見つめる日々

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2009年08月26日(水) 
微々たるものだが給料が入る。少し、ほんの少しほっとする。同時に、郵便受けにはマンション更新の通知。現実は厳しい。

窓を開け放して寝ていると、布団が欲しくなるほど涼しくなってきた。まだ8月は終わっていないのに、こんなに涼しくていいのだろうか。首を傾げながら空を見上げる。今日は空の大半を雲が覆っている。風も微風で、薔薇の枝葉は静かに佇んでいる。

勉強しようと思っている物のテキストが届く。ぱらぱらとページをめくってみる。そこには、それまで自分だけでは至らなかったものたちがたくさん横たわっている。私はこのテキストから、どれだけのことを得ることができるんだろう。今からどきどきしている。

高校時代の友人、といっても、途中、断絶していた時期もあった友人なのだが、その友人といろいろ話をする。のびやかな午後。
友人は、再会したその時、ごめんねと言ったのだ。私はその言葉を多分忘れないだろう。そのくらい私にとって、彼女のその言葉は大きかった。
友人があれこれ日常のことを話してくれる。私もそれに相槌をうつ。
断絶していた時期、こんな時間が私たちに在り得るなんて、誰が想像しただろう。本当に、人との関係というのは不思議なものだ。
先日、その友人の娘たちと私たちとで、プリクラを撮りに行った。というのも、私が頼んだのだ。娘とのこの夏の思い出に、写真を撮っておきたいから、と。実は私は、プリクラなどというものは撮ったことがなく、存在は知っていてもそのやり方がわからない。友人の娘さんたちは、プリクラの撮り方も何も全部知ってるから、ぜひぜひお願いしますと頼んだのだ。
とりあえず、何とか撮った。しかし。あれは、恥ずかしいものだなとつくづく感じた。娘と友人の娘さんとはきゃあきゃあ言いながらカメラにポーズを取っていたが、私はとてもじゃないができない。その後も、シールに向かってあれこれ言葉をつけたり飾りをつけたりしていたが、私はとてもあんなことできそうにない。年代の違いなのかな、と、思わず苦笑い。
でも今、そうして何とかできあがったプリクラが、私のスケジュール帖にしっかり挟まっている。私と娘とが並んで写真に納まるなど、他にはない。貴重な小さな小さな写真たちだ。

今朝、娘の弁当を作りながら、あぁ、来月からは給食が始まるのだな、と思い出す。お弁当を作るのは面倒くさくて、毎日、本当に適当な、今よく見るキャラクター弁当なんていうものとは程遠いそっけない弁当を作り続けてきたけれど、娘は文句一つ言わずきちんと食べて返してくれた。残してきたのはたった一度、ブロッコリーが固くて食べられなかった、と残してきた、そのただ一度きりだ。
こうやって思い返してみると、ありがたいな、と思う。空になって戻ってくるお弁当箱が当たり前だったのではない。ちゃんと食べてくれる人がそこにいたから空っぽになって返ってきてたんだ。そこに思い至って、まだ眠っている娘に、小さくありがとうと言う。

この夏休み、タイピングを覚え始めた娘は時折、私が友人とスカイプなどで話をしていると乱入してくるときがある。タイピングを自分でできるようになったことがとてもうれしいらしい。私と彼女のタイピングは、微妙にその仕様が違っていて、もはや私が教えられることは殆どない。まだゆっくりゆっくりしか打てない彼女だけれども、今に私などより早く、たったかたったか打つようになるのだろう。卒論を、ワープロでしこしこ書いていた私の時代とは違うのだ。

そんな今日は、母のインターフェロン治療最後の日。今頃病院に父と母二人、向かっているはず。この年になって新車を買うなんて、と思ったが、二人にとってそれが楽しみなら、黙って見守っていよう。その車のおかげで、父は母を送迎できるのだし、二人して別荘に遊びに行ったりもできるのだ。二人がそうやって二人の時間を満喫してくれることは、私や弟にとって喜び以外の何物でもない。
半年後の結果は心配だけれども、とりあえず、今月を乗り切れば、インターフェロン治療の副作用の苦しみから、母は一旦解放される。
母がまた、着物を着る楽しみを得たり、日本刺繍を為す楽しみを得たり、庭仕事を地道に為す楽しみを得たりすることが、一日も早くやってきますように。

ふと思い巡らす。
今こうして穏やかに時間を味わっている私がいる一方で、何処かの誰かがきっと泣いている。
そうした陽と陰とが、常に背中合わせにある。
そのことを、忘れないで。忘れないで生きていたい。

今、雲間から陽光が真っ直ぐに降りてくる。並木道の銀杏の緑が、きらきらと揺れている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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