2009年10月20日(火) |
風の音で目が覚める。びゅうびゅうと吹き上げるように吹いて来る風が、窓を叩く。街路樹の葉が表に裏に翻り、枯葉は宙に舞う。窓を開けると途端に吹き込んでくる風。カーテンがばたばたと暴れる。私は後ろ手に窓を閉めながらベランダに出る。 髪を梳かすどころではなく、逆に私は髪を結う。そして風の中、しばし佇む。薔薇を短く切り込んでよかった。風に煽られることなく、しんしんとそこに在る。私はほっとする。でも、ホワイトクリスマスとマリリン・モンローだけは別だ。蕾のついた枝は長く伸びている。ゆうらゆうらと、大きく枝が揺れている。蕾はだいぶ膨らんできた。あともう少し。もう少し耐えてくれれば。 アメリカン・ブルーが心配で、私は玄関に出る。目に飛び込む東の朝焼け。それはまさに茜色で。まだ日は昇らない、雲が燃えているのだ。赤く赤く燃えながら、日の出を待っている。今か今かと。校庭の隅のプールはさざなみだっている。まるでそれは琴線のよう。昨日ひっくり返したアメリカン・ブルーの鉢は、そんな中、しんとしている。昨日のことが嘘のようだ。あれは悪夢だったのか。そう、まさに悪夢だった。それでも今、こうしてここに在る。アメリカン・ブルーの小枝が五本、ラベンダーが二本、挿してある。これらが無事に育ってくれることを、今はただ、祈るばかり。 今、日が昇る。
彼女はいつものように、今日も淡々と話す。淡々とであるのだけれども、決してそれは冷たくはない。むしろあたたかく相手を包む。その心地よさに揺られながら、私も彼女に言葉を返す。 彼女と話していて、いつも感心させられることがある。それは、彼女の、言葉の受け取り方だ。どんな言葉を返しても、彼女はその中から、相手の長所を見つけ出す。そしてそれをさりげなく褒める。あまりにさりげないから、それは、まっすぐこちらに届く。褒められ下手な私でさえ、素直に、ありがとう、嬉しいと言いたくなる。 喋り言葉を、決して零すことなく、その掌に受け取り、掌でそっと転がし、彼女は見つめる。彼女の瞳は決して大きくはないけれど、いつでも真っ直ぐだ。その目が言葉をあたためる。そして彼女は、あたためた言葉の中から上澄みをすっと掬い取って相手に返す。 私には、そういう術がない。彼女と接するたび、それを思い知る。そして、できることなら彼女からその術を学びたいと思う。
帰宅した娘が、驚声を上げて私に尋ねる。どうしたの、アメリカン・ブルー? うん、食べられちゃった。食べられちゃったって何に? うん、食べられちゃった。…そうなんだ。とりあえず今、あまりそのことに触れたくない私に気づいたようで、娘は言葉を切る。また咲くよね? そうだね、また咲くといいね。私は返事をする。 あの青い可憐な花。今度見られるのはいつだろう。あのこんもりとした茂みが、蘇るのはいつだろう。
大きな大きな荷物が届く。ひとつは港町で買い込んだ海産物。紐解けば潮の香りが私の鼻腔をくすぐる。冷蔵庫に順々にしまいこむ。ただそれだけなのに、一気に家が豊かになったような気持ちになる。市場でおじさんがおまけしてくれた牡蠣も入っている。早々に食べつくさねば、と思って気づく。そういえば娘は牡蠣が嫌いだった。どうしよう。私は呆然とする。そんなことに気がつかないで、買ってきてしまった。仕方ない。娘にはホタテを食べてもらって、私が牡蠣をたいらげよう。私は開き直る。明日の夕飯は贅沢な食卓になるんだろう。 もうひとつは。毎年友人が送ってくれる大粒の梨だった。私の両手からも零れそうなほどそれは大きくて。ダンボールを覗き込みながら、私はしばし見惚れてしまう。彼女とは写真展を通じて知り合った。実際に会って交わした言葉は多分とても少ない。それでも彼女は私にこうして梨を送ってくれる。ありがとうありがとう。思わず声に出しながら、梨をひとつずつ、籠に入れる。籠はあっという間に山盛りになって、今にも零れそう。
朝の一仕事にとりかかりながら、私は改めて思い出す。悪夢、まさにそれは悪夢としか私には言いようがなかった。 帰宅して、アメリカン・ブルーを切りそろえてやろうと、鋏を持って再度玄関を出る。触って、すぐ、おかしいと思った。感触がないのだ。根があるという感触がない。まさか、と思い引っ張ってみると、苗はすぐに抜けた。そして根は。 丸ごとないのだった。きれいさっぱり、コガネムシに食べられていた。これじゃぁいくら水をやっても、苗がおかしいわけだ。納得がいった。私は、土を掘り返し始める。とたんに出てくるコガネムシの幼虫。一匹、また一匹、次々出てきた。出てくるたび私は指でつまみ、足元に放り投げる。そして容赦なく足で潰す。 一体何度繰り返しただろう。それは分からなくなるほど。数えるのを忘れるほど。そのくらい、一つの鉢から出てきた。潰して潰して潰して。 私は泣きたくなる。どうして、と思う。同時に、どうして、と思う。最初のどうして、は、どうしてアメリカン・ブルーの根がこんなになってしまったのだろうというどうして。次のどうしては、何故こんなにも容赦なく次々生きているものを潰さなければならないのだろう、ということに対してのどうして。その二つが平行になることはない。交じり合うこともない。決して在り得ない。だから私が苗を生かそうと思ったら、どうやっても生きている幼虫を潰すしか術がない。 納得のいかない思いで、それでも私は土を掘り、幼虫を見つけ、潰し続けた。鉢の底が見えるまで。そして、土を盛り直し、そこに、まだ青さの残る枝を切って挿した。どうか新たに根がつきますように、と祈りながら。 振り返れば。そこには、亡骸が山ほど。私はアメリカン・ブルーの、もう用を為さなくなった枝葉を箒代わりにして亡骸を掃く。掃いて集め、ゴミ袋に入れる。もはや私の中に、何の感情も、ない。
殺生を為した後の感覚というのは、言葉ではもう、表しようがない。からっぽ、まさに私はからっぽになる。あそこまで潰し続けた自分の左足。靴の底を改めて見るまでもなく、きっとそこは幼虫の体液に塗れていることだろう。靴を脱げば私の足は汚れていない。でも。それは目に見えないだけで。ただ目に見えていないだけで。 毒々しい泥のような色をした体液。踏み潰すたび飛び出る体液。それは靴など飛び越えて私の足に染み込み、私の身体に染み込み、私の心に染み込み。私を侵す。 侵されて侵されて、私の心はばらばらになる。誰も好き好んでやったわけじゃない。それはわかっている。アメリカン・ブルーを守るためにやっただけのことだ。それもわかっている。それでも。 汚れた足、汚れた手、は、石鹸をつけて何度洗おうと、拭えるものじゃぁ、ない。 その手で、私は食事を作り、テーブルに出す。その連なりが、たまらない。
燃えていた空は雲はやがて散り散りになり、そこから新たに生まれ来るのは青空。発光する太陽を讃えるように、広がる青空。 夜明けの頃の狂ったような風もだいぶ止んだ。そろそろ出掛ける時刻だ。私たちはそれぞれに荷物を肩に、玄関を出る。洗い流したとはいえ、まだ何となく残っている亡骸の気配を、振り切るようにして私は階段を駆け下りる。娘もそれに連なって駆け下りる。 じゃぁね、それじゃぁね、手を振って私たちは別れる。娘は学校へ。私は私の場所へ。そうして一日はまた始まってゆく。 いつもと違うことがただ一つ、私の中、亡骸が、亡霊となって、ひゅうるりひゅうるり、泣いている。 |
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