2009年10月30日(金) |
寝過ごした。慌てて時計を見る。五時十分。私は布団を跳ね除け起き上がる。ミルクが気配を察しがりがりと小屋の入り口を噛んでいる。ごめん、相手をしている暇は今ないんだ、謝りながら私は支度をする。顔を洗い、化粧水をはたき、口紅を引き、髪を梳く。慌てすぎたせいかいつもと順序が逆。何となくしっくりこない。小さな習慣であっても、それを崩すとどうもこうお尻のあたりがむずむずする。こんなふうになるのは私だけだろうか。コンピューターのスイッチを入れながらそんなことを考える。 何となく辺りがけぶっている。アスファルトを見下ろして気づいた。昨日のうち雨でも降っていたのかもしれない。出しっぱなしにしていた雑巾もしっとり濡れている。雨というより霧雨だったのかもしれない。その程度の湿り。私は振り返って薔薇を確かめる。マリリン・モンローの蕾は多分今日開くだろう。もう綻びかけた蕾の先。私は空を見上げる。今日の天気はどんなだろう。まだ湿り気の残る空気。でも、空はだんだんと明るくなってきている。雲も地平を漂う。天辺は空洞。これならきっと晴れてくれるに違いない。
ママ、ママ、見て! ほら! 娘に呼ばれ窓際に飛んでいく。すごい夕日だよ。燃えてるよ。ほんとだぁ。ママ、写真撮らなくちゃ。え、ママはいいよ。じゃ、私が撮る。そう言って携帯電話を取り出し早速写真を撮る娘。何でママは撮らないの? うーん、ママの写真はモノクロだし、今あなたが撮ったし、ママは心の中に刻んでおくんでいいかなと思って。ふぅん。あ、ほら、もう堕ちるよ。うんうん、ここから速いんだよねぇ、堕ちてゆくのが。あの雲がなければなぁ! そう? 雲があるから太陽が燃えてるのがぐっと引き立つんじゃないの? そうかなぁ、私はないほうがいいと思うけど。あ、堕ちる! 私たちはそうして、しばらく窓際に佇んでいた。堕ちるのがあっという間なら、堕ちた後空が黄昏るのもとてもとても速い。瞬く間に辺りは紺色に染まっていく。私たちの影も、いつの間にか闇に溶けている。
友人が亡くなった知らせが届く。電話一本。密葬だという。 久しぶりにそういう知らせを受けた。心がしんとする。確かに世界は、誰か一人がいなくなったからといってどうこうなるものではない。実際、いつもと変わらず夜も来れば、朝も来る。それでも。何だろう、この、何かが欠けたような感覚。 ここしばらく会っていなかった。一番最後に会ったのは、いつだろう、多分三年くらい前だ。私がぐらぐらとまだまだ揺れていた頃だ。それ以降は、時折手紙のやりとりをする程度だった。お互いに気軽に会える距離ではなかったし、気軽に会える心境でもなかった。でもそれは、私がそう思っていただけだったのだろうか。もうしばらくして、落ち着いたら会おう、そう思っていたのは私だけだったんだろうか。 一週間前、届いていた彼女からのメールを読み直す。普段と変わりなく、生きてるよ、という言葉から始まるメールだった。そこには、私たちが出会った当初のことがいろいろ書かれていた。そして、こうも書かれていた。思い出すよ、あの頃まだ、エネルギーが残ってた。あの頃まだ、生き延びなくちゃと思ってた。最近それが、曖昧になってる。それでも生き延びようって約束したよね。だから生き延びようって思うんだけど、でも。 でもの続きは? でもの続きは何だったの? 今更もう訊きようがないけれど、それでも私は尋ねてしまう。でもの続きは? ねぇ、教えてよ。 そうしてまた一人、消えてゆく。私の周りからまた一人、灯火が消えてゆく。消えたものを再び元に戻すことはできない。だから私はただ、こうして祈るしかない。 私は生き延びるから。約束したよね、生き延びるって。私は生きるよ。ぎりぎりまで生きる。だからそっちへは当分行けない。
人参を買ってミルクとココアにやってみたいと言う娘につきあってスーパーに行く。薩摩芋が一本九十八円。あぁと思いついて私は二本買い込む。それからレモン。あとは夕飯に使う長芋とブロッコリー。 人参を細めに切って娘に渡す。早速ミルクとココアの鼻先にそれを差し出す娘。しかし。ココアはぴゅっと巣の中に逃げてしまう。そしてミルクだけが、これは何だというふうにかり、かりっと噛んでいる。あんまりおいしくないみたいだね。うん、そうみたい。つまんないのー、折角買ってきたのに。まぁまぁそう言わず。梨でもむこうか? うん、食べたい。友人から届いた大きな大きな梨を、私は包丁でむいてゆく。パン皿に切り分けるのだが、本当にそれは大きくて、山盛りになってしまう。でも、娘にかかればそれはあっという間。ぺろりとたいらげられてしまう。 その間に私は、まず一回目、お湯を沸かす。塩をふたつまみ入れ、その中にブロッコリーの芯をまず入れる。少ししてから残りの部分を全部。そうして一分ちょっと。緑が鮮やかになってきたら堅めの状態でざるにあける。 ブロッコリーを茹でている間に一センチほどの厚さに切って水にさらした薩摩芋を、次に沸いた湯の中にどぼどぼと入れる。ぐつぐつ、ぐつぐつ。薩摩芋が茹で上がるまでには少し時間がかかるから、その間に私は長芋を卸す。 芋が柔らかくなってきたら、木ヘラで細かくする。とろとろ煮込まれて来たら、砂糖をひとつまみ入れて、最後にレモンを軽く絞ってできあがり。これは多分、娘は食べないだろうから、私の好みで全部仕上げる。シナモンも振っておこう。おなかがすいたときにはこれを一口食べればいい。 勉強終わったよぉという娘の声を受けて、私はもう一度湯を沸かす。そして蕎麦を茹でる。四分ちょっと。そうしてとろろ蕎麦とブロッコリーのサラダで手抜き夕飯。まぁ、疲れているときはこんなもの。 それでも、娘ははふはふ言いながらおいしそうに食べてくれるのだからありがたい。私の二倍の量入っている蕎麦を、あっという間に食べてしまう。そして、膨れたおなかを私に見せて、ほらほら、こんなになったよ、と言う。まさにドラえもんのおなか。
ねぇ、あなたがいなくなったからって、世界ががらりと変わるわけじゃぁないけれど、それでも、私の周辺はちょっと変わるよ、やっぱり。私がいくら出したとしても、あなたからの手紙や電話はもう二度と届かない。生き延びようと思い直す時思い出すのはもう、過去のあなたの顔ばかり。今のあなたの顔をもう思い出すことはできない。それにね、何よりね、あなたと一緒に泣いて越えた幾つもの夜は、あなたが死んだからといって、消せるものじゃぁない。決して。 たとえ私たちの命が、この宇宙の中、砂粒より小さいものだったとしても、それでもね、変わるんだよ、砂粒一つが、在るはずの砂粒一つがないというだけで、さらさらと砂山は崩れるかもしれないんだよ。ねぇ、聴こえる? 聴いてる? 今、あなたは何を思う? だから、私は生きていく。生き延びる。ぎりぎりまで生きてやる。誰が何と言おうと、恥を晒そうと何をしようと、それでも私は生きてやる。 だからサヨナラ。当分、サヨナラ。また、会う日、まで。
それじゃぁね、うん、ママ、頑張ってね。わかったー。それじゃぁねー。手を振り合って別れる。別れた直後、メールが入る。応援してるよ!と一言。 今日は学校の初日。娘も学校なら私も学校。どうしてもしたかった勉強を、いまさらだけどしてみるつもりだ。もしかしたら勉強したからといって何の役にも立たないかもしれない。何の形にもならないかもしれない。それでも。勉強したいと思った。そんな自分を、今は信じてみる。 駅の脇を流れる川は緑青色、ゆらゆらと水面を揺らしながら流れてゆく。陽を受けてそれは、きらきらと輝く。街往く人はみな、何処かしら俯いて歩いてゆく。私はその間を、できるだけ背筋を伸ばして歩く。意識して顔を上げ、背筋を伸ばして。 |
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