見つめる日々

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2010年04月29日(木) 
まだ真夜中だろうと思って目を覚ますと朝だった。午前四時半。寝床から起き上がり窓を開ける。あぁ明るい。湿った、適度に冷えた風が流れている。それは葉を震わせるほどではなく。微かな風だ。ベランダの手すりには幾つもの雨粒が残っている。街全体が濡れている。でもそれは瑞々しくて。塵芥全部が流れ落ちたかのようで。街の遠くまでが一様に見渡せる。
深呼吸をし、空を見上げる。うっすらと雲がまだ残る場所もあるけれど、空はおおむね晴れており。あぁこれから光が渦巻くのだな、と思う。風が少し強くなってきた。私は煽られる髪の毛を左手で抑える。
ホワイトクリスマスの、危ういと思っていた葉はやはり斑点をもっており。私はそれを摘む。でもまだこれから出てくるのだろう新芽の気配がそこここに見られ、私は安心する。これから芽吹いて茂ってゆくのだろう様を想像し、わくわくする。私はホワイトクリスマスの、大きな大きな白い花が大好きだ。零れんばかりの勢いで咲く、その様が好きだ。いつその花芽に会えるだろう。
マリリン・モンローは、相変わらず大きく大きく茂っており。丈は小さいけれどもしっかりとした茂みで。その中から幾つかの蕾が天を向いて伸びている。葉より一段頭を出している蕾たちは、一心に光を浴びようとする。もう花弁の色も、薄いクリーム色がありありと見えており。あとはゆっくり綻んでいくだけなのだが、ここからどのくらい時間がかかるだろう。でも、こういう時間はいくらあってもいいと思う。それだけ花を楽しめる時間が長くなるというもの。
ベビーロマンティカの蕾も、仄かに染まり始めた。明るい煉瓦色の花。ぱつんぱつんに膨れている。ベビーロマンティカは葉の色と蕾の色とがほとんど同じだ。明るい黄緑色。マリリン・モンローの、暗緑色とは全く異なる、柔らかさをもったその色。
そしてミミエデン。まだまだ新芽の気配はない。でも、幹が枯れている様子も、ない。これは辛抱だな、と思う。待つしかない、というこの時。どっしり腰を据えて、信じて待つしか、ない。
パスカリは、伸びてきた新芽が粉を抱いており。私は仕方なく、それを摘む。他の小ぶりの樹たちにも、幾つか粉の噴いた葉をみつけ、そのたび私は摘んでゆく。頑張れ、頑張れ、と声を掛けながら、摘んでゆく。
空はその間にもぐんぐん明るくなってゆき。もう水色の明るい空が一面に広がっている。西の地平の辺りに漂う雲も、遠慮がちにこっそりと流れてゆく。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗く。デージーの芽はもちろんまだまだ見られない。目を凝らしてみるが、どこにもない。やっぱりだめなのかなぁと心の片隅で思う。でも、私が信じないでどうする、とも同時に思う。二週間くらいは待たないと、どうしようもない。それが分かってはいるのだが。
ラヴェンダーは次々新芽を出している。二本ともが、それぞれに新芽を出しているのだが、大きさにずいぶん差が出てきた。奥の方のものは、まだまだ小さい。そして手前のものは、根元からまで新芽を出し始めた。いつの間にかずいぶん大きく伸びている。挿し木して今年が初めての春だから、花芽を持つかどうかは分からないが、まぁ長い付き合いをこれからしていけたら、いい。
校庭のあちこちに、水溜りができている。その水溜りに光が当たって、今まさに水鏡のようだ。そして校庭の端っこ、プールが、一番大きな水鏡。きらきら、うるうると、光を受けて輝いている。
ステレオからは、ジョシュ・グローバンのAWAKEが流れている。ゆったりとした、広がりをみせてくれる声色。私はこの声音が大好きだ。何処までも伸びやかに広がってゆくその、根元に在るエネルギーが、好きだ。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中の顔は、ちょっと寝不足の気配がなきにしもあらずだが、でも、まぁこんなもんだろう、とも思う。
そうして目を閉じ、体の中の声に耳を澄ます。
ちくちくは、ちくちくじゃぁなくなって、何というかこう、どっしりとした文鎮のような痛みになって、頭の上の方に在った。ずきずきから、ちくちく、どっしりと、次々変化してゆくその痛みの様を改めて私は眺めてみる。
そして思う。私の中には一体、幾つの禁止令が横たわっているのだろう、と。
私はその禁止令を、これからひとつずつ、紐解いていかなければならないのだな、と思う。でなければ、こうした痛みたちは、いつまでもいつまでも、痛んでいなければならなくなる。彼らを軽くしてやるためにも、私にはそれらを紐解いていく必要が、ある。
私は文鎮さんに声を掛ける。ねぇ今、一番何がしたい?
文鎮さんは、しばらく考えて、返事をしてくる。
遊びたい。
あぁそれは、ひとりで遊びたい、のではなく、一緒に遊んで、という意味なのだな、と思った。私は父ははと一緒に遊んだ記憶がない。遊んでもらった、という記憶は、皆無だ。父母と向き合うときは、いつだって、勉強か説教か、だった。
昨日何してたの? 文鎮がふっと、私に尋ねてくる。
だから、私は、昨日のできごとを、思い出しながら文鎮に語った。昨日は朝、一仕事をして、それから約束にキャンセルができたから急に時間ができて、その時間を、別の人と風景構成法を為す時間に当てたのだ、ということ、風景構成法がどういうものであるかということ、そこから何が伝わり浮かび上がってくるかということ、それから娘を送り出し、ふと思いついてこれまで引き出しにしまい込んでいた幾つものものたちや使わなくなったスピーカーなどをごっそり片付けたこと。本を読みながら、気づいたことたちを書き出したりして過ごした夕方の時間のこと、ひとりで食べた夕飯のこと、思い出せることは全部、話して聴かせた。
文鎮が、少し羨ましそうな顔をしていることに気づいた。
私が、どうしたの、と尋ねてみると、文鎮はしばらく黙って、それから話し出した。
当たり前のことが当たり前にできるっていいよね。たとえば子供がするだろうこととかを、してはいけないってされてたら、子供は萎縮するばかりで、何処にも行き場がなくなる。そうやって過ごしていたら、子供になれないだけじゃなく、大人にさえなれないんだってこと、たくさんの人が忘れてるんじゃないかと思う。子供が子供らしくあってこそ、その子供は大人にもなっていけるんだよ、きっと。
文鎮の言いたいことが、なんだか痛いほど、伝わってきた。長いことそうして痛んでいた文鎮にとって、ごくごく普通の営みが、とてつもなく尊いものに見えることも、いやというほど分かった。私は、うまい言葉が何も見つからず、ただ黙って隣に在た。
今度来るときも、またお土産話、いっぱい持ってくるからね。私は文鎮に声を掛けた。文鎮は、私をじっと見て頷いた。
また来るね、と約束をし、手を振ってその場を離れた。
しばらく私はそのまま体の中を漂っていたが、次に浮かんできたのは穴ぼこだった。
胃の辺りの違和感。硬直感。穴ぼこが、強張っているのだと思った。
何がそんなにあなたを強張らせているの? 私は尋ねてみた。穴ぼこは、何も言わずそこに在った。何も言わないけれども、ありありと、緊張感が伝わってきた。
あぁそれは、今私に在るものだ、と分かった。
それを解消するために、今私は何ができるんだろう。考えてみた。改めて考えてみた。とりあえず、できるのは。
そうして穴ぼこを見やると、穴ぼこはやはり黙ってそこに在った。でも、私がそれらを挙げてみたことで、少し安心できたらしい。強張りが、半減していた。
大丈夫、私も分かっているの、分かってはいるんだけど、いい方法がないか、探しているうちに時間が経っちゃって。ごめんね、放っておいたつもりはなかったんだけど、すぐに取り掛かれなかったことは事実だよね。ちょっと、試みてみるよ。
穴ぼこは不安なのだ。不安が強張りになって現れたのだ。穴ぼこは、今の私と直結しているのだな、と思った。昔の私の遺物じゃぁなく、今の私に直結しているのだと、改めて思った。
でも。何だろう、穴ぼこに強張りは確かに在るのだけれども、何かが違う。それで気づいた。穴ぼこのもっている空間が、ずいぶんと明るくなってきているのだ。何処から光がやってきているのか、それは分からない。分からないが、穴ぼこの輪郭も、土の輪郭も何もかもが、徐々に徐々に浮かび上がってきており。だから私には、穴ぼこの姿がありありと分かるのだった。
そうか、穴ぼこもまた、変化していくのだな、と思った。そうやって変化していく穴ぼこに、私はついていくのでなく、一歩先を歩かなければと思った。そうして穴ぼこが安心して歩いていけるよう、呼吸できるよう、私が土を均していかなければならない、道を均していかなければならない、と。
私はまた来るね、と手を振った。穴ぼこは、ただそこに、しんとして在った。

曲は、いつの間にかGeorge MichaelのHeal the painに変わっている。この歌の歌詞を訳してみたことがないから全く内容を知らないのだが、この歌は好きな歌の一つだ。聴いていて落ち着く。なんだかとことこと、心が鳴る。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶を一口含むと、体がぐんと動き始めるのが分かる。半分開けたままの窓から、そよ風が滑り込んで来る。
私は煙草を一本咥え、とりあえず椅子に座ってみる。娘はまだ眠っている。

ねぇママ、この前やった貼り貼りしたやつ、見せて。あぁこれか、コラージュって言うんだよ。いいから見せてよぉ。ほら、うん、これだよ。ねぇ私のこれって、変? え、なんで? 全然変じゃないんじゃない? だってさ、改めてこうやって見ると、ママのと全然違うんだもん。あぁ、いいんじゃない? だってママとあなたとは違う人間だもん。これ、やると、みんな違うの? うん、みんなそれぞれだよ、全然違うよ。違ってていいの? いいんだよ。私さ、これ、続きやりたいんだ。続きあるの? じゃぁ、今日やろうか。うん、あのね、もっと顔増やしたいんだよね。ふぅん、でね、まさに世界中のカップルにするの! いいよ、じゃぁ今日図書館から戻ったらやろう! うん!
先日、娘とコラージュをしたのだが、娘は人の顔を次々貼り付けて、しかもそれは均一に貼り付けて、タイトルを「世界中のカップル」にした。私はといえば、顔は全く思いつかず、ひたすらズボンや靴下を貼り付け、娘のお尻、というタイトルにした。でもその後で言われた一言がきつかった。「ママ、ママが遊ぼうって言うの、初めてじゃない?」。
そうなのか、と思った。本当につくづく、どうしようもない母親だなと思った。父母から受け継いだ血をそのまま、再現していたのかと思うと、苦笑どころの話じゃぁなかった。私は心の内で、何度も自分を殴りつけた。
これまで、娘といろいろ作業を為してきたが、そのとき私は、遊ぼうよ、と声を掛けていなかったのだということを、その時痛感した。だから娘にとっては、それが遊びの一種であっても、遊びではなかったのかもしれない。遊びと認識されない遊びって、何なの、と私は声を上げたかった。そして、とてつもなく、娘に謝りたかった。
まだ、時間は在る。娘と一緒に何かを為す時間は、まだ残っている。その間に幾つ、一緒に遊べるか。それが、当面の私の目標だな、と思う。

二人で自転車に跨り、家を飛び出す。坂を一気に下り、公園へ。行くと、千鳥が大勢集っており。私たちは自転車を止め、しゃがみこんで様子を窺う。どうも巣を作ろうとしているらしい。何羽かが、草きれを咥え、ちょんちょん動き回っている。ねぇあれとあれがカップルだよね。うん、そうみたいだね。ここに巣を作るのかな? そうかもしれない。そうすると、赤ちゃん鳥、見られるかな? どうかなぁ?
私たちは、そっと立ち上がり、彼らの邪魔をしないように自転車に再び跨る。大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。
雨上がりなだけあって、緑がこれでもかというほど輝いている。埋立地全体が、光っているかのようだ。私たちはさらに大通りを渡り、走る。雀が一斉に飛び立つ。
さぁ、今日もまた一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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