おぎそんの日記
おぎそん



 満月を探して

今日、車を走らせていたら満月だということに気づいた。
そっか。

いつかは欠けてしまうけれども、今は満ちているってこと。
それが大事なんだよな。

死にそうなくらいさびしくても、満ち欠けをしていく。
そんな感情さえも気に留めてくれないけれども、そのなんでもないように過ぎていくことが日々を生きていくことなんだよね。
ちっぽけだってことは痛いくらいに分かっている。

まだまだ死にたくないっす、と呟きながらアクセルを踏み込んだ。
そう、まだ何にも分かっていないのだから。

生きてもないのに、死んででたまるか。

2006年09月08日(金)



 しぶとく

まだ若いんだから。
この先、きっといいことあるよ。

そんな台詞に安住したくなるときがある。
でも、それに頼っちゃいけないんだと思う。

そんなことは誰にもいえないから。
そのことを決めるのは本人だから。

後輩や友人を見て、自分の悲惨な状況を笑えば―笑い飛ばそうとして―、そうしようとすればするほど深まってしまうモノというのは確かにあるのだ。
それはボクの中にもひっそりと息づいていて、いつ勢力を増すのかさえわからない。
ただただ、どうかどうか暴れだしませんように、と願うばかりなのだから。

「誰か」に頼りたいのに。
心のよりどころになる人が居ない―近くに居ない―という人はたくさん居ることも、今は知っている。
だから、安易に励ますことは出来ない。

騙し騙し生きている。
そんな面を見ないようにしている。
そうやって生き延びている。

そんな中で、メールをくれた人。
気にかけてくれた人、どうもありがとう。

誕生日は誰かに感謝する日なんだよね。
ボクは、少しでも思い出してくれた人たちに感謝をしたい、と思う。

偽善だって?
いいんだ。
ボクが今、そう思っているのもまた、事実なんだから。

職場では、ボクがまた一つ年を重ねたことは誰も知らない。
だからこそ、リアルに付き合ってきた人からのメッセージが、遠く離れてしまった人からの・普段なかなか会えない人の・好きな人からのメッセージが単純に嬉しい。

どうも、ありがとう。
これからも、しぶとくよろしくね。

2006年09月07日(木)



 Must I get along with them?

てなわけで>どんなわけだよ、副主任に声をかけられ、貴重なプライベートの時間を接待へ。
・・・悲しいとしかいいようが。

もちろん、ある意味気にかけていただける>ほら、敬語だよ?のはありがたいことなんだけど、今日の場におぎそんがはたして居る必然性があったのか、というと微妙というかなんと言うか。

完全アウェイの地でおぎそんに何を求めているのかしら。
てか、副主任(42)・他の課の副主任(38)・その奥様(36)・看護課副主任(36)・OB(62)の中でおぎそんの役割ってなに?

まぁ、たらふく普段は口にしないお肉を食べれたじゃんって話はあるけれども貴重な時間を4時間以上ささげるにはちょっとアレかと。

おぎそんのわがままななのかしら。

2006年09月06日(水)



 あのとき

この時期―自分の誕生日の近くってことだけれども―に思うのは、これまでの”自分”だったりする。

今年もなんだかバタバタしてどうこうはないだろうなぁとは思うのだけれども、しかし。

23〜24の頃がとにかくこの時期が切ないというか、嫌だった。
自分、なにやってるんだろう? と、いつも思っていた。

いつか、きっと、多分。

そんな言葉に甘えている自分が嫌だったし、でもじゃあ何が出来るかといったら、何も出来ない自分。
何かをしなきゃ始まらない気がするけれども、何をしたらいいのだろう。自分がやろうとしていることって、いいのかな。

強がって、誰にもいえない思い。

でも、この”寂しさ”>と、あえて言うは自分で抱きしめるしかないんだ、と歯を食いしばるように思っていた。
トキが解決してくれる、てなこともなく。

”やっぱり辞めなきゃよかったんじゃない?”っていうことも思った。
自分の決めたことに対しても自信がこれっぽちも持てなかった。
周りの人が、自分よりも素敵に見えて、自分なんてしょうもないヤツだ、と卑下していた。
でも、それは自分を守るため方策だったのだと思うと、あの時の自分を抱きしめたくもなる。大丈夫なんて、いえないけれども。何も出来ないけれども一緒にそばに居てあげて、その思いはアナタだけじゃないと言うことだけを伝えたくて、何かを伝えたくて。でも、伝えるための手段が分からなくてそこに馬鹿みたいに突っ立っているだけだろうけれども。


転居する前によく行っていた飲み屋さんからのDM―ハガキを持っていくと2000円割引―が届いたのを見て、そんなことを思い出した。

2006年09月01日(金)



 いつも会えるわけじゃないから

友人が某研究会で発表するってことでノコノコと行ってきました。
全くの部外者なのに、院の研究室に乗り込むってなかなか無謀だ・・・。

興味あることだったし(アスペルガー症候群のこどもに何を教えるべきか?)、最近、職場・家・友人、と閉じちゃってる感があるからいい刺激になったよ。
友人と言っても、いっつも会ってるわけじゃないし、会ってもしょうがないことばっかり話してるけど――で、だいたい終電を逃すオチ――こういう機会もいいなぁと思う。

一般社会への同化の拒否ではなく、むしろ、一般社会の中でうまくやっていくための、安全基地としての居場所の模索

と、言い切れる友人は格好いい、と改めて思った。いいなぁ、そういうまっすぐなキレイな感じ。

------まだ僕には見えていない世界がある。僕は、ともかく答えを知りたいです。それを掴むためにはどれくらい踏ん張って、突き詰めて、考え抜けばいいんだろう。そのあまりの遠さに、めまいがしそうになります。



彼の影響で読むようになった先生にも会えたし☆>って、みいはあだから

そうそう、そんで。やっぱり院生って、アレなのかな。
関係作りに余念がないって言うか、名刺攻撃をされて戸惑っちゃいました。
仕事上でもそう名刺は使わないし、普段持ち歩かないし。
ボク自身が、人と知り合うってことにいつまでたっても慣れないからドギマギしちゃう。
せっかくだから、関係はあったほうがいいんだけどね。
友人を介して、なんとか連絡を取れちゃうから。ってのも大きな要因なのかもしれないし、実は(やっぱり)知り合いになるってことが必要に思えないって思ってるからかもしれない。

よっしー、またよろしくね☆

2006年08月27日(日)



 とりあえずは。

絡まりと結び目は違うもの

2006年08月21日(月)



 帰っておいで ?

実家に行くときに「帰る」という意識はないんだよな。
もう、そこはボクの居る場所という感じはしない。ちょっとお邪魔します、みたいな―なんて言えばいいんだろう?余所者の感じ―気が、する。

実家を出るとそういうものなのかな。

中高生の頃、とにかく家から出たくして仕方がなかった。
”こんな家、居たくない!”と痛切に思っていた。

だから、大学受験のときも、滑り止めだとしても意地で近場の大学を受験しなかったり、した。
なんてゴーマンだったんだろう。
今なら、それはわかる。

でも、離れてしまえば、なんとかそれはそれで親&兄との関係は保てるし、なんであんなに嫌だったのだろう、と思う。

ボクは自分のことを「ネグれっ子だから」なんて可哀想がろうなんて思わない。それはいいわけだから。自分で出来ることはきっとあるはずだって、わけもなく信じてた楽天家だから。

でも、誰にとってもそれは有効な考えでないことは、今ならわかる。
ボクにだけ有効なものだったのかもしれない。


先週は祖父・祖母の法事だったけど、宿直で行けなかったから。
それは義務を果たすために墓参りはしてくるよ。
でも、それは義務的なものだからだろうとも、思う。可愛がられたそのお返し、その時間だけは向き合うということをしてくる。
でも、断じて親のためなんかじゃない。

そういう義務を果たした上で、好きなことをさせてもらうという、決意の表れなんだから。

2006年08月16日(水)



 何かを生み出す

食事指導中に、足が離れているから指導をする。
なんだかなぁ、と思う。
そういうことが果たしてなんの役に立つのだろう?

でも、そういうところから必要なのかもしれない。
単純に、接することだけで変容するのならば、この施設がある必要は全く、ない。


つまんないこと・くだらないものを重ねて、何かつまらなくない・くだらなくないものを作り出そうと、生み出そうとする。

その一つなのかもしれない。


・・・でも、やっぱり変じゃない?という視点は持ち続けたいと思う。
染まらなくてもいいじゃん。みんながおんなじことを言い出したら、つまらないし、逃げ道がないよね。

2006年08月15日(火)



 構ってあげたい

so you don't have to worry,worry かまっーてーまもっーてー あげーたいー

うん、やっぱりそう思うんだよなぁ。
誰もが突き放すのって、辛いんだよ。
だから、逃げ道と言うのかな、その役目を担えればいいなぁとこっそりと思う。

全部が全部、信じてあげることは出来ない。ごめん。
でも、それが君にとっての見方ならば、どんな見え方をしているのかを知りたいと思うんだ。

誰にだって、受け止めてくれる人はいるんだ。
そんなことを少しでも実感できてくれたらボクにとって十分なんだけどなぁ。

2006年08月08日(火)



 もっと近くに as close as possible

知人に「だって、おぎそんとボクの職業って隣接してるじゃん」と言われた。

そんなこと、思ってもなかったからびっくりした。
そうなのかな。ボクは全然そう思ってなかったよ。だって、君がしていることのほうがもっと高尚じゃないか。
子ども、を扱う仕事だとしても。

そんなことを思いながらも、だからこそボクと会話をしてくれるんだよね。
それにキチンと応えられるようになりたいなぁと思う。

一方的な関係じゃつまらない。
相互に刺激し合える関係でいたい、と痛切に思う。

でもさ・・・もし。
もし、ボクがその仕事じゃなくなったとしてもそう思ってくれるのかな。
ボクという存在を認めてくれるのだろうか。ボクを。

そのままの自分を受け入れてもらおう、なんておこがましいのは承知で、でもそう願ってしまう。
いつまでも変わらない関係なんてない、と分かっているのだけれども。

2006年08月06日(日)
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