見つめる日々

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2010年01月13日(水) 
最初に目を覚ましたのが午前一時半。そして次に目を覚ませば三時半。あぁもうこれが今夜の睡眠の限界だなと私は起き上がる。それはまだまだ真夜中といっていい時間帯で、だからココアもゴロも起きて、しこしこ何かをしている。ゴロは自分の巣箱の隣に、木屑で山を作っているところ。ココアは回し車と噛み枝の間を行ったり来たりしている。おはよう、ココア。おはよう、ゴロ。そしてミルクは、と見れば、ミルクはぐっすり寝入っているらしく。巣箱の中彼女が持ち込んだ木屑が、煙突のところで小さく上下しているのが見てとれる。
私はカーテンを開け、アスファルトを見つめる。雨はいつの間にか止んでくれたらしい。しっとりと濡れてはいるが、街灯の灯りの中、雨筋は見えない。それにしても昨日の雨は冷たかった。雨の中自転車で走っていると、雨がちりちりと指に突き刺さった。もうそれは冷たいというものではなく。ちりちりという痛みで。その雨の中私は、役所と郵便局とを行き来したのだった。
だからといっては何だが、その夜の夕飯はひっぱりうどんにした。葱をたっぷり入れ、納豆をこれでもかというほど粘るまでといで、お酢を少し入れてみた。甘めのつゆの味をお酢が引き締めてくれて、ちょうどいい加減だった。あっという間にやわらかめに茹でたうどんはなくなり。最後、茹で汁を残った納豆と葱に注ぎ、とろろ昆布を入れて飲み干した。暖房を殆ど入れない寒い部屋の中、私たちははふはふ言いながら食べつくし、おかげで体がぽっぽとあたたまった。
葱を切るところで、娘が指の先を切ってしまった。噴き出す赤い血。でも娘は何も声を上げない。あら珍しいと私が黙って見ている。彼女は自分で指を押さえ、私が買ってやったキース・ヘリングのイラストの入った絆創膏を貼ってゆく。ひとりでずいぶんできるようになったものだなぁと私は感心しながら、それでも黙って見ていた。いつ私が倒れても、彼女がひとりでやっていけるように。できることがあるならそれはひとりでやってもらう。それがうちにある、唯一といってもいい方針。
そんなことを思い出しながら、私はお湯を沸かす。今朝は何を飲もう。久しぶりに中国茶でも飲もうか。いやいややっぱり。迷った挙句、結局ハーブティに落ち着く。

久しぶりに、石に呼ばれている気がして、石の詰まったケースを開ける。呼ばれるまま、石を選ぶ。プラシオライト、シトリン、アクアマリン、ブルーレース、レピドライト。その他いくつかの石を、順々に繋いでゆく。繋ぎながら、あれ、とひっかかったものは横に寄せ、指にしっくりくるものをさらに選び出す。
石を見つめていると、自然、目が閉じられてゆく。実際の目は閉じて、心の目、心の耳で見、聴く。そうすると、じんじんと石のエネルギーが伝わってくるのが分かる。囁く者、呟く者、笑う者、みんなそれぞれだ。
石を繋いでいるところに、娘が帰ってくる。ママ、久しぶりだね。うん、そうだね、今日は石に呼ばれてる気がしたからね。そうなんだ、ねぇ手伝ってもいい? うーん、まず手を洗って。はーい。
そうして彼女が手伝ってくれたのは、ブレスレットに出来上がった品に、名前を付してゆく作業。私が口で言うのを彼女が書き取る。そしてブレスレットに添えてゆく。いつも乱雑な字を平気で書く彼女なのに、こういう時は必死で、きちっきちっとした字を書こうと努力してくれる。どんな作業であっても、投げやりにやっていいことはひとつもないことを、彼女なりに分かっている。
ねぇママ、この石はどういう石なの? それはね、プラシオライトっていうんだけど、別名グリーンアメジストっていうのよ。アメジストって紫じゃなかったっけ? そうだよ、紫に熱を加えてゆくと、こうした透明な、薄いグリーンの石になるの。えぇっ、そうなの? そうなんだよ。変なのぉ。ははは、そうかなぁ。ねぇママ、私が大きくなったら私にも石のブレスレット作ってくれる? いいよ。ちゃんとお小遣いで買うから! ははは。楽しみにしてるよ。
そうして出来上がった品々は、水晶の上に寝かせられる。そうして撮影を待つ。

私が続けて仕事をしていると、勉強をしていた筈の娘がこちらを覗きこんでくる。何? 私が問いかけると、娘が、ママは何してるの? と言う。今、校正してるの。校正って何? うーん、間違っているところとかおかしなところを見つけて、赤いペンで印をつけるの。どうして間違ってるとかおかしいとか分かるの? どうしてだろう。そうだなぁ、書いているときはおかしいと思わなくても、改めて読んでみると文法がおかしいところってあるものなのよ。字が間違ってるときもあるしね。そういうのを直すの? うん、そうだよ。納得したのか、彼女はふぅんと言いながら席に戻ってゆく。
彼女が戻り勉強を始めたのを確かめて、私は今度、自分の原稿に移る。それは今年六月に予定している個展に折に、作品の脇に添える予定のテキストだ。書きたいことはだいたい決まっているのだが、それがうまくまとまらない。気づくと白い紙の上、たくさんの赤い印が記されてしまっている。いっそのことここを大きく削ろうか。そうだ、削ってしまおう。
結局、二段落分、削ることにする。少なければ少ない方がいい。写真に添えるテキストなのだから。言葉はあくまで添え物、だ。
よほど私の気が変わらない限り、六月の個展のテーマは決まっている。「祈々花々」。モデルになってくれたのは、私と同じ性犯罪被害者の一人の友人。彼女は被害の折、カメラを向けられたという体験を経ており、だから最初、カメラと向き合うことがとてもとても怖かったという。それなのに、私のカメラなのだから、と、私のファインダーなのだから、と、向き合ってくれるようになった。本当にありがたいことだと思う。
彼女とファインダーを挟んで向き合いながら、シャッターを切りながら、私の中におのずと浮かんできたのが、祈々花々という言葉だった。それが辞書に載っているかといったら、載っていないんだろう。でも、その言葉以外、もう無かった。
私は、それなりに形になり始めたテキストに、タイトルを打つ。「祈々花々」。そうして閉じる。あとはしばらく寝かせて、また時期が来たら開いてみよう。時間はまだ、ある。
切花にしたホワイトクリスマスが、テーブルの上、ふわりと咲いている。不思議だ、マリリン・モンローの花には重さがしっかり在る。一方このホワイトクリスマスには、そうした重さというものが、殆ど無い。益子焼の一輪挿に挿されたホワイトクリスマスを見つめながら、私はそんなことを思う。そして手を伸ばし、そっと花びらに触れてみる。ひんやりとした感触。
少し長めに切った枝の残りは、早速土に挿してみた。さて、どうなるだろう。春まで持つだろうか。持ってくれるといい。せっかくの命なのだから。

母から電話が入る。父が熱を出したという。お母さんは大丈夫なの、と私が尋ねると、今のところ鼻水だけよ、と返事が返ってくる。
治療の結果が出るのが二月。二月までどうか、何事もありませんように。そして検査の結果がどうか、いいものでありますよう。
今頃母の庭では、ラヴェンダーが花盛りのはず。この寒風に晒されても見事な花を咲かせていたあのラヴェンダーたち。どうかどうか、母を守ってくれますよう。私は祈るように思う。
この正月、親しい親戚から連絡が来た。おじさんが癌で倒れた、と。今車椅子の生活なのだという。その癌の名前は、あまり耳慣れない名前で。私と母は電話を挟んで顔を見合わせる。またか、と何処かで多分、思っていた。私たちの家系は、どうしてこうも癌に好かれているのだろう。癌になったことがない人が数えるほどしかいない。
そうして思い出す。祖母の最期を。祖母よ、あれほど生き急ぎ、懸命に時間を過ごしたあなたは、今何処でどうしていますか。どうかおじさんを、見守っていてください。そして白血病で死んだ大叔母よ、大叔父をどうか、守ってください。

昨夜の娘の指先の切り傷は思ったより深く。今朝になると、洋服を着替えるのも難儀しており。娘が、今日の体育は球技だから休んでもいいかと尋ねてくる。私はちょっと考え、いいよ、と言う。連絡帳にその旨を記し、彼女に渡す。そして、着替え終えた彼女の指先に、薬を塗る。
じゃぁね、ママ、そろそろ行くよ。うん、あ、ちょっと待って。そして娘が連れてきたのはミルク。あれ、ミルク起きてたの? ん、起こした。ははは、かわいそうに。私は指先でミルクの頭を撫でてやる。じゃぁね、ちゃんと鍵していくんだよ。うん。いってらっしゃい。いってきます。
玄関を開ければ、南東に上った太陽が燦々と陽光を伸ばしているところで。私は思わず目を閉じる。再び目を開けて空を見れば、まだ残る雨雲がくっきりと濃淡を描き。空はせわしげに動いている。
バス停に立てば、陽光がこれでもかとその場所に降り注いでおり。私は体が少しあたたまってゆくのを感じる。風が吹いているにも関わらず、確かに体はぬくみ。太陽の光というものが、どれほどのエネルギーを湛えているのかを私は思う。
バスがやって来た。信号が青に変わる。さぁ今日もまた、一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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