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嫌いな食べ物「キュウリ」


2001年12月19日(水) 12月19日9時36分

 今、教授から借りたゲイ・雑誌を呼んでます。ゲイ…というよりは同性愛雑誌のようなものですが。嗚呼、私は紛い也にも芸術学に所属しているので、そういう、所謂一般的に言われるアンダア・グラウンドにも興味を示している教授が多いのです。
 因みに私も、同性愛者ではないですが、同性愛寄りのバイ・セクシャルなので、そう言った感情は判るのです。(寧ろ精神的レズビアンかも知れない、と思い始めている今は非常に良く判る)
 私が其れを読んでいて感じるのは、セクシャル趣向、というものは人其々であって、同性愛やノン・レズビアン、ノン・ゲイ、バイ、というものは同じ位置にあって、どれも全ておかしなことではない、という部分である。
 唯、セクシャル的な立場で、私のような人から言わせれば、ジェンダーというものは腹立たしいものです。ジェンダー(これを私は、セクシャルファッションと位置付けている)を持っている方々は、私の出会いの限り、本当に恋愛感情から「私はバイだ」とは言わずにもしかしたら故意に、或いは無意識のうちにそう言っていることが殆どである。
 何が如何してセクシャル趣向がファッションになるのか、解せないのだけれども、確かに彼等、彼女等はそういった「一般的に」特殊なものを名乗ることで自分に一目置かせようとしている部分がある。此方とすれば本当に腹立たしい。私たちは本気で同性に恋をし、胸ときめかせているのに、其れを真っ向から「嘘」「偽り」とて意義付けられたようなのです。
 もしもある、そう言った彼女に私が恋をし、其の彼女から「私はバイ・セクシャルだ」と言われていたのであれば、迷わず突っ込んでしまうかも知れない。大体において、ある特殊な直感で其れは避けられるのですが。其のときに、口付けならず、セックスにまで入ろうとしたときに、まるで処女のように泣かれたり、身体中で拒否されたりすることは無いだろうか?セックスをしたところで、普通の恋人とでは無いように、態度を変えられたりはしないだろうか?ジェンダーでバイ・セクシャルを名乗っている人は、もう一度考え直して貰いたいのだ。
 もう一つ、彼等、彼女等の酷く特徴的なものは、「自分は同性愛だ」とは言わないことだ。常に「バイ・セクシャル」と言うものを用いる。其れは常に異性に逃げ道があるから、と言うように思う。其れも非常に腹立たしい。私のようにバイ・セクシャルを認識したものとしては、其れはつまり私のような人を「実はジェンダー」と言われたようなものだからである。
 最近そう言ったことが重なって、疑問を感じずには居られません。ジェンダーならば其れで良いではないのだろうか?態々自分のセクシャル趣向を偽る必要は、全く無いように感じる。「ジェンダー」はファッションとして、或いは流行、慣習、文化として成立すれば良いだけの話だ。デリケエトな部分に首を突っ込むようなものではない。
 最後に、同性愛、両性愛というのはぽっと出の文化ではないことを付け加えておこう。

 其れでは。




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12月19日12時12分

 サイトに、「美学」というものを追加してみました。私の精神美学に乗っ取った駄文ペエジです。今日アップしたのは、三十分ほどで書き上げた里美、という文章。殆ど本当で、少しだけ嘘の文章。読みたければ、是非。

 …未だ私は彼女を愛しています。


さくま