アルの日記
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2002年02月18日(月) ぼんやり考えたこと

う〜ん・・・目が虚ろだ。
別に精神状態が悪いわけではないんだけど・・・。

週末とか今の自分には関係ない。
昔は他の人達がみんな楽しく過ごしてそうに思えてやるせない気持ちになってしまって自分の状態を嘆いたり逆に羨ましさから楽しく過ごしているように見える人達のあら探しをしようとしていたこともあったけど今となってはなんだかどうでも良くなってしまっている。
遠い昔の話だ。

ちょっと浮世離れしてしまっているような状態なのかな、自分。
独りでいる時は(←まあほとんどの時間がそうなんだけど・・・)たぶん目が逝ってしまっていると思うよ。
人と合う時はちょっと気が引き締まるからそんなでもないと思うけど。

しっかし、俺って本当に生きてるのかなぁ〜・・・。
なんだかまったく実感がないからよくわかんないよ。
でも生きてるんだろうなぁ〜、こうやって日記も書けてるし。
俺、よく気が狂うわけでもなくこうやって今、生存できているなぁ〜って不思議に思うよ。
まあ家族や友人やネットの中の人達のお陰であるのは言うまでもないけど、ほんと不思議に感じている。

う〜ん・・・すっごい当たり前のことで言うのもちょっと恥ずかしいんだけど、でもやっぱりすごくありきたりで日常的なありふれたことであれこれと悩んだり楽しんだり喜怒哀楽を感じている状態ってすごく幸せなことなんだと思う。
長年の間、自分は逸脱行為を繰り返してきて「普通」ということがどういうことだか実感できなくて羨ましくて羨ましくて無性に追い求めてきたために今ではだんだん(たとえ表面的にでも)「普通」になれることができてきたように感じているのです。
生きているという実感はあまりないけどでも心はわりとpeacefulな状態だと思う。
もちろんそれなりに波はあるのだけど。
普通、普通といっても一体何が普通なのかというとちょっと曖昧になるけど、要するに自分が生きている世界の中で大多数の人が最大公約数的に持っている意識なんだろうね。
例えばインドのゴアとか行くと、あそこはもうジャンキーの町なわけでもう自国に帰ったら確実に精神病院行きだろうというような人達がたくさんいたりするけどでも現地にいると別に普通なんだよね。
許容度が高いというか何もかもゴチャゴチャだけど渾然一体となって存在しているのが当たり前の状態。
でも人間一人一人がそれぞれ自分のルーツを持っているわけだからそれを無視してしまっては駄目で、ちゃんと向き合ってそれを受け入れてから初めて本当に「生きている」という実感が湧き出すような気がする。
「生きるってことは変わるってことさっ。」っというセリフはエバンゲリオンでカジさん(←漢字忘れた)がシンジ君に言ったセリフだけど(笑)やっぱりそうなんだろうね。
どんなに変化がないように思っていても時間とともに肉体は老けていくしそれに連れて精神にも何らかの変化は起こるはず。
(ちなみにミサキの言った「しっかり生きてそれから死になさい!」っていう言葉も好きだったり・・・笑)

う〜ん・・・なんだかまとまりもなくゴチャゴチャな文章になりそうなのでこの辺でやめておこうかと思うんだけど(本当はもっと突っ込んで書きたかったり・・・笑)自分にこの先どんなことが起こってもクリエイティブである姿勢は決して失いたくないと思うのです。
まあ、そうしていけばそのうち生きている実感も出てくるでしょう(という期待も込めて)。



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