2004年11月04日(木) |
娘からラブレターをもらった。「はい、ママ!」、手渡された何処にでもあるような紙切れを開くと、大きなひらがなで、「ままさをりみうだいすきです。」と書かれていた。思わずくすっと笑ってしまうほどに大きくてはっきりしたその文字は、でも、とても大切で大切で、どういう顔をしていいのか、一瞬惑ってしまうほどだった。「ありがとね」と言うと、彼女はいつものように「いいえ、どういたしまして」と答える。そして私は尋ねてみる。「ねえ、すずかけ、って紙のはじっこに書いてあるけど、これは何?」「うん、明日教えてあげる」「ふぅん」。 そして翌朝、彼女は私の手を引っ張って小走りに駆けてゆく。「ほら、これがすずかけだよ」。彼女が教えてくれたのは、懐かしいあの木だった。「うわぁ、こんなところにもこの木があったんだぁ!」、思わず私がそう言うと、「ママ、知ってたの?」と言うので、「ううん、あの、うん、知らない」と答える。本当は知っていたけれど、彼女がせっかく私に教えようと思った気持ちをほんのちょっとでも潰したくない、そんな気持ちで。「ほらね、あそこにぼんぼりが提がってるでしょ」「うん」「すずかけって言うんだよ、昨日おばちゃんに教えてもらった」「隣のおばちゃん?」「うん、そう」「そっかぁ、かわいいね」「うん」。私たちは自転車に乗る。走り出してもしばらく、その話をしていた。 すずかけ。懐かしい名前。私が最初にあの木の実を探したとき、私はすずかけともみじふうとを混ぜこぜに覚えてしまった。今朝娘が教えてくれたその木は、間違いなくすずかけで、もう幾つも幾つも、ぼんぼりを提げていた。いつのまにか色づいた木の実。いや、そもそも、あの学校の入り口にすずかけの木があるなんて、私は今日の今日まで知らなかった。なんだかとても素敵なものを見つけたような、そんな気持ちで、私は仕事へ出掛ける。
もう先月の話になるが、背中の痛みで何度も目が覚めるということがあった。こういう痛みは何処へ行ったら治るのだろう。分からないので、とりあえず、全部の科が揃っている駅前のT診療所へ行ってみる。漢方薬の治療だというし、何とかなるだろうという勝手な思い込み。でも、実際、私は、そこで処方された漢方薬で、背中の痛みがすっかり消えた。 二週間後、薬がなくなったのを機にもう一度出掛ける。診察室の前で順番待ち。そのとき、何かいやな感じがした。とてもいやな感じ。診察室からはさっきと変わらず、今診察を受けている人の声と医者の声とが漏れて来る。大丈夫、たいしたことじゃない、大丈夫、そう自分に言い聞かせてみるけれども、一度やってきたそのいやな感じは、がっしと私を掴んで離そうとしなかった。気づけば、私の脳味噌の中、心の中、体中が、その音声の棘にぐさぐさと刺されていた。私は咄嗟に耳を塞ぐ、あの声たちが聞こえなければ、この波は収まってくれるかもしれない、そう思って耳を塞ぐ。でも、もう遅すぎた。耳を塞いでも、私の中に刺さった何千何億の棘は、ざわざわざわわと蠢き始め、私の中でぐわんぐわんと大きな波を作ってゆくのだった。 気づいたときには、私は二週間前に会った医者の前におり、「大丈夫?」と何度も尋ねられているというところだった。すみません、私、だめなんです、声が、声が突き刺さって。ごめんなさいね、何も知らなかったから、初診の人とは長く話さなくちゃならないし。いえ、私の方が悪いので、あの、だめなんです、私、声が、刺さって。今度気をつけるわね、ごめんなさいね。私が抱える事情を殆ど知らないその医者が、一生懸命私に謝る姿を目の端に捉えながら、私はうつむいていた。顔を上げることがどうしてもできなかった。そうしているうちに、波は少しずつ私から去ってゆき、でも、脈拍をとっている医者は、「でもね、前回いらしてくれたときの方がとんでもない状態だったわよ。脈拍もね、今の方がずっと大丈夫」と言う。二週間前、ここに来たとき、そんなに状態悪かったかなぁと今更ながら思い返す。が、思い出せない。 へとへとになりながら処方箋を受け取り、娘を迎えに自転車を漕ぐ。涙でぼろぼろになった顔のことに気づき、途中でスーパーのトイレで顔を洗い、でもこの目の縁の赤いのは隠しようがないなぁと一人苦笑し、とぼとぼと娘を迎えに行く。 「ママー、早過ぎだよ!」。迎えに行くと、娘は必ずといっていいほどそう言う。他にそんなこと言う子はいないので、保育園の先生たちが苦笑いする。せっかくママが迎えに来てくれたのに、と先生が言うと、だってぇ、と、にやりとした顔をする娘。そのくせ、家路を辿る自転車の後部座席に陣取ると、やがて小さい声で「ママー、会いたかったよー」と言ってぎゅうっと手を回してくるのだから、全部含めて、私にはかわいい娘だ。
今日、残りの仕事をかばんに詰め込んで、余った時間を少し使って埋立地まで自転車を走らせる。すずかけの実を見て以来、気になってしかたがないのだ。そう、もみじふうの実のこと。 じきに美術館の姿が私の目の中で大きくなってゆく。そしてその隣に。もみじふうが在る。 自転車から降り、それをゆっくりひっぱりながら、私は上を見上げる。あぁ、在た、在た。今年も彼らはぶらんぶらんと、その焦茶色の体を枝からぶら下げている。こんにちは。私は心の中で言ってみる。前回見たときよりも枝から葉が散り落ちているから、実はすぐに分かる。ちょっと見には黒い塊。よく見れば、とげとげを身にまとった、でもやっぱり焦げたような色の塊。もうすでに傾いているやわらかい日差しの中で、彼らはしんと静まり返っている。あの実の中には、どんな世界が広がっているのだろう。私の知らない小さな世界。実それぞれが持っているのだろうそれぞれの世界。 また来るね。今度は娘も一緒にね。そう言って別れる。もう風が少し冷たくなっている。 知らないうちにどんどん世界を広げてゆく娘。そんな娘に私もそっと教えてあげたい幾つもの欠片がある。この花はね、この実はね、この樹はね。それはもう、数え切れない。誰かにそっと教えてあげたい、そんなものを心の中に持っているということ、なんて幸せなんだろう。ぽっとともる蝋燭の、細い細い小さな蝋燭の炎みたいに。
さぁ、この仕事を終えたら、娘を迎えに行かなくちゃ。冬の太陽は、あっという間に沈んでゆく。 |
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