おぎそんの日記
おぎそん



 もう少し あと少し

研修日誌もあと、ひと踏ん張り。
しっかし、なにはともあれなんとか続くのねって感じです。
・・・まぁ内情はともかくとしてね。
はやく、粉飾決算をしておかないと。
後は野となれ山となれ>待て

この前、出張で同期にあったんですが「まだ、辞めてなかったのね・・・」とのお言葉を頂きました。

どーゆーことだ、コラ


しかし、お休みがないのがね。。。
貴重なお休みを、ライブに行ったり>しかも、東京までしてるから”休みが少ないっ”と思っちゃうんだわ、きっと。
いや、なんか人と会ったりもしたんだ、先月は。
新潟(長岡)から関西まで来た人とか、川越から来た人とか。
そうか、そうだったのか。。。


じゃあ、9月は?って考えると、やっぱり人と会って、つぶれてるのね。
無駄にやっぱり東京(まぁ、みとげー―水戸芸術館―に行ったせいなんだけど)に行ってるし。

今月は、キャラメルボックス見て、知り合いのインディーズのライブを見に行って(2組)、それで終わりそうな予感。
なんだかなぁ。

やっぱり、こんなものなんだろうか・・・。

ボクはそう、仕事熱心なわけでもないし、まぁそれに伴う技術も知識もない。
だからこそ、いろんなことを学ばなければならない、と思ってる。
でも、そのためにどのくらいの時間が必要なんだろうかって思うと不安になる。
ずっと、付け焼け刃のまま、通用するわけじゃないんだよね。
今でさえ、上手くいってるとは言いがたいし。

でも、仕事を家に持ち帰ってまでするってわけじゃない。仕事は仕事だけれども、24時間ずっと「その職業」で居ることに違和感を感じる。
そりゃ、本屋に行ったときに関心があるのはそういった仕事関連の分野に行くのだけれども、それでもなんというか、「その職業」でない自分ってのもやっぱり大事にしたいな、と思う。
そうじゃなきゃ、ちょっとしんどいなぁと思う。

電車に乗っているときに、成績をつけないといけないときに、課題をどうしようかなと考えるとき、次の課題図書を何にしようかと思うとき、そういったときには思い出すけれども。
昔の自分を振り返るときに、被る姿があるなぁと思うけれども。

でも、”なんでもない”ボクというのも必要なんだ、と思う。

前は、”なんでもない”自分、というのが苦痛で仕方なかったのに不思議なんだけれども。こういうのって、ないものねだりって言うのかな。

2006年11月07日(火)



 ホントは、ね。

おぎそん、とりあえず接客業>この表現もどうかと思うじゃないですか。
最近、常々思うのは、案外人と接するのって苦手なのかも〜と。

イマサラ?って気もするんですが、なんかねー。

先日、子どもたちに「先を見通せないと(5年後、10年後の将来を考える)不幸になるよ?」なんて話をしてたんですが、10年前って考えてみたら高校生なんですよね。
つまり―大体だけれども―今、見ている子どもたちと同じくらいだったんですよ。

その時に、描いていた未来とはなんだか違うなーとも思うけれども。
5年前―みんなが大学を卒業するころ―だとしても、あれれこんなところにいるよ・・・なんて気もするけれども。

って考えると、アレだ。
5年後、転職している率が高い気がする・・・・。
その結論でいいのか、アタシ。

なんか、ライターとか文章を書く職業をやりたいと思ったこともあったけれども。

どうしたいんだろうね。
自分のことがイチバン分からない、不惑>違うのお年頃です★

2006年10月31日(火)



 順繰り

めずらしく出張でして。
直行直帰なら嬉しかったんだけれども、そこまではできず。

ただ、そこで以前お世話になった方に遭遇。
「ちゃんとやってるか?」だって。

”ちゃんと”はしてないけれども、”なんとか”って感じ。

「やっぱり、とりあえずは続けることだから」

”続ける”ことはできるかもしれないけれども、ボクである必然はないのかも。無力なボクが彼らに何もできないってのが歯がゆく感じるときがある。

「無責任かもしれないけれども、あのスピーチのとき、”センスあるかも”って思ったからさ」

伝えることは出来ても、それが浸透するかはベツモノなのかもしれない。限定された誰かに伝えることは出来ても、誰にも浸透するわけじゃない。そんな魔法のような言葉はないのかもしれないけれども。

「なんかあったら、電話しなよ。Mさんもしてきてるから」

ねー、そうやって弱さを見せれるって凄いことだと思う。ボクはどうしても虚勢を張ってしまうから。やる気がないように見えるかもしれないけれども、それも防衛なんだよ。いいわけじみてて、実際に言い訳なんだけど。



これから先なんてわからないんだよね。
納得のいくまでとは、言えないかもしれないけれども、”何か”が出来ればいいなぁと思う。
・・・40までに沖縄にセカンドハウスを購入するとか。


そのためには、まずボーナスだな。
そうやって、マラソンのように通過点を順繰り順繰りにいけるのかな。
途中で立ち止まってしまわないかな。

2006年10月17日(火)



 手をつなごう!

今日、うちの施設で運動会だったんです。
優勝は出来なかったんだけど、いいもん見せてもらったなぁ〜と思ったり。

やっぱり、手をつなぐ、という行為ってとっても貴重な気がする。
照れくさくて、でもちょっぴりと親密な感じ。
言葉にしなくても伝わるかもしれない感情。

ずっと手をつないでいることはできない。でも、その一瞬だけでもつないでいられる、その嬉しさ。確かさ。

オクラホマミキサーの哀愁漂う?旋律にのって、フォークダンスを見ていると少しだけ涙もろくなったのかな、と思う。
勝手に、北村薫「スキップ」がフラッシュバックする。

あぁ、これか。これだったんだ。と、呟く。

もう手をつなぐことは出来ない。でも、つなげないからこそのつながりだって、きっとある。
過ぎていってしまう。でも、でも。もう少しだけ。

2006年10月13日(金)



 悔しいけど

仕事が好き

なんて、コピーがあったような。
時々、そんな気分になる。

思い込みで、相手に対する押し付けなのかもしれないけれども。

2006年10月11日(水)



 Good-bye my loneliness

このごろ―本当にふとしたときになんだけれども―何か、”寂しさ”のようなものを感じる。
それが、本当に”寂しさ”と同一なのかはいまだにわからないのだけれども。

自分が、その感情を抱くことになんだか凄く、驚く。
さびしいってことを感じる人間だったのか? と。

携帯電話やアドレス帳を眺める。
誰かに話をしたいけれども、誰と話してもなんだか違う気がする。
その相手に迷惑をかけてしまう気がして、誰にも電話や話が出来ない。
勝手な思い込みに過ぎないよ、と誰かは笑うけれども、”ボクが”そう感じるのだ。

こうやって、書き綴ることが果たしてその”寂しさ”を紛らわすかどうか、すらわからない。

こんなときは眠ってしまおう。とりあえずは。

まだ、生きているのだから。

2006年10月02日(月)



 みとげー

ゲームじゃないのよ?

水戸芸術館よ?

てなわけで、非番明け連休だったこともあり、東京に出るついでに水戸まで足を伸ばして>延ばしすぎだ行ってきました。

いやね、友人が「すんごく良かったから行けるなら行っておきなって」って唆すものですから。
そーいや、去年はアルプ展のために館林美術館に襲撃してるし、やっぱり芸術の秋なのね>大いなる勘違い・・・。

いやはや、よかったっす。
みとげーの”Life”展@現代美術ギャラリー。
なかなか一緒に語ることの出来ないモノを一線に並べることで浮き上がるテーマがあるってことを改めて感じましたよ。
岡崎京子とかフツー並列させないと思うんだよね。
でも、凄く合ってる。むしろ、なきゃダメなんだ、とすら思えてくる。
ホントに不思議。


akira the hustlerのmilk を見た 友人が書いたテクストから。
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 その中でぼくはいろいろなことを考えた。例えばいま、僕が見て、記憶していること。それらは僕がいなくなってしまえば、そのまま消えてしまうのかもしれない。僕が消えていなくなることよりも、僕が出会ってきた様々なものとの記憶が、そのままきえてしまうことのほうがもっと寂しい。
 けれど、「過ぎてきた時、残された意思や言葉や思い出や、言葉に出来ない海や川や木々のきらめきとか、笑い声や、涙や悔恨や、そういったものをひっくるめて」もしかしたら、伝えられるのではないか。それは祈りかもしれない。けれどそれが僕にとっての希望だ。そのことを感じさせてくれる、とても強い力を持った作品だった。

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興味ある方はぜひとも行ってみたら、と。
小旅行気分でね。

2006年09月25日(月)



 おおきに。

こっちに着てから約半年が経ってしまった。
なんか変な感じ。

まだ、言葉に違和感があるのが正直なところ。
〜やん。〜やろ。〜さかい。
やっぱり、慣れないな。

おおきに、ってのも言えない。
照れなのかもしれないけれども、なんだかね。

いつかは関西弁で、「標準語のほうが慣れへんわ」なんて言ってるのかな。
なんか不思議。


自分の立ち位置ってどこなんだろうって(丁度、休みだった)この連休の間、考えてた。
今の仕事をずっと続けられるのかなって。

ボクにはあまりにも知らなさ過ぎることを痛感させられる。
当たり前のことなのかもしれないけど。

でも、そのボクが彼らに対して何が出来るのだろうって思う。
”一生懸命やってるから”だけじゃ通用しないんだって思う。

何を知ればいいんだろう。何ができるんだろう。
答えはずっと後になってから気づくものだと、分かっているつもりだけれども。でも、今が彼らにとって必要なんだよ。
こんな文章を書いている、今こそ。

どうしたらいいんだろう。

何を知ればいいんだろう。何をボクは望んでいるんだろう。

そんなことを思う。

2006年09月19日(火)



 しがない日々のMusic

今月に入って多分、初めてCDショップに行ってきました。久しぶりの2連休だった(非番明けを考えれば2日半のお休みってことね)しね。
いやはや、タワレコは結局Wポイントを継続するのね・・・もう、いいです。おぎそんは疲れましたので溜まりに溜まったポイントカード5枚を使いたいと思います。

てなわけで、買いこんできたんですけど。
なんつーか、まぁ、売り場の展開を見ながら思うことが多々あるわけですよ。
ふ〜ん、これを売りたいのね。とか邪推してみたり。

不思議なのが、mihimaruです。面倒だからリンクははりません。
エゲツナイ売り方で、ドーピングのようにシングルランキングをあげてアルバムに結び付けようとしているんですけど。
どうよ? みたいな。
いや、ユニバーサルにしたら今を逃したら2年以上掛けた先行投資が無駄になるって分かってるので必死なんですけど、それでもアルバムを見るとなんだかなぁ感がどうしてもただよっている、というか。

大体、部屋とYシャツと私、を大江くんを迎えてカバーする意義が見当たりません。なぜ、今頃なんだ、と。
ラップの人が活躍するところないじゃん。

いづれ、ソロでボーカルを売りたいって感じもしますが消費期限のリミットも気になる・・・。エピックソニーの、ユニットでもそんな感じの居たし(初期にKjが「風を集めて」だかでプロデュースしたユニット。名前を忘れた。ボーカルは確かazumiだっけか。ソロでちょろっとやってましたが)。

そうそう。ソニーで思い出した。
って、時間が。またの機会にでも。

書かないに1票。

2006年09月14日(木)



 こだわり と くよくよ

大きな声は苦手です。
叩かれればへこみます。
周りの視線は気になるし、自分に自信はありません。
不満はいっぱいで、世の中に対してイライラします。
ニュースを聞くと不安になって、そしてすぐに忘れます。
日々の生活に追われています。
まず自分のこと、そして家族のこと。
それから世の中のこと。
相変わらず、そんな自分です。

でも、こだわっていることで、感じ方が変わってきました。

私はいま、以前よりずっと希望をもっています。

まるで世の中はどんどん悪くなっているかのごとく報道されるけれど、そうでもないと思えるようになりました。

ほんとうにすばらしいことは、隠されていることが多いです。悪いことの背後にもよいことがあります。よいことは悪いことよりも複雑で、つかまえにくいのです。いっしょうけんめいになりすぎると見えなくなります。よいことは見過ごされがちです。よいことは、悪いことよりもとるにたらないのです。

それはきっと、よいことは、人間にとってあたりまえだからです。

「翼を持つこと、根を持つこと」田口ランディ

2006年09月12日(火)
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