嫌いな食べ物「キュウリ」
2002年01月22日(火) |
1月22日18時42分 |
可也遅めの新年会を友達三人としました。私は今の所レズビアン、もう一人はゲイよりのバイセクシャル(勿論男性)そしてノンケの女の子が二人、という不思議な新年会でした。
私は何故か男装させられて、女の子二人にキャーキャー言われていました。「君が欲しいって言って」とか言われて。なんじゃそりゃ、と思い乍もフェミニストとして「君が欲しい」と言った私。馬鹿ですか。嗚呼。(くらり)
あとは、其の、ゲイの人は女装して、何故か演技指導を受け、絡んだりした写真を撮られました。これは何の罰ゲエムですか。本当に。…。
サイトに載せる許可を貰ったので、ゲイの人の女装写真をもうそろそろ載せるでしょう。もしかして裏を作ったら、もしかして私の写真があるかも知れませんね。(笑)というかもしかしてオンパレエド。適当主義者。
何人かの人や、親にも指摘されたのですが。私は如何やらエピキュリアンで刹那主義、そしてペシミストだそうです。運命決定論者はばれませんが。というか知っている人って居るのでしょうか。運命決定論。
運命決定論とは、人間が体内から外の世界に生まれ出た其の瞬間に、人生における全ての事柄(髪型、顔つき、癖、喋り方から、小さな時間と行動まで全て)を運命というレエルにインプットされる、という考え方です。つまり運命からは絶対に逃れることが出来ず、逃れようとしている、其のことすらも既に運命としてインプットされている、ということです。
然しそう考えると、エピキュリアンだったり刹那主義であったり、ペシミストであったりするのはその派生かも知れません。
確かに私は将来が如何、というよりも今にしか興味がないし、快楽というものを求めすぎているとも言えるし、そして世の中を冷たい視線で見ていることも事実です。
人間の生きる無様な姿と言うものを冷酷に批判することもあります。然し其れはつまり私が生きていることに対する批判でもあるのです。
彼らは何故、そんなにも何も考えずに生きていられるのか。嘲って罵って、殺してやりたい気分になる。そして其れはつまり私を殺してしまいたいことになるのです。
然し私は私を愛しています。誰よりも愛しています。どんなに愛している他人よりも、自分を愛しています。そして私に傷を付け、見下す人は許しません。ブラックリストに載る、この二人は必ず私からの報復を受ける羽目になるでしょうね。
アハハハハ!
美しくみすぼらしくなってね。(笑)
さくま