見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2009年08月19日(水) 
時々廊下の暗いところや玄関に蛇が出る。
蜘蛛だったりもする。
それが幻覚だということを、私はよく知っている。
知っているが、見た瞬間はどきりとする。どきりとして、直後、げんなりする。
またか、と思う。
洗濯物をしながら、そこにいる蛇や蜘蛛の気配を窺う。
早くいなくなってくれないものかと思いながら、同時に、これがずっとここにあったらどうしようと想像したりもする。

娘と映画を観に行っていつも感心させられるのは彼女の集中力だ。
じっと見ている。見つめている。退屈という言葉はそこには存在しないらしい。どんな場面であっても彼女はじっと見つめ、観察している。そして映画の後、矢継ぎ早にあれこれ感想を言ってくる。
私はといえば、面白くない映画だったりすると寝てしまう。昨日はたまたま体調がよく、ついでに映画はつまらなかったがそこに映る景色が美しかったので起きていられたが。
観た後、「うーん、これはどうなの」「みうは一箇所感動したよ」「どこよどこよ」「秘密」「秘密ってことはないでしょう、教えてよ」「だめー!」などと笑い転げる。

骨折が治ってから、彼女は走らなくなった。これまでリレーの選手でやってきたのに、今年もリレーの選手の選ばれていたのに、全くといっていいほど全力で走らなくなった。理由をきいても彼女にも答えがないらしい。でも走らない。走れない。
せめて自転車には馴れさせてやりたいと思い、機会をみつけては彼女と走る。しかし、前のような走り方はできない。しない。
昨日の夕刻、彼女と一緒に港町を走っていたが、ちょくちょく後ろを振り返らないと不安なくらい、彼女はゆっくりふらふらとしかまだ走れない。自転車は多少スピードをつけないと余計走りづらいということを忘れてしまったのだろうか。
骨折の痕は、こんなところにも残っている。

私は考えてみれば、盲腸もしたことなければ骨折もしたことがない。PTSDという病の他に、大病などというものは患ったことがない。
だからかもしれない、彼女の、骨折によって蒙ったものの大きさがいまひとつ分からない。それが悔しい。
あれほど乗り回していた自転車、あれほど走り回っていた足、それらが失われること。
それはどれほどに大きいことだろう。
失われたものは、時にとても大きく見える。彼女がその大きさに唇を噛んだりすることがなければいいと思う。できることならば。

アメリカン・ブルーがすくすく育つ横で、ラベンダーがちんまり枝を伸ばしている。まるで、アメリカン・ブルーに虐げられているかのような格好で、枝を伸ばす。あまりにそれが哀れで、私は毎日枝葉を撫でてみるのだが、彼はまだ、自分の居場所を得られないでいるようだ。
薔薇たちは新芽を次々出している。蕾もまた新たにつき始めた。まだ新苗だから大きな花は咲かないが、それでも咲こうとしてくれる小さな蕾に私はうっとりする。

今日は母のインターフェロンの日。
今日を含めあと二回でインターフェロンの治療は終わる。そして半年後、ウィルスが再生していなければ。治療は有効だったことになる。しかし。
もし再生したら? どうなる? 父はそのとき?
ひたすら母に付き添うあの企業戦士だった今の父の姿に、私はなんとも切ない思いを噛み締める。日に日に痩せていく父の、その姿など、一体誰に想像ができただろう。
母よりも多分、父の方が参っている。精神的にも多分、父より母の方がタフだ。死を迎えるのがもし母の方が早かったとしたら、父はそのとき一体どうなってしまうだろう。
もし父より母が後に残ったとしても、それは多分大丈夫だろう。しかし。
父は。
今頃車で二人は病院に向かっているはず。
曇り空を見上げながら、私は二人を想う。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加