見つめる日々

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2006年03月15日(水) 
 昨日たった一日水をやり忘れたせいで、再びアネモネとラナンキュラスがくてんと倒れ臥している早朝。眠り損ねて窓を開けた私は、植物に頭を下げながら、何度も如雨露いっぱいの水を汲んで、ベランダと水場を往復する。先日ようやく現れた二つの水仙の蕾。考えてみたら、レプリートというこの二株のみ、自分で新たに買い足したものだった。その他の水仙の球根はじゃぁどうして手に入れたかといったら、マンション一階で店を開いている美容院の入口に「貰ってください」と書かれた札と共にダンボールに入っていて、それを私も頂いたという次第。あぁ、じゃぁ、去年まで、よそのおうちでいっぱいいっぱい労働してきたのだろうなぁと改めて思う。頬杖をつきながら、水仙を植えた幾つかのプランターの前で、ご苦労様と小さく声に出してみる。それじゃぁ今年は咲く気力はないかもなぁ、来年だね、来年、楽しみにしてるよ、と、話しかけながら、伸びすぎた水仙の葉たちをひとつずつ撫でてゆく。私の脳裏には、去年どこかのお宅でこんもりと咲いていた小さな水仙の花たちの姿が浮かぶ。もちろんそれは私の勝手な空想だけれども。
 今日は娘の卒園遠足だ。早朝五時、私は窓を半分開けたまま、お弁当用に唐揚げやおにぎりを作る。時々窓から首を出し、空を見上げ、風に腕を伸ばす。水曜日まで寒いかもしれないと言っていた月曜日の天気予報。昨夕の天気予報では、その寒さも水曜日朝までになりそうだと告げており、娘と二人、思わずやったと手を叩いた。
 保育園というものがなかったら、この私たちの二人暮らしなど、成立しなかっただろう。娘の通う保育園は、この市内で一番古い保育園で、駅前のごちゃごちゃした町並のど真ん中にある。実家の父母などはそんな、繁華街にたつこの保育園に眉をひそめるが、他に通える保育園は当時なかった。
 園庭などはもちろんなくて、唯一ある外遊びが可能な場所は屋上、そこにひっそりと滑り台が置いてある。それのみ。夏はこの屋上にビニールのプールを臨時に設置し、そこで子供らは水遊びをする。年長組がお泊り保育の折にちょっとした夜祭と盆踊りを催すのだが、それらもすべて、屋上だ。ゆえに、諸々の条件が重なって、この保育園は外遊びが非常に少ない。子供らは自然、家の中の遊びには慣れるが外遊びを率先してしないまま大きくなる。娘ももちろんその一人で、親としては少々心配になったりもするが、でも、逆に考えれば、家の中の遊びに彼女が長けていてくれるおかげで、休日でも、私はあれこれ用事を為すことができるのだと思う。
 寒い季節と幾つかの行事が重なって、この冬娘のクラスは殆ど外で遊ぶ機会がなかった。だから、この今日の遠足は、十日も前から娘が指折り数えている、楽しみな楽しみな行事。六時、七時と時間が進むにつれ、窓の外は光に溢れ、そして、温度も少しずつ確かに上ってきている。嬉しい。これなら、子供らが外で飛び跳ねて回るのもきっと、しやすいに違いない。

 娘を送り出し、少し横になる。横になりまもなく、どしんと堕ちてくる眠り。夢に揺られながらも、私はその眠りを貪る。
 夢の中に、ついさっき脇を通った公園の桜の樹々たちが黒々と現れる。もうかなりの老木である彼らはそれでも、今年も雄々しく花びらを散らすだろう。そして私たちはあの、花嵐のトンネルをゆっくりと歩くのだ。上からも下からも、右からも左からも舞い上がり舞い堕ちる花びらのトンネルを。
 どどどん、どどどん、どどどん。夢の奥の方から、地響きに似た音が一歩一歩こちらに近づいてくる。どどどん、どどどん、どどどん。音と共に浮かびくる桜樹は魑魅魍魎犇めく濃密な夜闇の中、徐々に徐々に現れ、そして今、私の視界の全てを覆う。
 梅は早朝、桜は夜闇。梅が雌女なら桜は雄男。咲き始めが梅ならば、散りゆくことこそ桜。私にとって、梅と桜はそんなふうに絡み合っている。

 今改めて、生活を見直す必要を感じる今日この頃。この生活は私一人をどうにかすればいいという無責任なものではなく、娘をいずれ世に送り出すのに必要な、責任ある生活だ。一年二年という単位ではなく、五年十年の単位でものを考えなければいけない。でも、今のままだと、私たちの生活は破綻する。破綻せざるを得ないだろう、いずれ。
 だから、時間を見つけては、思いつくまま心に付箋をはってゆく。あれこれメモした付箋たち。家賃、光熱費、食費、医療費、教育費…。実際的な事柄をちょっと挙げただけでも溜息が出る。が、それらは全部、生活の必需品。欠かしようがない代物。それらを土台に、生活がある。そしてさらに、私の場合付箋は増える。パニック、フラッシュバック、過呼吸発作、睡眠障害、諸々の薬、救急車のサイレン、いつ崩れてもおかしくはないこの肉体…。が、それらとどうしようもなく付き合いながら歩いていくしかないのが私たちの現実。
 あぁもういっそ何処かに逃げ込んでしまいたい、と、思わず弱音を漏らしたくなる。どうすることが私には娘には、一番いいのだろう。私には何ができなくて、そして何が、できるだろう。

 夕方、娘を迎えにゆく道筋でふと足を止める。店先の種コーナー、半額シールが新たに貼られたものたちのうちで気になるものを四つ、レジに持ってゆく。シノグロッサム、テディー・ベア、ブラキカム、スーペリオール。さぁ、何処に植えてゆこうか。
 そして娘と帰宅。階段をのぼりきったところで顔を上げると、目に飛び込んできた暗橙色の月。ママ、すごい。すごい、ほんとだ。怖いね、ちょっと。気持ち悪いよ。私と娘はすっかり目を奪われ、しばし立ち止まる。ほんと、すごいね、まん丸だね、大きすぎてしかもあんまりな色だよ。私は思わず、繰り返し同じことを言ってしまう。娘はそんな私の言葉を聴いているのかいないのか、突然言う。ね、ママ、今年も花火見れるかな。あぁ、今お月様がある場所と、もうひとつはあっち側とだよね。ね、見れる? うん、見れるよ。ここに椅子ならべて、おばちゃんたちと見るんだよね。うん。楽しみ! …玄関の鍵を開けると部屋に飛び込んでゆく娘の背中を見つめ、私は考え込む。やっぱり、もうしばらくここで暮らすための努力を、そのための方法を、今は考える方がいいのだろうか。娘にとってこの場所は…。答えはまだ当分、出せそうにない。
 気付けばすでに時計は真夜中を回っており。窓の外夜空を見上げれば、夕刻に見たあのでろりんとした月からは全くかけ離れたほどに真っ白くて丸い丸い澄月が、空の高みに浮かぶ。月が好きなんだと言っていた西の街の友はもう眠ったろうか。どうか少しでも深く長く、安らかに眠れますよう。


遠藤みちる HOMEMAIL

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