、なんだか4月っぽくないカンジでもう終わろうとしているなあ。こないだまで結構寒かったしね。桜も今年は早くて、4月に入った頃にはもう終わりかけてたし。仕事的にもね。戦闘モードに入ってなくて、何もかも中途半端。あーあ
2013年03月20日(水) |
ドライヤーのことなど |
最近、ドライヤーを新しいのに変えたのだ。
以前使っていたのは9年前に蒲田で一人暮らしを始めた時にサトームセン(だったかな?)で購入したもので、結構長く使っていた。ここ何年かは「ブボボボ」って変な音がしたり、風量が一定しなかったりで調子悪い感じだったんだけど、あまり気にせず使っていた。「どないや、このドライヤー」と思いながら使っていた。でもドライヤーって外出前に突然壊れたりすると大変困るよね。なので嫁タソが予備でもう一個買ってくれていたんだけど愛着のあるヤツをそのままずっと使用していたというわけだ。
ひと月ほど前に嫁タソが見かねて新しいドライヤーを出してきた。どんなもんだろ、と思って使ってみたら、風の温度が前のと比べて低くて、髪が乾きづらい気がした。やっぱり愛着のあるほうがいい気がした。その後しばらく洗面所には新旧二つのドライヤーが並べられていて、どちらも使えるようにはなっていたんだけど、我慢して新しい方を使い続けた。髪の乾きが悪いな、と思いながら。
つい最近のある日、洗面所から愛着のあるドライヤーが消えていた。嫁タソには確認していないが、多分古い方は捨てたんだと思う。でももう新しいドライヤーに慣れていたところだったので、特に困ることはないと感じた。自然にそう感じた。あんなに愛着のあるドライヤーだったのに。思い出のいっぱいつまったドライヤーだったのに。
きっと蒲田で一人暮らしを始めた頃のことはこれからも懐かしんだりすることがあるんだろうと思うんだけど、つい最近まで使っていたドライヤーのことはきっと少しずつ思い出さなくなって、いつか忘れてしまうんだろう。それはなんか不安な気がして、久しぶりに日記を書いてみたわけなんだけど。
きっと当時の生活のことを思い出させてくれる小物とかを捨ててしまうことで、当時を思い出せなくなってしまうんではないか、という不安をいつも持っているんだと思う。だからなかなか捨てられないものも多い。でも捨ててしまえばきっと自然に忘れていくのだ。忘れていっていいものなのだ。だって、それ以外にも忘れていはいけない大切なものがぼくにはたくさんあるはずなので。
ドライヤー以外にもずいぶん長く使っているのがオーブントースター。雑色のドンキで購入したものだ。多分もう8年近く使っているんだと思うがこちらはまだ元気だ。ちょっとびっこを引いているヤツなんだけど性能は落ちていないらしい。でもいつか寿命が来るんだろうな。そしたら「どうした、トースター」と言葉をかけて弔ってやるとしよう。
|