徒然駄文
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2002年12月10日(火) 「演奏する人」が見えるMIDI演奏

ピアノMIDIの凄い演奏を聴いていると
ピアノを弾いている人が見えてくることがある。
指の動き、腕の動き、身体の動き、…表情とか。
聴いていて、ウットリする。
これはMIDIだけじゃなくてCDなどでも同じ。
ピアニストの息づかいを感じる。
私が受け取っているのは音のデータだけなのだけど
頭の中で視覚的データも構築されているのね。

こういう演奏って、生きているなあ、と思う。

これはあくまでも「私にとって」だから、
他の人にとっても同じ、と言うわけではないけど
でも、少なくとも「血の通った良い演奏である」んだと思う

で、自分のMIDIを聴いてみるとどうか、と言うと
音しか聞こえてこない(^^;)
自分では「まぁまぁうちこめたかな」と思っていた曲でも
そう言う姿勢で聴いてみたら、まるで映像は見えてこない。
今までは自己満足でごまかされていた、と言うことかな。

ああ、つまらない。
精進あるのみだなあ、と、またまた思ったり。

ピアノなんて…ピアノに限らずだけど、
自分を信じてなきゃ弾けない。
だからといって自分におぼれてしまっても弾けない。
…終わりはないわねえ……(^^;)
だから人間は生きていけるのかもね

息づかいの感じられる、生きているデータを打ち込みたいなあ……


2002年12月07日(土) 大変嘆かわしいこと

 有名どころのMIDIサイトでは、どうしても「無断転載」問題がついて回りますね。また、WebページにアップされているMIDIファイルは「すべて素材である」というように考えられている方も多く、しかし、そうは思っていないMIDIファイル作成者も多いことから、起こる問題もよく見かけます。

 今日見かけてしまったのは、DL自由にしているのなら転載されても文句は言えないじゃないか、というお話だったのですが、それは違うなあ。個人のパソコンにDLして個人的に楽しむことと、そのファイルを万人が見ることの出来るWebスペースにアップロードして公開することは全く別問題と考えますが。つまりそれを書いた方(ファイルのDLを自由にする、と言うことは、転載自由である、と考えられた方)は、MIDIファイルをWeb上の「素材」としてしかとらえていない、と言うことになるのですね(あるいは、Webサイトは万人が見ることが出来る、と言うことを失念されているか)。だからそう言う考え方になる。そうではない、これは演奏である、と言う発想は出来ないわけです。レンタルCDをお店から借りてきて、それを録音してCDを返却したあとも家庭内で個人的に楽しむのと、そのデータをWebサーバーにアップロードすることの違いがその方には分からないのですね。

 私は「そのサイトに行かないと聴けない曲」ってのはとても悲しいですね。出来るだけDLはフリーにして頂きたい。音楽なんてものは時間や心に余裕のあるときに自由に聴きたいものです。1曲を延々リピートして聴くも良し、好きな曲を好きに組み合わせて連続して聴くも良し。自由に音楽とふれあいたいと思えば、どうしてもそれはデータをDLさせていただかないと出来ないのです。だから、大抵のMIDI作者さんはデータのDLはフリーにされていると思うのだけどな。(うちも、ほんとは全ての楽曲をDLフリーにしたいのですが、貧乏なので出来ません(>_<))

 私自身のことを言えば、音楽をBGMとして扱うのは嫌いではないし、自分のMIDIがそう言う風に扱われても全く構わない。素材MIDIの方は素材利用を目的に作られていますから、DLも転載もフリーです。小品曲集の方のデータも、条件を守って下さるのなら(たいした条件じゃないです)BGMとして使われても構わない(ただの素材扱いされると悲しいかもですが(^^;)。わたしは「素材」と「BGM」の意味合いも違うと考えるのですがね)。

 人によって感じ方は全く違う。BGM扱いはいやと考える人もいる。だから、ファイルを余所でWeb公開することについてはファイル作成者それぞれでの条件がある、という当たり前のことがどうして通らないのでしょうね。難しいね。情けないね。嘆かわしいね。


2002年12月06日(金) ローマ人の物語

 …面白いなあ……。

 最近は頭痛のタネがずっと頭の中にある状態なので、詰めては読めないのだけど、毎日少しずつページを繰っています。現在2巻の終わりかけ。塩野さんのは、小説と、あと軽いエッセイしか読んだことはなかったのだけどね。でもきっと塩野さんにとっては、こっちの歴史本の方が本領なんだろうなあ、と思った。1巻でも、この1冊の中に書かれている内容からいくつ小説が書けるだろう、と思ったけど、2巻に至るともう壮観ですね。なんせ、あの、ポエニ戦役…ハンニバル戦争だし。小説そのもの。史実なんだけど。事実は小説より奇なり、か。歴史が苦手な私はローマの歴史も系統だってはぜんぜん知らず、カンネの会戦とかも名前は知っててもローマのこととは知らず、アルキメデスが鏡の塔で敵を撃退してたってのも相手がローマだったとは知らず(^^;)、おお、そうだったのか、ああ、これだったのか、と私にとっての新事実発見てんこ盛りもあって、とても面白い(…と、書いてて情けない気持ちになるけど(^^;))。

 塩野さんって面白い人だなあ、と思う。ダンナもあの人の本がずっと好きで(小説の方じゃなくて歴史書の方が)、ずっと塩野さんって男の人だと思ってたらしいんだけど、でも、女性だねえ、と私は思う。言葉が悪いかも、ですが(^^;)、ものすごくミーハーなところがあるなあ、と感じるんですね。私は塩野さんの本は小説…「チェーザレ・ボルジア〜」から入ったので当時は、うわお、豪華絢爛!森川久美さんなどが漫画にしたら、もうバリバリもの!などと思ってしまったものですが、じゃ、軽いのか?と言うとそうじゃない。重いんですね。緻密に調査してかっちりした文体でがっちりと書き込んでいっているんだけど、でも、どこかに凄くミーハーで女性的な視点がある。男性読者はそのあたりをどういう風に見て(読んで)るんだろう。そう言う部分には引っかからないのかな?

 私は歴史、戦争物は苦手なんですよ(頭が悪いもんで、戦略ってのが分からないんですよ(^^;))。だから、塩野さんのこれを読んでいても、やっぱり分かってはいないんですが(感想は、ひゃー凄いなーローマ人って凄いなー。カルタゴってアホやなー、ハンニバルってすごいなースピキオって凄いなーなんでこんな事が分かるんやろうなー天才って凄いなー、こんなに先を読んで行動できるなんて、人間ちゃうなー…と言うのしか出てこない、情けなさ(^^;))、しかし読み進めながら血湧き肉躍ってたりします(笑)。こんな感覚は久しぶりかも。司馬氏の「坂の上の雲」で、おお、血湧き肉躍る、とはこういう感覚か、と思った記憶があるのだけど、それ以来ですね。

 さて、ハンニバルとスピキオの時代もそろそろ終わりかけ。続きが楽しみ。
 

オマケ与太話:11/03に「癒し」という言葉が軽くなってしまっていやだ、と書いたけど、昨日の新聞で大笑い。ノーベル賞受賞の田中氏が「癒しキャラ」と書かれていました。思わず爆笑。書いた記者も今の世の中をかなり皮肉って書いたのだろうと思うけど、「癒しキャラ」扱いですか。なんともかんとも。
 中学生の長男が夕食時、タイムリーに「最近、田中さんの話ばっかりしか聞かないけど、カミオカンデの人はどうなったんだろう」というので、「田中さんは癒しキャラ的に人気高騰らしいよ」と言ったら苦笑してました。ほんとに、何ともかんとも…(^^;)


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