見つめる日々

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2010年05月01日(土) 
ステレオからSecret Gardenのchildren of the riverが流れ出す。その音を聴きながら私は窓を開ける。明るい空が一面に広がっている。
少し肌寒い程度の風が流れている朝。新緑が目に心地いい。明るくてこの柔らかな萌黄色が、やがて少しずつ少しずつ逞しく厚くなってゆくのだ。葉に年輪などというものはないけれど、でも、人の手の様を見ているような、そんな気持ちになる。トタン屋根が東から伸びる陽光を受けて輝いている。街はとても静かだ。まだ眠っているかのよう。通りを行き交う人も車もなく、ただしんしんと、陽光が降り注ぐ。
イフェイオンはただ葉が生い茂っており。この葉は切ってやるべきなんだろうか、それともこのままでいいんだろうか。自然に生えているイフェイオンを見ていると、そのままになっているのだから、そのままでいいのかもしれない。ちょうど郵便局の前に、このイフェイオンたちが街路樹の根元、群生している。うちの花より少し白っぽいそれ。もう今は花も終わり、うちと同じく葉が茂っているばかりになっている。その代わり、鈴蘭に似た花が、早々と咲いている。これがとてもかわいくて、実は前から欲しいと思っているのだ。まさか郵便局の前で掘り返すわけにもいかず、時々娘に頼んで手折ってもらってくるのだが、純白の鈴にぽちょんぽちょんと緑の斑点をつけた、その花。香りがするわけではないのだが、もしするなら、とても涼やかな香りがしてきそうな気がする。いつかどこかで球根を見かけたら、必ず買おうと思っている。
ミミエデンを昨日詰めてみた。やはり、もう終わりが近づいているのだと知った。哀しかった。ここまで生きてくれたのに、結局花を咲かせずに終わらせてしまうのかと思うとたまらない気持ちがした。何とかここから生き返ってくれないものかと祈るばかりだ。
その傍ら、ベビーロマンティカはこれでもかというほどの勢いで葉を伸ばし。茂らせ。蕾の根元がひとつ、粉を噴いてはいるけれど、他は全く異常がなく。まるでミミエデンの分もと勢いづいているかのようで。ちょっと切ない。蕾はもうだいぶ花弁を見せるようになってきて、明るい煉瓦色のそれが垣間見える。ほんの少しずつ少しずつ、見える分量が増えてゆく。母の日辺りには咲いてくれるといいのだが。
マリリン・モンローの蕾も、もう今ぱつんぱつんに膨らんでおり。でもまだこれが、膨らんでゆくはず。もうこれでもかというほど膨らんで、突然或る日、割れるのだ。その日が今から楽しみでならない。病葉もなく、元気に樹は育っている。
ホワイトクリスマスはその隣で、徐々に徐々に新芽を出し始めている。数は少ないけれども、それでも生きているということを訴えている。生きていてくれればもうそれでいい。そう思う。花を咲かせることがなくても、生きて季節を越えていってくれれば、もうそれで十分。そんな気がする。
パスカリたちの昨日の新芽は、ずいぶん開いてきた。今のところ斑点の様子もなく、このまま開かせても大丈夫そうだ。私はほっとする。ミミエデンがこうなってしまった以上、せめて他の者たちは、と思うから余計なのかもしれない。桃色のぼんぼりのような花をさかせる樹も、下のほうから新芽を出し始めた。それはもしかしたら花芽でもあるかもしれず。もう少し大きくなってみないと分からないが。ちょっとどきどきする。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗く。ラヴェンダーは二本とも、それぞれ新芽を湛えており。なんだかちょっと重たそうだ。そりゃぁそうだ、これだけ次々新芽を出していたら、重たいに違いない。デージーの芽は、全く今のところ出てくる気配がない。出ないことも覚悟はしているが、でもやっぱり、楽しみに待ってしまう自分がいる。いけないいけないと自分をそのたび諌めるのだが、それでも。
校庭の周囲には様々な種類の樹が植わっている。一本の桜の樹が花の終わりを迎えた頃から、あちこちから、徐々に徐々に新芽が吹き出してきている。じきに学校の回りは緑の洪水になるんだろう。今萌葉の色が朝日に眩しい。
部屋に戻ると、音はfirst day of Springに変わっており。ふと昨日の授業を思い出す。風景構成法のセラピーを行なったのだが、私と組んだ相手の人が、この絵はちょうど今この季節なんです、と言っていた。緑が萌え出る季節、すべてが始まる季節、いろんなことが回ってゆく季節、と。また、分かち合いの時に気づいたのだが、家を何軒も描いている人がいた。その家の周りは線で囲ってあり、それは或る意味、その家の領地、といった意味合いが含まれている線だった。私はといえば、描いた家は自分の家ではなく。もちろん領地などというものを考えもせず。ヒトガタも、きちんと表情や仕草まで克明に描いている人もいれば、私のように棒状人間、記号人間を描いている人もいたり。最後に足りないものとして付け加えるものも、同じ橋であっても、その人その人でこめている意味が違ったり。同じ要素を順番に、描いていくだけの方法なのに、こんなにも人によって違うのかと、改めて知った。これは他の描画法よりも、絵を描くということに対する負担が少なくて済むものかもしれないなぁと思う。用いる時期が適切ならば、本当に役に立つ代物だろうと思う。
洗面台に向かい、顔を洗う。鏡の中の顔はそれなりにすっきりしており。まぁこんなもんかな、と思う。そういえば今朝娘は、私の体にどかんとぶつかるような格好で眠っていた。夜中何度か彼女の腕が飛んできて起こされたのもそのせいかもしれない。この冬結局、彼女はパジャマというものを着なかった。下着一枚ででーんと眠っていた。今ももちろんそうだ。耳を澄ますと彼女の寝息が聴こえてきそうな気がする。
目を閉じ、自分の体の内奥に耳を澄ます。
頭の上の方に、違和感を覚える。ずきんずきん、じゃぁない、なんというかこう、どっしりとした、そう、あの文鎮のような痛みだ。
おはよう文鎮さん。私は声を掛ける。文鎮はこちらをちらと見やり、それからまた、何処かをじっと凝視している。
彼女の凝視している先が何なのか、私も視線を追ってみることにする。でもそれは濃い闇の中で、何があるのかは分からない。
でも彼女はそこをじっと凝視している。そして何処か、不愉快そうな、厭そうな表情を浮かべている。
私は尋ねてみることにした。何がそんなに不愉快なの? 何がそんなに厭なの? すると文鎮から何かが伝わってきた。
それは父から受けた痛みの数々で。これでもかというほど殴られた後の痛みで。その痛みの中で私は泣くこともできずただうずくまっている。自分が悪いんだ、またやってしまった、また父を怒らせてしまった、私が悪いんだ、と、ただそうやって唇を噛んでいる自分だった。文鎮は、それを見ながら、不愉快になっているのだった。
自分が悪いんだと私が自分を責め苛むことによって、文鎮は逆に生まれてきてしまったのかもしれない、と、その時思った。どうしてそんなこと思わなくちゃいけないの、どうしてこんなことされなくちゃいけないの、どうしてどうしてどうして! その声にならない叫びが、文鎮から滲み出ていた。文鎮は縮こまるばかりの私に、不愉快になっていた。
あぁそうか、文鎮は私のこういうところが嫌いでたまらないのだな、と思った。いや、たまらなかったのだな、と言い直すべきかもしれない。いや、どうなんだろう、今もそれを繰り返していないと誰が言える?
文鎮がふっと言った。あなたは自分で自分に嘘をついてる。私ははっとした。そうか、文鎮はそういうふうに私を捉えていたのかと、改めて知った。
私は存在したい、生きていたいと思いながら同時に、自分を否定しまくっていた。それが両方存在していた。だからちぐはぐになって、分裂してしまったのかもしれない。ただ、私があの家で存在し続けるには、自分のその片方の欲求、存在したいという欲求を、認めるわけにはいかなかった。だから私は全否定に入った。そうして文鎮が生まれた。
ずきずきや文鎮が、私を無力だと言う意味が、改めて分かった気がした。
私は自分の無力さ加減を、厭というほど知っている。
文鎮が言った。あなたは今、自分を好きだと言える? 自信をもって、言える?
言えない、と思った。まだまだ自信をもって言うことなんて、できやしないと思った。哀しいかな、それが私の現状だ。
認めざるを得ない、とつくづく思った。私はまだまだ、自分を好きだなんて、言えやしない。
文鎮が大きく、溜息をついた。分かっていたよ、と言わんばかりの勢いだった。私はただ、黙ってそれを見つめていた。
私は自問自答していた。自分で自分を好きになる方法、それは何だろう、と改めて考えていた。でもそんなすぐに、答は見当たらなかった。
文鎮は、そんな私もお見通しであるかのように、ただじっと、私を見ていた。
ねぇ文鎮さん、私は今まだ、自分のことを好きとはいえないけれど、でも、少なくとも、前よりは、好きって思うんだ。まだまだこれからなんだけど…。文鎮はなおも私をじっと見つめている。少しずつ積み重ねていくから、待ってて。私は言ってみる。
文鎮は黙っていた。でも、さっきまでの、あの不愉快の塊のようなものは、ずいぶん消えてなくなっていた。
また来るね、私はそう言って立ち上がる。手を振って、その場を後にする。
目を開けると、曲はちょうどGates of Dawnに変わっており。私はそのまま食堂へ行ってお湯を沸かす。生姜茶を入れる。いつもより濃い目がいいと思って、お湯の量を少なめにする。
半分開けたままの窓からは、そよ風が滑り込んでくる。私は煙草を一本口に咥え、火をつける。これ一本吸ったら、とりあえず朝の一仕事に取り掛かろう。私は椅子に座り、準備を始める。

お米屋さんに質問をしに行かなくちゃいけない。娘が言う。社会科の宿題なのだという。じゃぁあそこのお米屋さんがいいよ、ほら、いつもお米買いに行くとラムネくれるところ。あぁ、うん、あそこに行こう! 夕方、私たちは自転車に跨って走り出す。
燃えるわけでもなく、穏やかに暮れてゆく夕暮れ。その中を私たちは走る。公園の緑も、今は徐々に沈みゆく頃。
娘が質問している間、私は辺りを散策する。この辺りに住んでいたことがあった。短い時間ではあったが、確かにそういう頃があった。畳屋、表具屋が並んで建っている通り。その先には公園があって。私は毎日のようにそこを訪れていた。もうなんだか、はるか彼方の、遠い昔の出来事のように思える。
正直、あの頃からしばらく、私の記憶は途切れ途切れだ。いろんな人に助けてもらったんだろうと思う。それさえ、切れ切れにしか覚えていない。あまりにたくさんのことがありすぎて、あまりにずたぼろになりすぎて、人が覚えていることさえ覚えていない。まるで壊れたオルゴールのように、その飛び飛びでしか記憶は流れていかない。
ありがとうございました、と娘の小さな声がする。なんだか恥ずかしげな、本当に消え入りそうな声だ。だから私がわざと大きな声で言う、ありがとうございました。すると米屋のおばさんが笑って手を振ってくれる。娘は、顔を赤らめて私のところへ戻ってくる。ああいうときこそ、大きな声でお礼を言わなくちゃだめだよ。う、うん、分かってる。じゃ、もう一回言い直してくる? 私が笑って言うと、やだーーー、と騒ぎ出す。そんなに大きな声が出るなら、最初から大きな声でお礼言ってくればいいのに。い、言えないんだよ。どうして? どうしてもっ。
まぁこの年頃の子なら、そんなこともあるんだろうと思いつつ、それでも、お礼や謝罪の言葉は、ちゃんと言えるようになってほしいと心の中思う。それさえ言えれば、あとは多少こんがらがっていようと、伝わるものは伝わってゆくもの。そう思うから。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。ママ、ハムたちの世話、お願いね。了解。ミルクはひまわりの種あげると興奮するから、気をつけてね! うん、分かってる。
海と川とが繋がる場所は、陽光を受けてきらきらと輝いており。そこに海鳥は一羽もいなくて。ちょっと寂しい。
大通り沿いに、躑躅が満開。一面濃いピンクの波だ。耳に突っ込んだイヤホンからは、矢野真紀の大きな翼がちょうど流れてきた。
さぁ今日も一日が始まる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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