見つめる日々

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2004年06月21日(月) 
 真夜中に目を覚まし、窓の外をぼんやり眺めていた。強い風。あおられてひるがえる葉々は、ざわざわと大きな音を立てている。どのくらいそうして眺めていたのだろう。突然、さぁっと雨が現れる。街燈の灯りのもとに雨筋が浮かび上がる。斜め方向になぶりつけるような細かな雨。びゅるりるると暴れる風に乗って、雨は叩きつけるように降る。耳を澄ますと、葉々を打つ雨粒の音が、私の鼓膜を微かに揺らす。それは、遠く遠くから響いてくる名も知らぬ群の駆け足の音のように聞える。
 徐々に徐々に強くなる雨音。私は街燈の下に浮かび上がる雨粒をじっと見つめる。風に乗って細かな雨粒が、左から右に、筋を描く。風がひときわ強く吹くと、雨筋はもう粒で描かれるのではなく、まさに線のように現れ、隙間の一つもなくびっしりと現れる。
 昔、一度だけ台風の目を見たことがある。小学生の頃だ。その日は休日で、父も家にいた。ガラス窓をどんどんと叩く風と雨とが、一日中暴れ続けていた。そして夜、突然父が言った。「台風の目が来るぞ」。父の後について二階へ駆け上がり、弟の部屋の出窓に私と弟は陣取った。父がじっと空を見詰める。私たちはそんな父の様子に少し緊張していたような覚えがある。そして「見ろ、これが台風の目だ」。そのとき突然、それまで辺りを埋め尽くしていた風の音、雨の音がぷっつりと止んだ。空をじっと見つめれば、そこは澄み渡った夜闇があった。それまで厚く覆っていた雲がまるでぽっくりと口を開けたみたいに、そこだけ雲一つなく、晴れ渡っていた。南から現れたその台風の目は、ゆっくりと私たちの頭上を越えて、北へ進んでゆく。窓にへばりついて、私と弟はその様を見つめた。どのくらいそうしていたのだろう。突然また風と雨の音が再び訪れ、ガラス窓は滝のような雨と風とにぶるぶると震え始めた。
 気がつけば空の闇が少し薄れ始めている。雨も止んだらしい。私は娘が起きるまでのあと二時間を、娘の隣に横たわり、娘の寝顔を見てすごすことにする。

 午前中は止んでいた雨が、昼過ぎになると再び降り出した。斜めに斜めに、叩きつけるような雨である。相変わらず吹き続ける強風に、葉々は必死になって耐えている。裏返り、めくれあがり、それでも必死に枝々にしがみつく。その姿はなんだかとても美しい。
 そういえば。最近娘はよくベランダに出たがる。出て何をするのかといえば、大きな声で通りに向かってお願い事をするのだ。
 「神様ぁ、私をお姫様にしてください。私はセーラームーンになりたいんでぇぇぇす!」と言ったかと思うと、今度は「神様ぁ、私にピンク色のドレスをください。もっとかわいくなりたいんでぇぇぇす!」と言ったりする。私は部屋の中から、その後姿を眺めては、娘に見つからないように笑いをこらえている。
 まぁそういうことは、多分この年頃の女の子ならみんな思うことなんだろう。ほほえましくていいじゃないか、という気持ちで、私はいつも彼女の後姿を見ていた。
 それが、昨日、娘はとんでもないことを言い出した。
 「神様ぁ、ママと私にお金をくださぁぁぁい。お金がなくて困っているんでぇぇぇす、もっといっぱいいろんなもの買いたいんでぇぇす、神様ぁぁ、お願いしまぁぁす、ママと私にお金をくださぁぁい、お金持ちにしてくださぁぁい!」
 それを聞いたとき、私は自分の目玉が飛び出るかと思った。いや、確かに私にはお金がないし、娘が何か欲しいと言ったとき、お財布に余裕がなければ正直に「お金がないから買えないよ」と言う。娘はそれを聞くと、仕方なさそうに我慢する。確かにそれはそうなのだが。
 よりによって、お金をくださぁぁいと叫ぶとは。私はもう、腸がひっくりかえるかと思うほど笑った。笑って笑って、涙が出てしまった。
 娘はさんざっぱらそうやって神様にお願い事をすると、気が済んだというすっきりした顔で部屋の中に戻ってきた。そしてこう言うのだ。
 「ママ、今ね、神様にお願いしてきたからね。大丈夫よ。ね」
 私は、涙の浮かんだ目で、笑いをこらえながら、「ありがとうね」と言っておいた。本当は。
 本当はちょっぴり、切なかった。

 こうやってノートに書いているうちにも、雨はどんどん激しさを増してゆく。じきに通りの向こう側が見えなくなるんじゃないかと思うほど。ここまでくると、見事な降りっぷりで、感心してしまう。私は、こんな、ただひたすらに降る雨が、結構好きだ。できるなら、雨の中に裸で出て、雨を全身に浴びたいくらい。
 そして私は再び、娘の姿を思い出す。
 ベランダの柵をぎゅっと握って、体の底から声を絞り出してお願い事をする彼女の姿を。
 私はもう知ってる。神様にいくらお願い事をしたって、そんなこと、ほとんど叶いやしないってこと。神様にお願いするくらいなら、自分で地道に歩いていった方が、どれほど確実に何かを手に入れられるかってこと。
 娘もいつか、そんなことを知るのだろうか。学ぶのだろうか、自分の体験から。
 多分そうなのだろう。でも。
 もう少し、こうやって、神様お願い、と、言わせておいてあげたいと思う。サンタクロースのことも神様のことも信じて、もうしばらく、少女のままでいて欲しいと思う。いつか必ず、知らなくてはならないときがくるのだろうから。それまではせめて。
 そして、私が経たような経験を経ずとも、生きて学んでいってほしいと思う。
 それが、親の勝手な願いだと、充分に知っているけれど。

 雨、もっと降れ。降って降って、あちこちの滓を、全部洗い流してしまえ。
 窓の外、樹を葉をなぶりつける風と雨とを、私はまだ、眺めている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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