2005年02月13日(日) |
窓の外、闇色にすっかり覆われた街が静かに眠っている。耳を澄ましても、通りをゆく車の音が時折過ぎてゆくばかり。すっかり葉を落とし全身乾いた幹色の街路樹も今は、しんしんと、ただ立ち尽くしている。 さぁもう横になろうかと思った時、不意に電話のベルが鳴る。受話器を上げると、母の声。こんな時間に電話をかけてくるなんて一体どうしたのだろう。そう思いながら受話器を握っていると、それは、母からのSOSの電話だった。 母の古くからの友人Kさんが、突然電話をしてきた。午前一時過ぎ。ここそこの駅にいるので迎えに来て欲しい、という。 Kさんは、約一週間前から行方知れずになっていた。二月いっぱい契約していたマンションの大家が、今すぐにでも出ていけと言うから仕方なく荷物を持って家を出たのだ、と、先日電話があった。しかし、Kさんの姪っ子さんからの話によると、大家さんのところに荷物を持って突然挨拶に来たのはKさんの方で、大家さんは逆に、そんなKさんを心配し、姪っ子さんのところへ連絡を入れていた。つまり、大家さんから追い出されるという構図は、Kさんの頭の中でだけ描かれたものであり、極度の被害妄想に陥ったKさんが勝手に出ていったというのが現実だった。 数年前から気配はあった。どうもおかしい。そういう徴はすでにあった。真夜中タクシーを飛ばして数万円もの金をかけて、布団と一緒に「ここに置いてくれ」と突然訪ねて来たり、「姪たちに精神病院に閉じ込められて私は殺されてしまう」と電話をかけてきたり。母にとって大切だったKさんという友人に、母はそのたび振りまわされていた。 SOSが入ったのは。 突然訪ねてきたKさんが支離滅裂な、父や母にはどうにも理解の出来ない話や言葉を延々と繰り返す、そのことから、私ならKさんと話ができるんじゃないかと、そういう次第で私が呼ばれた。 まだパラノイアに陥る前のKさんは、仏様のような穏やかな顔をしたふっくらした女性だった。自分のことはいつでも後回しで、周囲の人たちの世話をやき、ひたすら「誰かの為に」生きてきた人だった。しかし。 今、目の前にいるのは、これでもかというほどに尖った表情をしたKさんであり、一週間も放浪していた彼女は、むっとするような臭気を体中から放っていた。 自分の周囲のすべての人が、彼女を精神病院に閉じ込めて彼女を殺してしまおうとしている。そんな妄想にすっかりとりつかれてしまった彼女が喋る言葉はだから、あっちへいったりこっちへいったり、どうやってもまっすぐには立てない言葉たちばかりで。 母はそれでも、大切な友人を、精神病院に入れるなんてことに荷担できないと、必死に抵抗した。しかし。 現実はそんな生易しいものじゃぁない。
Kさんが行方知れずになってからすぐ、心当たりの場所を探し回っている甥っ子さんから連絡が入っていた。もしそちらに行くようなことがあったらすぐに電話をください、迎えに行きますと言う。姪っ子さんからは、もうどうにもできない、今度見つけ出したらその時は、精神病院に入院させて二度と退院させないと泣き声の電話もあった。 結局、今朝、迎えに来た甥っ子さんに腕を支えられ、Kさんは甥っ子さんとタクシーに乗っていった。Kさんの最後の姿を見るのは辛過ぎると、母はそれより先に、家を出ていた。今頃母はどんな思いを抱きながら街を歩いているのだろう。Kさんを見送りながら、私はそんなことを思った。 人が壊れてゆく。そのきっかけというのは、何も特別な出来事によってばかり生じるわけではない。ごくごく当たり前の日常の中から、少しずつ少しずつずれてゆく。そういう壊れ方もある。Kさんは何年もの時間をかけて、ここまで来てしまった。もう誰も彼女の崩壊を止められる者はいない。 Kさんを見送った後、私たちは娘のお遊戯会へと出掛ける。精一杯今日までの成果を舞台で披露する娘の姿を見守りながら、私たちはそれぞれに、自分の心の中に今渦巻く何かを、じっと味わっている。 「今はあんなになってしまったけど、それでもね、Kちゃんは、誰かの世話をしているときはとんでもなく正気なのよ。てきぱきと何でもこなして、生き生きしてる。なのにどうして…」 「そういうものだよ、多分。自分の為に生きるということを忘れてしまって、何処までも何処までも誰かの為に生きてしまっていると、その誰かが不在になったとき、途方に暮れるんだよね。迷子になってしまう。どうやって生きたらいいのか、それが分からなくなってしまう」 「同じ歳をとるでも、あんなふうに晩年を迎えるのは、辛過ぎるなあ」 「どんなときも自分をしっかり持っていないとだめなんだろうな」 「それにしたって、人間あんなにも表情が変わるものなんだろうか。今もまだ信じられない、信じたくない」 「変わるよ。心持ち一つで、人の顔はいくらでも変わる。人の顔も人の心も」 「あのとき言った通りになっちゃった。もうこれ以上誰かの為に生きるんじゃぁなくて、自分の為に生きないとって、あの時言ったのよ、彼女に。もう三十年は前になるけど」 「もしそっちの道を選んでいたなら。もっと別の生き方があり得たのかもしれないね。今そんなこと言ってももうどうにもならないけれども」 そして三人とも、沈黙した。父母は今、何を思っているのだろう。私には、別れ間際のKさんの射るような目が、鮮明に思い出される。
今日という一日。娘の成長とKさんの崩壊。明と暗。まさに右と左。私たちは今、同時にそれを掌に載せている。私たちはこの先、どちらに転がるのだろう。私や父や母に、Kさんのような状態に陥ることがあり得ないなんて誰に言い切ることができよう。いつだってそれは背中合わせなのだ。日常は強固な大地に打ち立てられているものと考えやすいが、それはきっと違う。下手すれば幅数センチの綱渡り。いつその綱から足を踏み外して地面に叩きつけられるか知れたものじゃない。だから必死なのだ、生きることはいつでも。 夕方。父母を見送るとき、ふと呟いてしまう。どうか丈夫でいてください。私も娘も、あなたたちを愛している。いついかなるときも。それを忘れないで。
もうじきこの長い一日が終わろうとしている。充血した目で眺める夜闇は深く、延々と広がっている。寝息を立て始めた娘の傍らからそっと立ちあがりベランダに出ると、私は目をそっと閉じてアネモネの葉に触れてみる。柔らかい柔らかいその感触。撫でる私の掌をやさしくくすぐる。ねぇKさん、覚えていますか、以前お会いした折、山の野草を摘みながら笑い合って歩いたよね、あの山道。あの時の草木の匂い、私はまだ覚えています。 一度崩壊してしまったものを元通りに復元することは、それが物であれば不可能ではないこともある。けれど、それが人間であったときは。 そして私は、心の中に浮かんだ幾つもの顔に感謝する。粉々に砕け散った私の心をこうやってここまで引っ張りあげてくれたのは、いつだって友だった。友の存在だった。もしあのときあの友がいなかったら、もしあのときあの友が私の傍らに黙ってついていてくれなかったら。今日会ったKさんはそのまま、私だったかもしれない。 人間という字はヒトのアイダと書く。その意味を、私は今夜もまた噛み締める。ヒトのアイダ。私たちは人間として生まれた。そしてできるならば、人間として死にたい。私たちはヒトのアイダにいてこそ人間なんだ。だからこそ。 一陣の風が吹き過ぎてゆく。季節は冬。人のぬくもりが恋しい、そんな季節。 |
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