アルの日記
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2004年11月13日(土) 意思

なんだか言葉で表現しきれないほどの思いを抱いてます。
私は、意思の力を信じています。
意思が生じるということは、それが生じたそれなりの理由・・・必要性があるものです。
私が現在抱いている"意思"がどのようにして生まれたか・・・それは自分の中ではある程度"感覚"で(言葉にはできないけど・・・っていうより言葉にする必要がないような気がするけど)わかっているつもりです。
ワガママといわれようがなんだろうが、私はこの"意思"に従うしかないんです。
誤解を恐れずに言えば"神"と言ってもいいかもしれません。
・・・なんだか一神教的だな・・・まあ一神教も厳しい環境で生まれるものだからそんなようなものかも知れないけど・・・ボソボソ、笑。

なんていうか、そういう"私はどうしてもこれをしなければならないんです"っていうものが意図的にしろ無意識にしろ、抱いてしまう人がいると思うんです。
そこまではっきり認識できなくても、なんだかモヤモヤした"衝動"を持っている人って結構いると思うんです。
んでその"モヤモヤ"が何だかわからなくて悶々としたまま何もせずに時間が過ぎていく・・・みたいな・・・。
よく”キレる”人がいるじゃないですか・・・あれは、まあ栄養的な問題とかなどの物理的な点や、育った環境・・・教育・・・つまり伝統的な価値観の欠如(過去→現在→未来という流れの中で生きている感覚や社会の中(所属団体(学校、会社、家族他)における自分の位置の感覚の欠如)とか、いろいろ原因は考えられるけど、なんといっても"言葉"を知らないからということが多いと思うんですよ。
言葉というのは、そう言う点ではすごい重要なものだと思うんです。
言葉で表現できれば、たとえば"怒り"とか"憎しみ"とかそういう感情って、ある程度、緩和されるんですよ。
言葉ってクッションの役目をするんです。
ある思いを抱いて言葉にする作業・・・それだけでかなりクッションになるもんだと思うんです。
かなーり大変なエネルギーを必要とする場合も多いと思うんですけど。

話が少しずれたけど、意思の話。
意思が強いほど伝わるモノは大きい・・・そう思うんです。
"意思"が生じるところには、その意思の強さに応じて、"喪失感"とか"絶望感"とか、そういったある意味"マイナス"の精神体験がある場合が多いと思うんです。
たとえば、とある場所に行ってひどい目に会ったとしたら、その場所には二度と行くまい、という意思が生まれますよね?
・・・なんか例が悪いような気が・・・笑。

生ぬるい環境にいたとしたら、それはやっぱり強い意思というものは生まれにくいと思うんです。
あーだこーだ言い訳をただ口にするだけの人や、他人をけなした評価ばかりを口にするタイプの人って多いような気がするけど、そういう人ってどうなんだろう・・・。
自分を守るために精一杯・・・てか、そんなにまでして守らなければならない自分って・・・何?
まあいいか・・・。

以上、自分でもよくわからない意思によって書いてしまいました・・・。
でも"意思"があるものって、やっぱりふと心に引っかかるんだよね。
意思にもいろいろな方向があるけどさ・・・。
なんか、自分や他人に嘘をついていたりするものってやはり何の意思も感じないから心に引っかからないような気がする。





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