見つめる日々

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2009年10月10日(土) 
暗い空が広がっている。重たげな雲が一面。昨日の天気が嘘のようだ。無理矢理起こした体がぶるりと震える。肌が粟立つ。私はベランダで髪を梳かしながら、じっと空を見上げている。
葉を切り落とされて蕾だけになった枝は不恰好に天を向いている。それでもこの分なら何とか花が咲いてくれるかもしれない。私の中に僅かな望みが浮かぶ。でも。玄関のアメリカン・ブルーはどうだろう。台風の後から一変してしまった。葉が下を向いて、枝もみすぼらしく伸び、なんともかわいそうな姿をしている。枝を切り詰めるしか術はないのだろうか。もう少し様子を見て、母に訊いてみよう。できるなら花芽をつけた枝を切りたくはない。

おかしな一日だった。一日のうち五度の注文、五度のキャンセル。最後は郵便局に取戻請求を出して駆けるような事態。すべて同じ人から。私は頭を抱えてしまった。でも。その理由がやっと分かる。
朝一番に受信したメールの中に、その方からのメールが入っていた。心の状態が不安定であることが記されていた。本当はオリジナルブレスを注文したかったがそれがなかなかできず、結局このようなことになってしまった、と。
だから私は返事を書く。お店にすでに出ているものも、全て精魂込めて作っています。状態を少しでも教えていただけたなら、アドバイスできることもあるかもしれません。最近どんな状態なのかもう少し詳しく教えていただけないでしょうか。お返事、お待ちしています。
メールを送信する。でも心許ない。何度も送信ボックスを確認し、自分を納得させる。メールというのは何というか、頼りない。本当に届いているのかどうか、私はいつも不安になる。こういうメールほど、大丈夫だろうかとコンピューターに確認したくなる。どうか無事にその方に届いていますように。そしてできるなら、返事が来ますよう。

お店を営んでいると、時折こういう事態にぶち当たる。そのたび私は正直落ち込む。また、「私の状況を見透せませんか?」というような言葉が時々届く。何の説明もなしにそういう言葉が届くと、私は頭を抱えてしまう。私は超能力者ではない。その方から届く情報から感じ取れるものを懸命に自分の中で噛み砕き、石に問いかけ、その方と石とを巡り合わせる、そのお手伝いはできるけれど、でも、万能ではない。
そもそも石は、その方の心のサポートをすることはできても、石が運命を変えてくれるわけではない。運命を変えてくれる石を教えてくださいというメールにはだから、石が運命を変えてくれるわけではありません、運命を切り拓くのは自分自身で、石はあくまでサポート役なのです、ということをお伝えする。
ねぇさんは商売が下手だね、という人もいる。ばか正直にそんなことを言わないで、あなたにはこれが合います!と声高に言って商品を売ることだってできるだろう、と。もちろん、そうすれば商品は売れるかもしれない。もっと店は潤うかもしれない。でも。
そんなことをしたって、私は嬉しくない。石も嬉しくない。石を持つ人もきっと嬉しくない。そう思う。だから、できうる限り心を込めて、まっすぐに向き合っていたい。

久しぶりに街中に出て、大きなスーパーに足を運ぶ。娘の下着を探すためだ。少し、ほんの少しだが、娘の胸が膨らんできた。以前胸の部分が二重になっている下着を何枚か用意したのだが、すっかりつんつるてんになってしまっている。だからもう一回り大きいサイズの、胸の部分が二重になっている下着を買ってやらなければと、少し前から思っていた。
四階建ての店には、たくさんの人が出入りしていて、私は少し気後れする。古い建物で、エレベーターは一機、エスカレーターは上りだけ、という具合。私は階段であがることにする。下着売り場、下着売り場。そう口の中で呟きながら、三階まで上がる。色とりどりの下着。これまではいつも通販で済ませていた。でも何故だろう、店で自分の目で確かめて娘に買ってやりたいと今回は思った。
思っていたよりもすぐに、目的のものは見つかる。しかし。種類がたくさんありすぎて、私は困ってしまう。
そして思い出す。私は、母にこういったものを買ってもらったことがなかったことを。母はそういうところが不器用な人だった。もしかしたら無頓着だったのかもしれない。私の生理が始まったことに気づいたのも一ヵ月後で、ようやく気づいて、唐突に、母は私の箪笥にブラジャーとナプキンを入れてきた。ナプキンの使い方も何もなければ、ブラジャーのサイズも小さすぎて私は途方に暮れたのだった。今思い出しても苦笑してしまう。
そんな私はだから、スポーツブラというものをつけたことがない。もしかしたら母が嫌いだったのかもしれないが、こういうブラジャーを着けないで大人になった。今でもこういうタイプのブラジャーを、私は使うことがない。
そんなブラジャーが、山ほど今目の前に並んでいる。私の目はちかちかしてきて、なんだか頭がくらくらしてくるような錯覚を覚える。一体何をどのように選んだらいいのだろう。娘はこういうブラジャーを買ってやって、果たしてつけてくれるんだろうか。嫌がるだろうか。やっぱり最初の目的の、胸の部分が二重になっている下着だけにしようか。どうしよう。
私は不慣れな場所で、とうとうしゃがみこんだ。本当に私は悩んでいた。たかがこれっぽっちと思われるかもしれないが、私は真剣に悩んでいた。そして思い出す、娘の一言。「ブラジャーをつけてるといじめる人がいるんだよね、ブラジャーつけるのいやだなぁって思った」。
よし。今はまだブラジャーはいらない。キャミソールだけにしよう。ようやく決心がついて私はレジに行く。何となく俯いて品物を受け取る。キャミソール四枚。白いキャミソールがなんだか余計に眩しく見えて、私は一瞬目を閉じる。でも。
何とか買い物ができた。今はそれだけでいい。私は店の前で深呼吸をし、自転車に跨る。今度ここに来る時は、娘を一緒に連れてこよう。娘の好みもあるのだろうし、それが多分一番いい。自転車を漕いで坂を上りながら、私はそう思い巡らす。
頼まれたとおり、私は五時半に娘を起こす。なかなか起きない。ゆすっても呼んでも起きない。最後私は彼女の脇腹をくすぐって起こす。新しい下着をつけた彼女は、その下着の色同様、眩しく私の目に映る。くすぐったいような、恥ずかしいような、何となく落ち着かない気分。でもそうやって、気づいたら彼女は、あっという間に女になっていくのだろう。私が母にとってそうであったように。

ほら、バスの時間だよ。急いで。私は娘を急かす。両手にゴミの袋を提げて、私は玄関に立つ。すぐ脇にはアメリカン・ブルー。まだまだ元気がない。こんな時は本当にどうしたらいいのだろう。植木で困ると、やっぱり母の顔が浮かぶ。彼女はいつもどうやって乗越えてきたのだろう。母の母は、植木など見向きもしない、同時にそんな時間を持つこともなく逝ってしまった。だから祖母が母に植木のことを教えるなどという場面は、一度たりとも私は見たことはない。母はきっと昔からいつもひとり草木と向き合ってきたに違いない。どんなふうに彼女は耳を傾けていたのだろう。どんなふうに草木の声を聞いたのだろう。アメリカン・ブルーの垂れ下がった枝を撫でながら、私は心に浮かぶ母の顔をなぞる。
始発のバス。それでも席はみんな埋まっている。私たちは唯一空いていた席に座る。ねぇ、月曜日の朝、写真撮りにいこうか。いいよ。また始発だよ、それでもいい? うん、いいよ。
とりあえず、休日の予定はこれで決まった。バスはあっという間に駅に着く。そして私たちはそれぞれに電車に乗る。じゃぁね、うん、じゃぁね。彼女は実家へ。私は私の場所へ。

雲間から一筋、今光が、射す。


遠藤みちる HOMEMAIL

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