おぎそんの日記
おぎそん



 雪が降ってきた

泊まりで、朝起きてみると寒い。
いつもより寒い。

着替えてから外に出ると、雪が降っていた。

山梨や東京のハズレに住んでいたときは、12月なんて雪が降って当たり前、みたいな環境だったから凄く嬉しかった。
実家の時だって、基本的に雪は降っていたしね。

少しずつ、自分を認識し始めた、自分の感情に気づき始めた時期だったから、それを思い出させてくれる雪がとても愛しい。

あの雪の光景を、大学の教室を、予備校の4階のC室から眺めたセンター試験前の可児先生の授業を、自分の部屋の鍋をした人たちの顔を、雰囲気を、そのときの話題を、それが解散してからこっそりと受験に出かけた谷村町駅までの光景を、まだしっかりと思い出すことが出来る。

仕事を終えて帰ろうとしたらすでに、雪はやみ、ただ濡れた地面だけが広がっていた。

2006年12月29日(金)



 だれかにやさしくなりたくて

上司に怒られながら、書類を作成してた。
もちろん、ボクも悪いんだけど。

でも・・・と思っちゃいけないんだけど、なんかその書類ってのがなんと言うかあんまり今やらなければ、とか切羽詰った感じじゃないんだよね。
多分、上司の気まぐれというか自己満足というか。
いや、その書類を上げること自体はそう問題なく出来るのだけど>実際に1時間もかからないわけだし、なんか嫌な感じ。

違う意見を書く人を探すためじゃないのか、みたいな。
そんなことを思った。

この社会で、この業界で、この職場で。
時々、息がしにくい気がする。なんか、自分が決めたはずなのに、自分で及ばないところがあまりにも多すぎるってことに。
周りからって言うけれども、その周りってどこからどこまで?
ボクが過ごすための空間はそんなに大きくないのに、なんでこんなにも、こんなせせこましい思いをしなくちゃいけないんだろう。
誰にとっても過ごしやすい状況ってないから、誰もが少しずつ我慢しているのかもしれないけれども、でもその状況に甘んじているのなら「もっと居心地良くしようよ」って思う。

まぁ、誰かに今以上の負担を強いることになるのならば、そうじゃない方法を。やり方を模索しなくちゃ、とも思う。
やっぱり、生きにくい社会って、誰にとってもどこかしら”歪み”が生じているからなんだと思う。少しでも、その歪みってどうにかできないのかな、と思う。


そんなことを思いながら、でも、誰かに、人にやさしくなりたくて。

帰りに花を買った。
それをプレゼントした。

誰かが喜ぶ顔っていいなぁ、と思う。それって、期待された反応をされないと苦しくなるけども>喜ばれないのなら、やっぱりさびしい、誰かを喜ばしたい、という純粋な気持ちっていいよね。
見返りになると変わってくるけれども、その根底のモノは多分、ボクは好きなんだと思う。


もう、今年も終わりだね。

2006年12月25日(月)



 音楽と人

って雑誌があるんですよ。ご存知?>誰に向かって言っているんだ
タイソーなタイトルですけどね。
たまに買うんですけど、基本的には写真が多く、ポップス系(ロックとは言い切れない)

昨日、某CDショップでふらふらしていたら、表紙が松浦亜弥。
思い切ったなぁ・・・と思った次第でありますわ。いや、いいんだけど。
やるなら、松田聖子ぐらい吹っ切っても良かったのに、とは思うけどそれじゃ特定の層にしか売れないか。あややでも、限定している気はしますけど。

さて、そのインタビューを見ていたら、誰かにスタンスが似ているなぁと思いつつ、なんかすっきりしなかったのですが、帰ってきてから分かったよ。

森口博子の亜種じゃない?

アイドルって枠から、飛び出したくて>本人はアイドルになりたい、という意思はなかった。歌が好きなだけで。
で、セルフプロデュースちっくなことをしでかす。
こりゃ、売れなくなるのも問題だなぁと。
今回のニューアルバム「Naked Songs」自体、セールス不振。そう、売り上げを期待される>浜崎あゆみ、とかね存在ではないけど、でもちょっとヤバイだろ、みたいな。
意思を持ったアイドルにみんな興味を持たなくなるものね、大概。

で、最近感じたことですが、某ミュー○ックマガジン(先月は、矢野顕子が表紙)でのJ-POP>この言い方もこっぱずかしいの新譜レビューってホントに酷いですな。
貶すのが、すべて、と思ってる。
なんだかな。貶されて、そこから発展性があるわけでもあるまいに。

貶すなら、せめて、そのレビューの後に載ってるおねぇ垂れ流しのライターのほうがなんぼかマシなような気がしますわ。
って、それもそれで、どうかと思うけれども。


おぎそんは、小手先で書いてるライターを応援していません!

2006年12月21日(木)



 偏屈

笑うことは出来る

その場にあわせるだけの笑い、も多分、できる
でも、それはしたくないと思う

笑うことを強制されるいわれはないと思う

偏屈といわれようが、そこは譲れない

2006年12月14日(木)



 ライバルはエビフライだから

歩けないけれど 踊れるよ
しゃべれないけど 歌えるよ


いろんな意味で、宇多田ヒカル「ぼくはくま」って興味深い。
今日になって、YouTubeで初めて見た(聞いた)んだけど、出だしにやられた。

凄いなぁ。

2006年12月04日(月)



 言えないからこそ

ぎゅっとこぶしをつくる

言えないからこそ
強く強く

口にするはずの言葉を
手の中に握りこんで

2006年12月02日(土)



 成功体験

なんだかんだと言っても、成功体験をしなければ、何かを学び取るというのは難しいような気がする。

失敗から、挫折から学びなさい、と言われる。
でも、それは、成功(完成、とでも言えばいいのだろうか)を知っているから、それを思い描くことができる能力がある前提の下でだと思う。

今まで、成功体験が、受け入れられ(受容)体験が乏しい者にとって、それはとても困難なことではないかと思う。

莫迦の一つ覚えのように「何で失敗したのか、を考えなさい」では、”何を”考えればいいのか、”どこが”分岐点だったのかということがピンポイントのみならず、ニアミスでさえ気づくことが難しい。
行き先を示しても、なかなかそれに確信を持つことが出来ずその場に立ち止まってしまう傾向があるように、思う。

例えば、アスペの子どもに関して。
彼らは、失敗から学び取ることが困難である。
だから、小さな成功体験を、繰り返し成功体験をする。
実は、これはアスペだけではなく、躓いてしまった子どもたちにはとても必要なのではないかと考える。

もう一度チャンスを。恐る恐るやってみて、なんだできるじゃん、の体験。
もちろん、それが過剰な―そして根拠のない―全能感にリンクしてもらわないようにしないといけないけれども。

そんなことを思う。

2006年11月28日(火)



 めげない人

先日、飲みに出てたときに。
英語が出来ないのに、英語と日本語をちゃんぽんしながら会話をしているオジサンを見かけました。
んー、なかなか頑張るなぁ。

聞いてると、”おめー、それはちげーだろ”とかいろいろ思ったのですが、それでも会話をし続けるパワーに脱帽。

別に、間違えたら恥ずかしい、とかは思わないけれどもそれでも「そこまで会話する」ことに対してボク自身があんまり望んでないような気がするからなのかも。
いずれにせよ、この人と会話をしたいんだっという気持ちがなきゃ、英語では出来ませんよね。
日本語でも、そう話すことなんてないのに。

何かに向かう情熱(らしきもの)。
時々、それがとても羨ましくなる。

2006年11月24日(金)



 強制はイヤなの

職場で、掃除当番に当たってました。
しょうがなく、せっせとトイレ掃除をしてたんですけど。

まぁ、人件費削減って名目でやらせるのは認める。
でもさぁ、どう考えたってサボってるのがいるってのがなんだかね。

ガキの見本になりなさいっ!って言ってるのに、行動と一致してないってやっぱり納得がいかないのですわ。
いや、子どもの前できちんとしてればいいじゃんってのはわかる。痛いほど分かる。あっしも正直なところ、そう思う。

なら、キチンとそれを一致させて欲しいなぁと思う。
嫌だなぁと思ってるってことを言葉に出して、あなたたちとボクは違わなくないんだよって。
そうじゃなきゃ、「あなたたちとボクたちは違うんだ」というメッセージを受け取るんじゃなかろうか。

虐待で何が辛いって、行動と言葉が一致しないことだ。
「可愛いわね」といいながら、頬をつねられる。「愛してるから」といって、冷たくされる。「アンタなんて生まなきゃよかった」と言いながら、抱き寄せる。

何がなんだかわからない。どっちを信じていいのかわからない。混乱する。

そんな混乱は大きくなったからって、収まるってものじゃないのだ。
だから、行動と言葉は一致させる必要がある。
それで、やっとわかるのだ。「あぁ裏を探らなくていいんだ」と。

裏を探ることってホントは必要なんだろうか?
誰かよりも上手くやろう、出し抜いてやろう、そんなことを思うときに裏を探る。

好意を、信じる気持ちを素直に受け取れないことはとても不幸なことだ。
とても、悲しい悲しいことだと思う。

明日は久しぶりのお休み☆

髪を切ってエステに行って1・2・3で笑顔になって(谷村有美「Face Up」より)

・・・エステじゃなくて、足もみマッサージに行きたいなぁ。。。

2006年11月15日(水)



 あんたのバラード

とゆーわけで、今日はコーラス大会でした。
ウチの施設のみならず他施設からもおいでになりまして、てんやわんや。

まぁ、運動会よりは状況はマシだったかな。
だって、ちゃんと企画書は3日前に来てたしね>それもどうかと思う

うちの施設は課題曲「夏の思い出」、自由曲「サンライズ・ラプソティー」。
他施設で、自由曲を「マイ・バラード」(音が出ますにょ)にしてたところがありまして。

懐かしいなぁ、と。

これって、おぎそんが中学1年のときに合掌合唱コンクールでやったんですよね。
おぎそんが指揮者で
いや、それならわざわざここで言うまでもない。てことは、もちろん波乱があったからで。

伴奏者がね?>当時、付き合ってた子なんだけど
当日になっても暗譜できなくて演奏がボロボロだったなぁと思い出したからなんです。

まぁ、おぎそんも悪かったのは認める。
うん。
でも、やっぱりね。里恵、アンタも悪かったのよ反省しておきなさい


で。
その後、コーラスに参加しなかったガキも含めての歌唱指導・・・。
いや、別にそれ自体はいいんですけどなんと言うかもう少し、歌の上手な方を手本にしたほうが。
あと、曲も「野に咲く花のように」(TVドラマ「裸の大将」主題歌。ダカーポ―昔の、Le Coupleみたいな夫婦ユニットですな。槇原くんもカバーで取り上げてました―)って。
こーゆー胡散臭い>爆弾発言だろ止めにすればいいのに。

まぁ、マイバラード自体も胡散臭い成立状況だったみたいなのでしょうがないけれども。

いいじゃん、いまどきの歌を歌ってもさぁ。
なんて思ってみたり。

明日は久しぶりのお休みです。ホントにどうかしてますよ、この状況。
まぁ、月末に休みが連続する(でも、2日休んだら3日働いてまた2日休みとか、わけわかりません)のでしょうがないんだけれども。

明日もね。なんだかなんだと顔を出さなきゃいけない状況だし〜。
まぁ、とりあえずは、朝寝坊を堪能します。

2006年11月09日(木)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加