見つめる日々

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2010年05月05日(水) 
ステレオからSecret GardenのElanが流れ始める。私は窓を開け、ベランダに出る。薄く雲がかかった空。でも明るい。乾いた空。何処もかしこもが乾いている。プランターの土もすっかり。私は早々に水を遣ることにする。挿し木だけ集めた小さなプランターから、パスカリのそれぞれ植わっているプランター、そしてミミエデンとベビーロマンティカ、それからホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。そうして玄関に回ってラヴェンダーのプランター。プランターの下から水が流れ出してくるのを確かめる。
再びベランダに戻って、ミミエデンの様子を見る。元々あるものは今、枯れるかどうしようか迷っているというような具合。私は辛抱強く待つことにしている。信じて待つ。ただそれしか今の私にはできないから。
挿し木したミミエデンも、今はまだ、何の変化もない。当然だ。まだ挿し木して間もないのだから。それでも、どこかほっとしたような表情が垣間見えるのは気のせいだろうか。それでちょっとでも生気が戻ってくれるなら。と思う。
パスカリにまた新たな芽の気配。今度は粉が噴かなければいいのだけれども。私はその芽をじっと凝視する。今はまだ固く閉じられたその芽。紅く紅く染まったその芽。でも、生気が漲っている。だから私は安心する。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹の、下から出てきたものに花芽がついているのだが。すっかり粉を噴いており。私は迷う。どうしよう。でもせっかく花芽が出てきたのに。これを摘んでしまうのは簡単だけれど。でも。もうしばらく様子を見ておこうと決める。粉の噴いたものが、そうでなくなるわけはないのだが、それでも。
もう一本のパスカリの新芽が、粉を噴きそうな気配。葉が歪んでいる。こうなるとたいてい、粉を噴き始めるのだ。でも。もうしばらく、もう少し、摘まずに様子を見ることにする。もう少しだけでもせめて。
ベビーロマンティカの蕾は順調だ。ぱつんぱつんに張り詰めた蕾。まだもう少し大きくなるのかもしれない。去年の花は、こんなに大きく膨らむことはなかった。今年一番初めの蕾だからこうなっているんだろうか。それにしたって、これは一応ミニ薔薇の種類なのに。あまりに蕾が大きいから、私はちょっと戸惑っている。でも、反面、嬉しい。
マリリン・モンローの蕾は、今日も真っ直ぐに天を向いてくれている。柔らかな、薄いクリーム色をしたその蕾。そっと触れてみる。固く固く閉じられたその蕾。触れるほどにどきどきしてくる。いつこれがふわっと綻んでくるのだろうと思って。
ホワイトクリスマスは新芽の気配を湛えながらそこに在る。この新芽が芽吹くまでにはもうしばらくかかるんだろう。ホワイトクリスマスの新芽は、パスカリと違って緑色だ。同じ薔薇の樹なのに、こんなにも、違う。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。やはりデージーの種はだめだったか。仕方ない、一体何年冷蔵庫にしまいっぱなしにしていたか知れないのだし。悪いことをしたなぁと思う。せっかく摘んだ種だったのに、無駄にしてしまった。申し訳ない。一方ラヴェンダーは、もはや古い葉など何処へいったかという勢いで新芽を出し続けている。細い体にこれでもかというほど新芽を湛えた姿は、子供を大勢ひきつれた母親といった風で。か細いのに、これほど力強い姿も他にはなかなかないだろう。
部屋に戻ると、ゴロが待っていた。こちらをうかがって、後ろ足で立ちながら鼻をひくつかせている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは、ちょこまか歩きながらこちらにやって来る。私は彼女を摘みあげ、手のひらに乗せる。そういえば昨日娘の友人がやって来て、手のひらにゴロを乗せてやったときも、後退して、もう少しで床に落ちるところだった。今ゴロは、私の手のひらの上、じっとしている。でも目だけはきょろきょろと動かして、周りの気配を見やっている。私はゴロの餌箱の中からひまわりの種を一粒取って、彼女の鼻先に持って行く。そうすると、彼女はがっしと口で種を咥え、でも私がひまわりの種を放さないでいると、両手を出して私の指に触れてくる。手を出してくれたところで、私はひまわりの種を手放す。一瞬のうちに彼女のほっぺたの中に、ひまわりの種は吸い込まれてゆき。満足そうな顔をするゴロ。私はちょっと笑ってしまう。
洗面台に行き、顔を洗う。少し汗ばんだ顔を、思い切り水で洗う。それにしても、水もずいぶんぬるくなった。昔々、まだ祖母が生きていた頃、祖母の家に井戸があった。あの井戸の水は、冬暖かく、夏冷たいというものだった。あの水が、なんだかとても懐かしい。水はああであってほしいと私は思う。
目を閉じ、体の内側に神経を集中させる。
背中に乗っかったような、何か乗っかっているような重たい痛み。痛み、じゃないか、それは、まさに重い、といった具合。私はその重さに挨拶をしてみる。
重さは、私の背中にべっとり貼り付いているかのようで。だからそれは部分的に重いのではなく、全体的に重い、のだ。
私はその重さの前に座って、重さ全体を眺めてみる。それはもうずいぶん前から貼り付いているような、年季の入った代物だった。
何がそんなに重たいのだろう。私は尋ねてみる。返事はなく。重さはただ黙ってそこに在る。だから私はもうしばらくその重さを感じてみることにする。
そうしてよく眺め回してみると、重さのあちこちが擦り切れており。それはもう使い古したリュックのようで。色褪せたその姿は、時間の長さを物語っていた。
私は、その重さが過ごしてきたのだろう時間の長さを想像する。私が今持っている服のどれよりも古びたその重さ。ということは私の幼い頃からそれは私に乗っかっていた代物ということで。この重さは、一体いつ頃からの記憶を持っているのだろう。
重さからふと、何かが伝わってくる。何だろうと耳を澄ますと、それは、弟の気配だった。不器用で、私と比べるとのんびり屋で、何処かひょうきんな弟だった。幼い頃の弟は笑っているか泣いているか、だった。それが中学を過ぎた頃から、怒るしかしなくなった。怒りを爆発させては、家の壁に穴を開けていた。
そんな弟の、小さい頃の姿が、浮かび上がった。あぁそうか、私は弟に妙な責任を感じていたのだった。弟がこんなふうにならなくちゃならないのは自分の責任だと、何故か私は思っていた。弟が笑うたび、だから切なかった。無理矢理笑ってるんじゃないかと、いつも気が気じゃなかった。弟にそんなふうにさせてしまう原因は、ひとえに自分に在ると、その頃の私は思っていた。
うちの家族は、いろんな意味でばらばらだった。皆がばらばらの方向を向いていた。一つ屋根の下、そうやって、ばらばらのまま、過ごしていた。
家族がこんなふうにばらばらなのは、異端分子の自分がいるからだ、と、私はいつの頃からか思っていた。もし自分がここにいなければ、この家族はきっとうまく回るんだろうに、と、いつもいつも思っていた。どうしてそう思ったのか、分からない。私が父を素直に父と呼べなかった、そのことが、大きく作用していたように思う。当時離れて暮らしていた父を、私はおじさんと呼んだ。母にこんこんと教えられ、弟が父を父と呼ぶのを見、ようやく私は父を父と呼び始めたのだった。でもそれは、私にとって、大きなマイナス要素になった。私はお父さんをお父さんと呼ぶことさえできない娘なんだと、妙なレッテルを私は自分で自分に貼ってしまった。
最初からマイナスで産まれて来た子供。そんなふうに、私は自分をみなしていた。五体満足で生んでもらったというのに、それなのに、私はマイナスの子供。そういうふうに私は自分で自分をみなした。だから家族の不和は、すべて、自分の責任だと思った。自分なんかがいるから、すべてうまく回らなくなるんだ、と。そんなふうに。
そういう自分が在たことを、改めて、重さを眺めながら私は思い出していた。
おなかにいる子供は男の子だと思い込んでいた父母。その期待を裏切って生まれてきたのは女の子で。父母の用意していた名前も服も何も、私は裏切って、女の子として生まれてきてしまった。そんなこと、どうってことないだろうと今なら思う。今なら、仕方ないじゃないかそんなこと、と、笑って済ますことができる。でも、当時私には、それさえもが自分の裏切り行為だったと、そう思った。私は男に生まれてこなければならなかったのに、女として生まれてきてしまった、その時点で、父母を裏切った、と。
今思えば、よくもまぁそんなことまでいちいち思いめぐらしたもんだ、小さい子供が、と、笑ってしまう。でも、当時の私には、真剣だった。すべて、真剣だった。父母を裏切ったということは、大きなショックだった。父母の期待を最初から裏切っている子供だという事実が、私をマイナスにさせた。
そんな子供だからこそ、弟には悪影響を及ぼしてはいけないと思うのに、いろいろな場面で作用してしまって。もうどうしようもなかった。すべてが悪循環だった。そうして私が高校を最初辞めた時、それは事実になってしまった。悪影響を及ぼすから弟と一切接触しないように、と、母から明言されたとき、それは私にはもはや、当然のことに思えた。
重さを眺めながら、私はそういった一連の出来事を、つらつらと思い出していた。
今なら笑って済ますことができることも、あの当時は。そう、あの当時は、とてつもなく大きなことだった。そうして私は、潰れた。
あぁ、重さは、私がそうした中で潰れて来た、その痕なのかもしれない、と思った。
だから私は、ゆっくりと、重さに向かって言ってみる。もう、大丈夫なんだよ、と。
そう、もう大丈夫なんだ。弟は弟でもう自律し、自分の家庭を必死に営んでいる。それは決して楽なものではないけれども、でも弟は精一杯それに対して責任を持ち、一人前の男としてやっている。そしてまた、父母に対してそんなふうに、自分をマイナスにばかり受け止める必要は、もはや、ないのだ、とも。
いろいろなことが、あった。本当にいろいろなことがあった。でも、たとえば私が生まれたとき、父母は本当に喜ばなかったんだろうか。あんなことばかり私に言ってきた父母だけれども、全く喜ばなかったわけはない。少なくとも五体満足で産まれて来た私を、これっぽっちも喜ばなかったわけがない。今更父母にどうだったと聴くことはないだろうけれども、それでも私は、今なら信じられる。父母は、父母なりに、喜んだはずだ、と。
それでいいじゃないか。もうそれで十分じゃぁないか。
そう思うから。
重さはふっと軽くなった。軽くなって、でもまだ貼りついていて。はたはたと、風にひらめいていた。私は、それでいいと思った。飛んで消えてしまうことを望んではいなかった。そこに在ればいいと思う。在って、必要なとき、私に思い出させてくれれば、いい。と。そう思う。
私は手を振って、また来るね、と挨拶をする。私が惑ったとき、きっと重さは私に教えてくれるだろう。大丈夫、と、教えてくれるだろう。そう思った。

久しぶりに会った友人はこれでもかというほど疲れており。私は何も彼にしてあげられることがなくて、戸惑った。でも、ただ今一緒にいるということだけは嘘ではない、と、それだけだった。
今気がかりなことが、彼の心には充満しているようだった。私を殆ど見ないその目は、私を越えて、他のところを見ていた。
私にできることは何もない。そのことを、強く思った。私にはただ、彼がまた元気を取り戻す日を、信じて待つ、そのことくらいしか、なかった。
思い返してみれば、彼と出会ったのはもう昔だ。それから縁が続いている。つかず離れずの距離で、続いている。私が一番しんどかったとき、彼は何度も助けてくれた。励ますでもなく、ただ一緒にいてくれた。家族ぐるみでのつきあいは、私だけでなく、私の娘をも励ましてくれた。
彼を見ていると、真摯に生きる、ということをその都度思い出させられる。荒波にもじっと耐え、その時が過ぎるのを信じて待つ、というその姿勢を、私は彼から教えられた。そして笑えるときには思い切り笑うのだという、そのことも、彼の背中から学んだ。
だから祈ろうと思う。今彼の心に在る気がかりが、少しでも早く、軽くなりますように、と。そうしてまた、必要な時が来たら、笑って会いたい、と。

準備を整え、階段を駆け下り、二人して自転車に跨る。そこで一悶着。荷物が多くて籠に載りきらない。それなら背負って走るしかないのだが、娘がそれじゃぁ走れないと言う。自分の荷物は自分で持つ、というのがうちの基本。背中に背負うリュックなら、問題ないと判断し、私は彼女の荷物をリュックに入れ替える。そうしてようやく出発。
公園はもう緑がもくもくと茂っており。緑の向こうに朝陽が燦々と降り注いでいるのが見える。立ち寄った池には、千鳥が集っており。私たちは彼らを驚かさぬよう、傍らで見守る。あちこちを突付いて回るかと思えば、今度は背筋を伸ばしてぴっぴと歩く千鳥。なんだかちょっとおかしくて、私たちは笑い出しそうになる。それを堪えて、再び自転車に跨る。
大通りを越え、高架下を潜り、埋立地へ。銀杏の葉も、もうずいぶん茂って来た。ここでもまた、朝陽は向こう側。茂った緑の向こう側。そこに向かって私たちは走る。
モミジフウを越え、さらに走り、海へ。濃紺色の海は、朝陽を全身に受けきらきらと輝いており。白い波飛沫が散る。
今、銀色の腹を見せて、魚が飛んだ。一瞬の出来事。
さぁ今日もまた一日が始まる。私たちは思い切りペダルを踏み込む。


遠藤みちる HOMEMAIL

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