アルの日記
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2002年02月12日(火) わからん

う〜ん・・・わからん。
何で俺、ここで日記書いてるんだろう・・・わからん。
気付いたら入居していたって感じなんだけど、もう3ヶ月くらいになるのかな、書き始めてから。
う〜ん・・・自分の中で何かバランスを取りたかったのかな・・・う〜ん・・・わからん。
何やってるんだろうな〜、俺・・・・・・わからんな〜、全っ然わからん。
まあ自分の場合、日記って言うような感じじゃあないのかもしれないけど、文章なんて書いたことなかったから何か書いてみたいと思っていたのかもしれない。
でもあれだね〜、あれ、言葉ってやっぱり自分の表現したいことの半分も表現できないような気がする。
何かやっぱり自分の感じているものからワンクッション置いたような感じになってしまう。
う〜ん・・・どうしたものか・・・。

う〜ん・・・例えば詩とか文章とか読んでも意味は何となくわかっても何かしっくりこないことが多い。
誰かが話す言葉を聞いても、もちろん額面通りの意味はわかっても、何かしっくりこない。
う〜ん・・・そうか!
いつも音として聞いてしまっているからかな・・・。
話は跳ぶけど例えば神経症と精神病の違いがそれぞれ了解可能か了解不可能か(または外因性か内因性か)の違いとかよく言うけど、前者は詩で後者は音に当たるのではないかということを昔考えたことがある。
詩と言うのはおそらく文化・文明などが背景にあって始めて意味をなすものが多いのに対して、音はどちらかというともっと原始的なところの脳を使って聞くもののような気がする。
人間も昔、言葉が確立していなかった時は音で喜怒哀楽を表現していたはずだし。
それゆえ音のほうが直で入ってきてしまう私は精神病の淵に昔はいたわけだし、音楽を聴いていても歌詞とかぜんぜん頭に入ってこない。
歌もほとんど音として聴いてしまっている。
まあでも詩にしろ音楽にしろ芸術関係は特にそうだと思うんだけど、右脳でインスピレーションを感じてそれを形にするには左脳の力が必要な気がする。
ようするに両方の脳のバランスが大事なのでしょう。

アフリカのどこか忘れちゃったけど、魚の市場があって、そこでは大漁かそうでないかを近所の人に知らせるために太鼓を使っていた(←テレビで見た)。
大漁の時はすごい勢いがよく嬉しそうな太鼓の響きなのであるが、不漁の時はなんだかすごくもの悲しい太鼓だった、笑。
う〜ん・・・アフリカって太鼓で会話するトーキング・ドラムっていうのもあるし何か面白いなぁ〜。
太鼓とか何か叩いてリズムを作るってやっぱり原始的だよなぁ〜・・・それゆえハマると原始的な快楽を体感するのでしょう。
どこかの原住民が太鼓叩いて踊ったりするのも、クラブやディスコやレイブで踊ったりするのもやっぱりすごく原始的な快楽が訪れて、究極的には人間本来あるべき所というか、根源的なところに感覚が持っていかれてある種の自然との一体感を感じるのでしょう。

う〜ん・・・俺は何を言ってるのだろう・・・わからん・・・でも書き出すと止まらなくなってしまう自分っていったい何なんだろう・・・わからん。
わからん。
わから〜ん!!!
誰か教えてくれ〜、笑。

じゃっ!


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