アルの日記
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2002年04月11日(木) 共感

うむむむ・・・。
例えばsympathyとempathyは両方とも「共感」というような意味だけど微妙に違う。

sympathyは、たとえば友達の家族や恋人が死んだ場合、「自分の家族や恋人だったらどう思うだろう・・・?」とか、実際に自分の可愛がってたペットが死んだ時のこととかを思い出したりして悲しんでいる友達を慰めようとする。
ここで重要なのは相手も自分と同じように感じるだろうというsimilarity(類似性)の考え。

これに対してempathyは基本的に相手と自分とは違うんだということを前提としていて、人の立場に自分を置くのではなくてその人の経験に参加して分かち合う。
自分の主観(価値判断)はとりあえず置いといて、白紙でその人の話を聞き、創造力を駆使してその人の痛みを自分の痛みとして感じる。

とても自分では解決できないような問題を抱えて苦しんでいて誰かに助けを求めたい時はおそらくempathyの方を求めているのではないでしょうか?
つまり、自分の話に共感し、理解し、一緒に考えて欲しいということ。

でもこれってすごい大変なことだよね。
自分と関わっている人すべてに対してこの姿勢を貫くのは不可能だし、自分自身がおかしくなってしまう。
例えばカウンセラーとかってたぶんこのempathyの態度でクライアントに望むと思うんだけど、プロとして修行を積んでいても人間だからやっぱり相性やらなにやらあるわけで・・・。

俺の場合はどうなんだろう・・・。
う〜ん・・・そういうもの(empathy)を求めているというのは確かにあるような気がする。
逆に(empathy)を与えたいという欲求もあるんだけど、これはやっぱり好きな人に限られてくるんだと思う。
根底にあるのは、その人と深いところで結びつきたいということ。
究極的には同化したいのかもしれない。

おそらく私は今現在、その対象となる人がいないので、主に音(音楽)によってその代わりにカタルシスを得ているのだと思う。
つまり、私が今現在、好きで聞いている音楽はこのempathyが具現化されているのかもしれない。
う〜ん・・・すごいなぁ〜、やっぱり・・・本物の芸術家はすごいよ・・・涙。
もう言葉になんかできん・・・こんな説明もなんだか無意味で的外れのような感じすらしてくる・・・涙。




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