見つめる日々

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2009年10月16日(金) 
枕元でアラームが鳴っている。セットしたのは四時。ちょうどプリンターにセットした用紙がなくなる時間。私は無理矢理寝床から起き上がる。しかし。セットした用紙はまだ残っていた。おかしい、と思えば、用紙より先にインクがなくなっていたのだ。これは計算外だった。私は急いでインクを交換する。プリンターが再び動き始めるのを確かめ、私は溜息をつく。ついてから慌てて口に手をやる。朝一番に溜息をつくとその日一日中溜息ばかりの日になると誰かに聞いたことがある。そんな日になったら困る。私は頭を振り、余計な思いをかき消す。気のせいでありますように。そうして私はベランダに出て今日も髪を梳かす。まだ街の気配は眠りの中。
娘の世話のおかげですっかり人になついたミルクとココアが、私の気配を察して家から顔を出す。おはよう、と声をかけると、ふたりして、籠の入り口にやってくる。私はちょっと躊躇い、でも何も構わないのも申し訳なく、冷蔵庫からキャベツを取り出す。葉を千切って籠に入れてやると、ミルクは下の方から、ココアは身を乗り出して上の方からかじかじ齧る。
再びベランダに出、薔薇の様子を見やる。枝を切り詰めてからというもの、薔薇が力を蓄えていくのが手に取るように分かる。蓄えられた力は、新芽となってやがて噴き出す。今日もまた新たな新芽がもぞもぞと動き出している。最初は真っ白な、そして少し顔を出し始めると真っ赤に染まるそれは、空気の振動をそのまま受け取っているかのように微妙に震えている。それが私の気のせいだということは分かっている。それでも、私にはそう感じられる。まるで生まれたての赤子のように震えている、と。
振り返れば金魚が、こちらを向いて尾鰭をゆらゆら揺らしている。日に日に大きくなっていくその尾鰭は、優雅な曲線を描き、水の中、発光するように揺れている。私はちょんちょんと、水槽を指で叩く。その指の音に吸い付くように、金魚が顔を寄せる。

郵便受けを覗くと、エアメールが届いている。誰からだろう、と思いながら封を切ると、米国に今いる友人からだった。便箋を開くと、その彼らしい律儀な文字が並んでいる。最近の様子などが簡潔にしたためられたその手紙を、二度、三度読み返す。
幼い頃から武芸を嗜んでいた彼の姿勢はいつもきりりとしていて、立ち姿が実に美しかった。仲間からひとり外れて座る私のところに、何故かやってきては、挨拶をしてくれた。真っ直ぐな彼の目はいつも、私には眩しかった。大学を卒業するとともに、疎遠になった。私は私ではちゃめちゃな時間を送っていたし、彼もきっと、自分の道を邁進することに懸命だったろう。いつでも前向きな彼だった。落ち込む時はとことん落ち込むけれど、それでも這い上がってくるのが彼だった。きっとそうやって、仕事をし、家庭を守り、今があるのだろう。自信に満ちた彼の語り口は、今もやっぱり私には少し眩しい。私は読み終えたそれを丁寧にたたみ、封に戻す。

母の今月の検査の結果が出ているはずだ。それを聞くために実家に電話をする。呼び鈴が三度鳴ったところで母が出る。多分庭から駆けてきたのだろう、息が切れている。そんなに急がなくても、私の電話は切れないよ、と言いそうになりながら、やめる。そして、調子はどう、と尋ねる。検査の結果は、担当の先生がちょうど留守で違う先生からの説明しかなかったから、正直なところ正確なことはわからない、でも、今のところは治療のかいあって順調なようだ、という。ただ、半年後、再発しないとは限らない、とのこと。こればかりは誰にも分からない。その時になってみないと何とも分からない。それでも。
今のところは順調。それだけでも十分だ。先のことが分からないなら、今分かることを噛み締める方がいい。話していると、母に尋ねられる。インフルエンザの予防接種はしたの? まだ。母子家庭は少しは安くなるんじゃないの? うーん、調べてないから分からないけど。どうだろう。早く受けなさい、罹ってからじゃ遅いのよ。いや、まぁ、そうしたいんだけど、何分お財布の状態が、と私は苦笑する。ちょうどマンションの更新時期と重なっているこの冬、正直余裕がない。娘だけでも、と思っているのだが、どうも病院を訪ねるのが躊躇われる。友人の話によると、病院に行けば行くで、風邪を引いた人がわんさか待合室にいて、そこで移ってしまう危険が多分にあるという。今の健康を過信するな、というのは、母を見ていればよく分かる。でも、どうしようか。私は迷っている。
とにかく早く受けなさいね、母がたたみかけるように繰り返す。そして電話は切れる。一体どちらが心配してかけた電話なんだか、分かりやしない、と私は受話器を見つめながら再び苦笑する。

六時に起こして、という娘に声をかける。二度、三度、四度。ぴくりともしない。ほら、起きなさい! 彼女の身体を揺らす。全く起きない。時計を見、私はあと三十分放っておくことにする。その間に洗い物をしてしまおう。昨日の夜洗い残した陶器のカップを二つ洗い、ついでに洗濯機も回し、私は再び時計を見る。
ほら! 起きろ! 私の大声に、娘がばっと身体を起こす。今何時? 六時半。六時に起こしてって言ったじゃない! 何度も起こしたよ。起こしてないよっ。起こしたってば。起きなかったのはあなたでしょう。起こしてないよ、もうっ! 娘はぷりぷり怒りながら、布団を畳み始める。私は密かにその様子を見やりながら、笑いをかみ殺す。
今日のおにぎりは梅ひじき。混ぜご飯を握ったもの。差し出すと、彼女が何故か握り直している。何をするのかなと思えば、「卵!」と、まん丸になったおにぎりを見せに来る。それは食べづらいだろうと思うのだが、先日野球のボールを拾ってからというもの、彼女は丸い形に拘っている。卵、と言ったそばから、拾ったボールとそのおにぎりとを見比べ、さらに丸く握り直している。そこまでこだわらなくてもいいだろうにと思うのだが、彼女の手は止まらない。
週末の天気が知りたくて珍しくテレビをつける。秋晴れは今日までらしい。私は今日二つ目の溜息をつく。それに重なるように、洗濯機の終わった音が風呂場から鳴り響く。私は慌てて洗濯物を広げにかかる。

大学時代の私は、一体どういう生徒だったのだろう。浮いていたな、というのは、自覚している。何処のグループに所属するわけでもなく、私は一人、何となく浮いていた。グループというものが苦手だった。かといって、一人でいるのが得意だったわけでもない。本当は少し寂しかった。寂しかったが、どちらをとるのかと聞かれれば、一人でいることかもしれない、と多分答えていたんだろうと思う。
授業は可能な限り出席した。大嫌いな英語を覗けば、フランス語、古典ギリシャ語、ラテン語、他の学部の生徒で殆ど埋まる授業をあえて選択し、出席した。西洋美術史を専攻した私は、関連する書物を片っ端から読んだ。眺めた。現代になるほど理解しがたくなるそれに閉口したことは覚えている。西洋美術史の中でも何をやりたいかは、もう最初から決まっていた。近代彫刻、カミーユ・クローデルの研究だった。高校の頃からそれはもう私の中にあった。初めてカミーユ彫刻に出会った時の衝撃を、私は今も忘れていない。彫像がみな、ひそやかに喋っている、決して声高にではない、みな、ひそひそと、しんしんと語っている、その印象は、力強い彫刻ばかりを見てきた私には発見だった。こんな静謐な彫刻を作る人がいたのか、と、当時、ショックを受けた。彫刻をひとつずつ見て回るうち、涙が滲んできた。彫刻のどれもが、楽しげな様子を描いている彫像さえもが、どこか切なく、やるせなく、哀しげな面持ちをしていた。それから私はカミーユに関する資料を読み漁った。線を引きすぎてページが破けることもあり、そういう本は二冊買ったりもした。そして大学四年の秋、私は教室を飛び出して巴里に飛んだ。現地で見た彼女の彫刻を、私は今もありありと思い出す。ロダンの彫刻が叫ぶ彫刻なら、カミーユのそれは、囁く彫刻だった。一日中そこにいても飽きなかった。だから毎日通った。お金がなくなれば、橋の袂で歌を歌い、微々たるお金を得、パンを食べた。ジリ貧の旅だった。いつも鞄に入れているパリ市内の地図は、よれよれになり、じきに破け、用を足さなくなった。それでも私は歩き回った。もう残っていない彼女のパリ市内のかつてのアトリエがあった場所を歩き回った。できることならタイムスリップして、彼女に会ってみたかった。歩きながら私はひとり泣いたり怒ったり笑ったりしていた。彼女を想って。
ちょうどいいタイミングだったんだ。もうここに居たくない、ここは私の場所じゃない、私の場所は何処、と、探しているところだった。そんな時巴里に飛んだ。だから私はカミーユを追いながら、同時に自分の居場所を探していた。そして。
サクレクール寺院のてっぺんから街を見下ろした時、悟ったんだ。ここも私の場所じゃない、と。そして日本に帰ろうと思った。私は私の場所をあそこで作るしかないんだな、と、そう思って。
日本に戻ってからも、様々なことがあった。どうしようもない出来事が待ってもいた。それでも私は日本に帰国した。そして、大学卒業と同時に家を飛び出し、小さいながら自分の部屋を持ち、暮らし、事件に遭った。
それからの紆余曲折は、語りようがない。

ママ、出る時間だよ。娘の声がする。私は鞄を肩にひっかけ、彼女の後を追って玄関を出る。玄関の右手にアメリカン・ブルー。今日は三つの青い青い花が咲いている。傷だらけになりながら、全身ぼろぼろになりながら、それでも咲く花。東から伸びる陽光に照らされ、きらきらと輝いている。
階段を走り下り、自転車の鍵を開く。そこまで後ろ乗ってく? 声をかけると娘が飛び乗ってくる。たった五十メートルあるかないかの距離。二人乗りはしちゃいけないんだよーと後ろで娘が笑いながら言う。そういいながら乗ってるのは誰? と私も言い返す。
じゃぁね、じゃぁね、娘が唇を突き出してくる。一瞬迷いながらも私はキスを返す。手を振り合って別れる。
大丈夫、今はここが自分の居場所だと私は知ってる。心が迷子になりそうになったなら、ここに戻ってくればいい。
私はペダルを漕ぎながら、歌を歌ってみる。今ウォークマンから流れているのはCoccoの絹ずれ。鳥が堕ちた 私が殺った 夢を見てた 君が染みたそこらへんで 小さな声を聞いた気がする この手を握るのは誰だろう いつだろう 今だけほしいのはなぜだろう いつからだろう ひとりでゆくのはみな同じだろう…
大丈夫。私はここにいる。そして今日もまた一日を、積み重ねてゆくんだ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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