徒然駄文
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2002年12月05日(木) ダンサー・イン・ザ・ダーク

 頭痛は20時間くらい寝てたら、何となくマシになりました。
芽が出て花開こうとしていた頭痛が、タネに戻ったって感じ(笑)
また芽が出ないように、用心しなきゃね。
しかし、こういう時って本当に、人間よく寝られるもんだな、と感心する。そして、寝ていられる環境にあることを感謝します。

 さて。先日書こうとして吹っ飛ばした数十行です。

 新聞で一時期「感動大作!」とか、「衝撃のラスト」とか「涙なしでは見られない」、と言ったような宣伝がされていて、それよりも私はビョークの「顔」に惹かれて(それまで、私はビョークのことを全く知りませんでした)一度見てみたいと思ってたのです。でも劇場には行けなかったので、ビデオが出るのを待って即借りてきたんですが。

 なんと言ったらいいのか分かりませんでしたね。ビョークの歌はとても良かった。ミュージカルシーンもとても良かった。でも、映画としては「感動の大作」でも「衝撃のラストシーン」でも「涙なしでは見られない」でもない、と思ったのだけど。

 私があの映画から一番感じたのは「人間の悲しさ」と「弱さ」と「情けなさ」かな。セルマがああいう状況に陥っていく過程も全く無理なく描かれていて、何とも言えない気分にさせられる。一つ歯車が違えばこうまで物事は変わってくのか、と、暗澹たる思いにさせられる。

 でも、セルマが東欧からの移民でなかったら? 社会的弱者でなくても、ここまでの結末になったか?

 と、私は思ってしまうわけです。そのことをダンナに言ったら、「移民差別などに対するプロパガンダな映画だな」と言われたんですが、そこまで意図されていたのかどうかは私は分からない。ともあれ、私にとっては世間でよく言われている「セルマの息子に対する無償の愛情」よりも何よりも、そのことの方が重かったんですね。この映画。(「息子に対する無償の愛情」なら、もっとうまく立ち回れよ、セルマ、お母さんだろ、と思ってしまう。でも、立ち回れないのは、セルマの性格、それは「移民であり」「一人で頑張って生きてきた」と言う事が一番影響してるんではないか、と思う。つまり結局の所、やはりそっちの方に私の意識は向かってしまうのだ)

 人間って情けないもので、多分「差別意識」というものはどんな時代になっても無くならないものなのだろうな、と思う。だから、この映画で描かれたことはどの時代、どの場所でもありうることなのだろうな、と思う。それがとても恐ろしいし、情けなく思う。


 …きっと、私のこの映画の見方って、変なんだろうな(^^;)。まあ、どういう風に見るかは観客の自由なので、良いことにしよう。

 もうひとつ。手回しカメラは私は嫌いです(^^;)。酔うんです。ブレアウィッチでももう、吐く寸前まで行っておりましたが、この映画でも同じだった。途中でどうしても見ていられなくなって、しばらく休憩したくらい(それもあって、ミュージカルシーンになると、私自身も凄くホッとする。画面が揺れないから…。あら、監督はこれも狙ってたのかしらね。セルマにとっての唯一の安息シーンである、ミュージカルシーン)。このビデオを借りたときは字幕版が全部で払っていて、心ならずも吹き替え版で見たんですね。字幕版でもう一度見てみたいんですが、あの画面を思い出すだけで気分が悪くなるので、なかなか踏ん切りがつきません(^^;)。困ったな。


2002年12月03日(火) 二番煎じじゃなくて

ドジョウですね、狙うのは。
二番煎じ狙ってどうするんですよね。

ここしばらくどうも頭が痛かったんですが
ちょっとどうしようもない状況に。
(と言いつつ、パソ見てるからもっとどうしようもなくなる)
吐き気まで出てきてるので、しばらくおとなしくしています
ああ、きもちわるい。


2002年12月02日(月) 昨日のつづき と、二番煎じ

たらたら布団の中で考えるに、
あの子(もう名前を忘れている…あっトレバーくんだっけ)は一種の「伝説」となったわけで、映画製作者はそれを狙ったのだろうけど、その部分に感動できない、と言うことは、見ているこちら側にとってあの子は「伝説」にはなり得なかった、と言うことだろうか。あの子は普通の子よね。普通の子が伝説になる、と言うのも美味しい筋立てかもしれないけど、そこまで惹かれるものがあの子供にも映画の筋立てにもないと思う。これは脚本や演出やら全部の責任になるのかなあ。映画制作のことはよく知らないので、私にはわからないが。

 それよりもなによりも、名作(だと私は思うぞ)だったシックスセンスの、結末を人に言わないで下さい!的な二番煎じを狙ってないか!?と思ってしまったのは、穿ちすぎだろうか(^^;)



 ダンサー・イン・ザ・ダークの前に二番煎じの話を。上段落で出てきたし(笑)。

 いつの映画か何なのかよく知りませんが、「ブレアウィッチプロジェクト」。去年だったかビデオ借りてみたんですわ。怖かったんですわ(^^;)。私は非常に疑い深いくせに妙に信じやすい部分もあって、ああいうのを見ると「こんなの作り話に決まってるじゃん」と思いつつもとっても怖くなるんですわ(^^;)。ぶんぶん振り回される手回しカメラの映像と、肝心の所は全く写さない、結局何がなんだかよく分からない、あの画面がとってもつぼにはまったんですね。その後、それに関したビデオをいくつか見たんですが、他のはつまらなかった。2が出るとかなんとか言うのもちらっとCMで見たんですが、結局どうなったのか知りません。まあ、あれはあの1本で終わらせてなんぼの映画だなあ、と思っていました。続きを出すってのはヤボ以外の何物でもない、と。

 そしたら、出てるんですね、二番煎じがいっぱい!(^^;)。タイトルは忘れましたが、なんとかかんとかプロジェクトってなっていたと思うんです。手にとって裏のあらすじを見たら、もうブレアウィッチの二番煎じそのもの。二匹目のドジョウって居たのかなあ、と思いつつ苦笑いしていたのはやはり去年だったかな。そして、昨日。まだあったんですね(笑)。親指なんとかって言う妙なタイトルと不気味なパッケージにちょっと興味を持って手にとって説明を読んだら、ああ、またブレアウィッチじゃないですか。

…柳の下には3匹目のドジョウもいるんだろうか。あ、でも見てもいないのにこんな文句を言っていてはいけないのかもしれない。もしかしたら面白いのかもしれない。しかし見る気もないので、まあ、世の中面白いな、と言うことで(全然まとまってない(^^;))

あ、もしかして「パロディ」なのかな。そんなことないかな(^^;)


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