おぎそんの日記
おぎそん



 境界


「人々はことわりもなく僕と親密になった――それもとても早くから。だから僕は誰かと親密であることに慣れていると思われるだろうが、そんなことはない。むしろそのために、僕は決して他人を寄せつけなくなった。今ようやく、なぜ人は親密さを求めたりするのか、わかりかけたばかりだ」
と、コリーは言う。

境界の難しさがここにある。
ボクであること、あなたであること。
それは歴然としているはずなのに、なぜかボクとあなたと混在してしまう感覚が否定できない。
それは本当に自分のしたかったことなの?と問いかけても、はっきりと自信を持って答えられない、ということがある。

他人の、あなたに嫌われたくないからだ。
そう、目の前の相手に、不快な思いをしてほしくない。

いや、それはきれいごと。
不快な思いを”ボクが”観たくないからだ。

だから先回りをするのだ。


自分のプライバシーを知られたくないくせに、他人のことは詮索したくなる。自分は安全圏にいたい。

自分は鬼になりたくないのに、鬼ごっこに参加している。
鬼になりたくない子は鬼ごっこに参加する資格などないのに。


・・・そうだね。
まだまだ難しいな、と思うけれど向き合うこと。
これからだね。

2006年02月18日(土)



 僕らはヒーロー

高校時代の友人がボクシングをしています。
もうデビューして5年経ったのかな。

先日(とゆーか、年始ですね)、みんなで一緒に飲んだときに「今度試合があるんだ」と言っていて。
東京に居るのがおぎそんだけだったというのもあって>昔―デビュー戦―はあと2人居たんだけどな、なんとか都合をつけて行ってきました。
後楽園ホールまで。

しっかし。
おぎそん、全然ルールとかわからないんですよね。
はじめの一歩とかもほとんど読んでないし。

ホントに○×級と言われても見当はつかないし、A級ライセンスとかB級って言われても知らないし、4回戦とか10回戦の区別もわからなくて。

まぁ、それでも付け焼刃でいったんですけどね。

彼が出るのは第6試合で、「大体19時過ぎかな」と言っていたら、まさにそのとおり。
やるじゃん、教芳>プロに失礼です

まぁ彼の出る試合の前に、4回戦(4ラウンドまでで決着をつけるということ。デビューしてばっかりとかのC級ライセンスが該当するらしい)があったのですけど。
やっぱり、今日がデビュー戦とか言うボクサーもいたみたいで。

観客がそういう応援団だな、とわかるんですね。雰囲気で。
喚声とか。

そういうのを見つつ、”あぁ親御さんは心臓に悪い”と思いながら、見ているんだろうなぁ、と。
やっぱり可愛い息子が殴られる場面なんか見たくはないと思うんですよね。
でも、それに耐えて、相手に喰らいついていく姿。
どう思っているのかな。成長したな、なのか。
それともやっぱり、子どもが望んだこととはいえ怖いわ、なのか。


友人が出る試合になって、おぎそんもちょっと親御さんの気分になりまして(苦笑)。
だって、KOじゃなけりゃ、ずっと心配しながら見ているしかないんですよ。今日は8回戦(つまりは、A級ライセンス取得者&8ラウンド)だったのですけど、約30分ほど”どうなんだろう””今、優勢なんだろうか””相手のあのパンチはどんな評価なんだろうか”とか気にしてないといけないんです。
一瞬で決まるものじゃない、判定の場合。

心臓に悪いです、ホントに。

結果は残念ながら2―1で判定負け。
でも、彼が頑張っている姿を見ながら、そうか誰もが”Stand and Fight”なんだよな、と妙に納得させられました。
ボクは実際に何か見えるものに対して闘いを挑んでいるわけではないけれども>まま、ある感想

教芳、お疲れ様でした。

2006年02月14日(火)



 Stand and Fight

日々は積み重ねるものじゃなくて磨り減っていくかもしれないけれども

2006年02月12日(日)



 だから憶えてる

久しぶりに定例会があって、その後に飲んでいたら、いつの間にやら最寄り駅までの終電を逃してしまった。

漫画喫茶などで夜を明かそうかとも思ったのだが、そういう気分でもなく大人しく次の電車に乗り込み、高幡不動駅まで辿りつき歩いて帰ってきた。


少々、感傷的ではあるけれども、もうこの駅で降りることはないだろう、と思うからだった。
家に帰ってくるまで―いつもならば1時間強―2時間弱ゆっくりゆっくりと歩いてきた。


ボクたちはいろんなことを忘れてしまう。
「憶えていよう」と思っていても、それが叶うことはない。
いつかは忘れてしまうのだ。

いつかは記憶からこぼれ落ちてしまうとしても、憶えておこうとすること。
実はそのこと―その心構え―が肝心じゃないのかな、とも思う。

ボクたちはとにもかくも呆れるくらいに忘れてしまう。
忘れてしまうからこそ、それを防ぐためにさまざまな手段を講じなければならない。そうでなければ、語られなかったものは”なかったこと”になってしまうからだ。

”あったこと”と”なかったこと”には本来、大きな隔たりがあるはずである。
しかし、時間が経つにつれその境目が曖昧になってしまう。

そして対策をきちんと講じなければ、また同じ失敗を繰り返してしまう。

だって、忘れてしまうから。
それはほんの少しの出来事だとしても、だ。


いつか忘れてしまうとしても。
だからこそ、今日はゆっくりとゆっくりと歩いてきた。
いろんな風景を、匂いを、音を。
今見ている風景を、星空を、寂れた街灯を、取り壊されてしまうマンションを、壊されてしまった家を、今建築中の家を。
通り過ぎてしまった人を、今居る人を、昔居た人を、好きだった人を、嫌いだった人を、気にかけてくれた人を、気にかけた人を。

こんなにもボクのまわりには素敵なものはたくさんあった。今でもまだある、のかもしれない。


今まで車で通過してしまったからゆえに気づかなかったこと。
たった、それだけのことなのに少しだけ鼻の奥がツンとする気もする。
なんで気づかなかったんだろう。
なんだかもったいないことをしてきたような気にもなる。

忘れてしまっていいこと、なんてひとつもないと思う。
でも、いつまでも”忘れないから”としがみついても仕方がない。
きちんと決別をするためには精一杯、後悔なく愛すること。向き合うこと。
忘れてしまう物事に対して「バイバイ」してあげること。

きちんとお別れができるのかな。
でも、きちんとできなくても日々は続いてしまう。
ひとつのことに構っていられる時間はあまりにも少なすぎるけれども。

2006年02月11日(土)



 当事者

「いいんだよ。当事者じゃない人間は当事者と同じ気持ちにならないで。いつか自分がそうなったときに頑張れば」
”当事者”より(山本文緒「ファースト・プライオリティ」収録)

案外、自分の思い通りに何かが遂行していくということは、ない。
いや、そんなに上手くいくことのほうが少ないのだ、というのが正確なのかもしれない。


もちろん、それに異を唱えることはできる。
高校進学、大学進学、就職と自分で決めてきたじゃないか、と。

でも、今思い返してみると果たして本当に自分の選択だったのだろうか―もっと言うのであれば”自分がしたいこと”だったんだろうか―という疑問が付きまとうのも事実だ。

そりゃ、傍目からしたら「勝手に大学も変わっておいて、好きでぷらぷらしながら、そりゃないんじゃないの」とは思われるのだとは容易に推測できる。
しかし。

あの時の感情はまぎれもなく何かに対しての”焦燥”だったように思う。

ここに居ていいんだろうか
ここは望んでいる場所じゃないのかもしれない
自分がしたいことってなんだろう
楽しいだけで流されていないだろうか

好き勝手に―傍若無人に、かもしれないが―、仲間と騒ぎながらもそんなことを多分、どこかで考えていたような気がする。

今居るところから離れなければならないということ。
それは一見すると何らかの圧力―その要因は距離的なものだったり、経済的だったりするけれども―がかかっているように思えるけれども、実は自分が臨んでそういう形にもっていっているのだと今は思う。

・・・そういう、なんらかの急き立てられる感じ。


でも、今回は多分、今までのボクの人生の中で一番主体的に選んだところのはず、と思う。
自分で納得をして―それは誰のせいにもしない、ということをも当然ながら意味している―行動をする。

まだ、ボクは自分の人生において当事者じゃないのかもしれない。
傍観者のままかもしれない。

でも、踏み出すことにした。
何かが変わると信じて。

何も変わらないかもしれないし、来年も自分の人生において当事者になっていないのかもしれない。
環境を変えることで、何かが変わると期待するのは浅はかなのかもしれない。
でも。



2006年02月10日(金)



 カウントダウン

カウントダウンはもう始まっているのかもしれない。
気づいていないだけで。
ホントは気づいているのかもしれないけれども。

普段ある/あった、何気ない会話。
すれ違う風景や人。

あとで「○○しておけばよかった」と後悔はしたくない。
だからこそ、今対峙しているモノにたいして精一杯取り組むべきなんだろう。

精一杯、きちんと目の前にあるモノに対峙をしないと後悔が入り込む余地があるからだ。
それをなくすためにも。

ボクはこっそりと―そう、こっそりとだけなんだけれども―誰かに何らかの影響を残したいと思っていた。
いや、今でも思っている。

それが少しづつ実って、彼/彼女らがきちんと自己実現をしていくのを目の当たりにしていると”もう、そろそろかな”と思うのも正直なところだ。
ボクはちょっと、この場所に長く留まりすぎたのかもしれない。

”思い出は少ないほうが遠くへ飛べます”と在ったのは、文藝のCocco特集だった。
全く、その通りだと思う。

人にかかわる仕事をしながらもボクは、彼/彼女らに深くかかわることを避けていた。それは、思い入れが強いと同情をしてしまう、と考えていたからだ。
同情はなんら、彼/彼女らの役に立ちはしない。
ボクの自己満足なのだから。

でも、どうしても肩入れをしたかった。
自分へのルール違反だと知りながらも。

風のように、人の近くにありながらもでもふっと去っていく。
そういう存在でありたいと思う。

いつまでも「覚えていて」なんておこがましくて言えやしない。
でも、ちょっとだけ思い出してくれたら嬉しいなぁ、と思う。
願うのは自由だから、これくらいは思ってもいいのかな、と思う。

2006年02月09日(木)



 「ともだち」という関係性

家族(血縁)とか地縁とか、学校・仕事でかかわる人々。
ある種の必然性を持つ関係とは異なる関係をボクたちは「ともだち」とよんでいる。

たぶん、他に表現ができる言葉が見つからないからだろう。
それら全ての関係性ををひっくるめての「ともだち」は、定義としてはあまりにもてーげーさに塗れているけれども、双方ともに影響を与えてくれることは確かだと思う。

むしろ、いろんなことを変革させていくために必要だったのが「ともだち」という関係性だったんだと、今は思う。
自分だけでは何もできないけれども―まるで化学反応のように―「ともだち」が居ることで、さまざまな行動への一歩になっていたのだ、きっと。
それはまるで、生体触媒(酵素)のように反応のためのネックを少しでも和らげてくれたものだったのかもしれない。

それは、個人的なものにとどまりはしない。社会運動だって、大それたところから始まりはしない。「ともだち」という関係性の延長線上にその社会変革があったのだと、思う。

しかし。
なぜ、こんなに「ともだち」をボクたちは求めてるのだろう。

『お友だちと仲良くしましょう』
小学校時分からよく言われていたし、今でも言われていることなのだろう。

無邪気に「お友だち」になることができる人が居るのはわかる。でも、みんながみんな、そんなに「お友だち」ができるわけじゃないのだ。
大きくなっていく(それは、歳を取ることと並行していろんなことを考えるからだろう)につれて、「お友だち」を求めることのリスクもわかってしまうからだ。

それでも、「ともだち」を求めずには居られない。

一人で生きていくことはできるかもしれないし、一人で生きていくことは困難なのかもしれない。
なのに、どうして。

そう思いながらもボクは「ともだち」とのメールのやり取りや、話をすることを心待ちにしている。

疑わずにいられない関係性なんてあるんだろうか。

でも、今、とりあえずはこの関係性である「ともだち」にボクはきっと自分が思っている以上に寄りかかっているのだろうなぁとはぼんやりと思う。
まずはそれでいいのかもしれない。

2006年02月07日(火)



 THAT'S THE WAY IT IS

When you want it the most there's no easy way out
When you're ready to go and your heart's left in doubt
Don't give up on your faith
Love comes to those who believe it
And that's the way it is


2006年02月06日(月)



 stand/bear/endure/put up with

「偉いね」
ほんのたまーに、そんなことを言われたりする。

ボク自身の妙な我慢強さを評してのことだ。


自分でブレーキをかけてしまう(無意識のうちに?)癖。
いつからかはもう覚えていないけれども。

ボクが望むものと他人の望むものがかち合ってしまったときに、どうも”どーして○●をしたい(やりたい)から譲って!!”とはどうも言いにくいのだ。不思議なんだけれども。

多くを望んでも仕方がない、というのはあるのかもしれない。
願っても叶わないことが多いから、との諦めなのかもしれない。

でも、それじゃ淋しい、と自分のどこかで思ったりもする。

高瀬舟の題材であった 殺すべきだった/殺すべきではなかった の二元論のように。
人の意思、というのは 自分のやりたいことを押し通す/自分が望んでいてもそれを我慢する という二元論なのかもしれない(って、誰かの―宮部みゆき?―本の中で読んだ覚えがある)。

でも、もうボクが選んだことだから。
淋しくたって、結局は自分が招き入れていること。
それを誰かのせいにするのは見当違いだと思ったり。

もちろん、ボクにだって人並みに思うのだ。
あー遊びたいとか、衝動買いしちゃおうかなーとか、いろんな文句を言いたい!とか>今でも十分言っている、という話もあるけど
でも、それらを考えたときに。
ボクだけに及ぶ被害ならまだいいのだけれども、他人を巻き込むときの怖さ・恐れがある。
それがなんとなく嫌なのだ。

もちろん、そんなことはないよ〜と言ってくれる有難い人が居るのも承知だ。
でも、これはボクなりの矜持なのだ。たぶん、きっと・・・。

と、オチがなくなって困ってしまったのだけど、まぁそんな てーげーな感じで>明らかな逃げ、でしょう

2006年01月31日(火)



 アリガトウ

”来てくれて、ありがとう”

そう言われるだけで、すごく嬉しくなる。
自分が躊躇っていたけれども、やっぱりきてよかった〜と思えるからだ。

自分が受け入れられていること。
それを実感することは実はそんなに多くないんじゃないかな、と思う。

改めて、「友だちであること」ということを考える。

「アタシタチ、友だちだよねっ!」とまるで小学生の女の子みたいに>って偏見?、もう歳を重ねてしまった今は言えるはずもない。
だから、不安になってしまう。
考えすぎだよ、といわれたとしても。

ホントに友だちなのかな?
こんなことを言っても大丈夫かな?
そう思ってしまうのだ。

あんまり、人間関係を(正直なところ)上手く築けた、という実感がないのだ。
三者関係の世界において−大勢の中での自分という捉えをするということ−自分をとらえなおすこと。
って、移行対象>ライナスの毛布みたいな存在のことですなすら見つけれているのかな。
ちょっと不安・・・。

だからこそ。
何気ない一言に右往左往する。

前も書いたかな。
自分が聞きたいように、その言葉は放たれた人の想いとは関係なしに受け取ることができる。
もちろん、そこにはあまりある誤解も生まれるだろう。

でも、傷つくことも含めてこその言葉なんでしょう、きっと。
傷つけることだって、きっと今までしてきたし、これからもする。
それらを確信犯的に>故意犯と呼ぶべき、誤用ではなく正しい意味としてしてしまう。
許して、とも思うしでも、お互い様かなともチラッと思う。

そう、話す/話し合うことでしかわかりあうことはできない。
いくら誤解があってもきちんと理解をするための努力をしよう。
きちんと話をしたいと思う。


ちょっと遅くなったけど今年の抱負(目標)はこれでいくつもり。

2006年01月22日(日)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加