見つめる日々

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2005年05月11日(水) 
 朝一番に実家に電話をする。「みう、おはよう!」。娘が答える。「ママ、みうね、もうごはん食べちゃった!」。そして「今ね、お店屋さんごっこの用意してるからまたね」。そう言ってさっさとばぁばに電話を渡し去ってゆく娘。受話器を握りながら苦笑する私と母。
 駅前にある、以前お世話になった病院へ向かってゆっくりと坂を下ってゆく。途中、人一人しか通れないくらい細い道に入り込んで、あちこちを眺めて歩く。蒲公英のぽんぽんはもうなくなってしまた。みうがいたら寂しがるだろうなと心の中で思う。二階の窓まで伸びるモッコウバラも殆どの花びらが散り落ちて、今は樹の足もとのアスファルトに、クリーム色の絨毯ができてきる。
 「こことこことここと、三箇所が膿んでるの分かる?」「よく分かりません」「そうかい、じゃぁ薬塗って…、これでも痛くない?」「痛く、ないです」「そうかぁ」「すみません」「ははは、謝ることじゃないよ、でも、洋服ですれるとよくないから、しばらくはガーゼと包帯、外しちゃだめだよ、痛くなくてもね」「はい」「また明日か明後日いらっしゃい」「はい」。あちこちの病院に電話をかけて、ことごとく断られたのは、あれは何日のことだったろう。記憶が曖昧で、思い出せない。でも、ここに来れば、この先生が診てくれる。その安心感が、私を支えてくれる。
 タクシーで仕事場まで行き、残りの仕事を片付ける。帰り際、仕事場の人が私の顔をじっと見るので、どうしたんですかと尋ねると、「目の焦点が合ってないぞ。気をつけて帰れよ」といわれてしまう。「えー、そんなことないですよ、大丈夫、大丈夫」「いーや、おまえのでかい目はすぐにバレるんだ。焦点、合ってない」。自分じゃぁ結構大丈夫のつもりなのだが。
 会いたい人がいるということは、多分もうそれだけで幸せなんだろうなと思う。ああ、あの人に会いたい、あの人と会ったらこんなことも話したい、あんなことも話したい、早く会いたいな。そう思いながら歩いていたら、まだ真っ直ぐ歩けない自分に気づく。慌てて薬屋に入り、気休めと知りつつドリンク剤を買う。できるなら、一人の時以外は元気でいたい。一人のときにふぅっと息を吐いて、疲れてるのかなと思うのは構わないけれど、でも、それ以外は、できるだけ元気に笑っていたい。
 あまりに身体がふらつくので、タクシーに乗り込む。まったくだらしがないなぁと自嘲する。
 それにしても。なんて緑が美しいのだろう。タクシーの窓、流れてゆく景色をじっと眺める。少し上を向いて、空も見上げる。緑と空の色とがお互いに輝き合って、私の視界でゆらゆらと踊っている。川を渡るとき、鴎がついっと車窓を横切る。世界を作った人は、どうしてこんなにもたくさんの色を持っていたんだろう。私の心の中に景色が堕ちてくるとき、堕ちてくる間に色はあっという間に殺ぎ落とされ、モノクロームの姿となって沈んでゆく。それでも、私の目の中で一瞬のうちに輝いた世界の色たちの存在は、私の心をやさしくさせる。

 他愛ないことを話し、話が途切れれば途切れたでなんとなく笑い合い、そうしている間にあっという間に時は過ぎてゆく。会ったらこれも話そうあれも話そうと思っていたそれらのことなんて、気がつけば全て何処かに消えてゆき、今ここに一緒に在るというそのことだけでもう充分過ぎるほどに心が安らぐ。こんなとき、言葉なんて必要ないんだな、とそのことを知る。

 その人を見送った後、洗い物をしていたらすっかり包帯を濡らしてしまう。仕方なく包帯を外し、ガーゼを外し、窓際に吊り下げる。そして自然、私の目は傷口に向かう。
 昼間、病院で写真を撮ってくれた、その傷だらけの写真を鞄から引っ張り出す。写真と、実物の自分の腕と、ただじっと見つめる。
 この傷は、いつか消えてくれるのだろうか。消えることは、やっぱり、あり得ないのだろうか。娘の顔が自然に思い出される。ねぇみう、こんな腕でも、もうしばらくはママと手繋いで歩いてくれる?
 リストカットなんて、一体誰が考え出したのだろう。最初はやっぱり、手首を切るという行為は死ぬために存在したのだろうか。そうだとしたら、どのくらい深くその人は手首を切ったのだろう。相当に深く切らなければ血なんてそうそう吹き出さない。昔何かの映画で見た覚えがある。手首をざっと切った、その傷口から、噴水のように血が吹き出していた。また、別の映画では、頚動脈を切ったその瞬間に、ホースから大量の水が噴出すみたいに血が辺りに飛び散っていた。いや、そんな、映画の話は別にどうでもいいんだ。私が気になっていることは、先日、救急医療を施してくれる病院を探していた折に何人かの看護婦が口にしていた言葉だ。「病院は治りたい人が来る場所。自分でリストカットするような、治りたくない人が来る場所ではありません」。あちこちに電話をし、ことごとく断られたあの時のこと。手首を傷つける、自分の体を傷つけてしまうという行為は、治りたいと願う人の行為ではない、という、あの断言。
 でも。私は治りたい。パニックを起こし意識を失ってその間に自分の腕を切り刻むなんて行為から、早く脱したい。それでも、治りたくない人の行為と、断言されてしまうしかないのだろうか。
 電車に乗ってつり革に掴まっている年頃の女性がいたりすると、私はついその人の腕を見つめてしまう。美しい、傷一つない腕。あぁなんて美しいんだろうと心底思う。太いとか細いとか、そんなこと関係ない。このとき私の心の中にあるのは、羨ましいという気持ちではない、そこに在るのは、ただ、あぁ美しいなぁという、たとえば美しい花の前で立ち止まり自然目を細めてしまう、そんな気持ちだ。そうして滑らかなその肌に、その腕に、私の目が奪われる。そして思うのだ。あぁこの人には、手首を切り刻んでしまうような理由なんて、ずっとずっとあり得ませんように、どうかその腕がずっとずっと、美しいままでありますように、と。心の奥で、祈ってしまう。私が祈ったからとて、何がどうなるわけでもないのだけれども。それでも。

 朝の風。少し冷たい。雲が薄く広がる空を、鳥が二羽、渡ってゆく。あぁ、今日もこうして、一日が始まってゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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