嫌いな食べ物「キュウリ」
2002年05月17日(金) |
行為についての元凶は |
憎悪というのは人生を生きるにおいて必要最小限なトピックだと思う。そして反するように愛も必要では、あると思う。然し私の中では、人生に必要なのは憎悪であって、愛は其れに付属するおまけのようなものだと考える。私の人生自体がそうなのではなくて、「人生」というものには、という概念において。
私の崇拝する三島由紀夫氏は、行為は動機に支配されていて、欲望は(当時の)最近では二の次、または動機によって忘れ去られてきている、と仰って居たが、私は逆に行為は憎悪によって支配されかかっていると思う。
それは元を正してしまえば動機なのだけれども、動機に至るまでの経緯が憎悪なのだと思う。
例えば「金閣寺」で少年が最終的に国宝の金閣に火を点けてしまうのは、三島氏曰く彼の中で広がった、愚かしい「美」という観念だけで充分動機は成り立つのだと言う。少年は決して金閣を「燃やす」ことを欲していたとは言えないのだと、私もそう思う。
然し私の観点から言うと、彼の動機は彼の中で作り上げられた「美の象徴」と違うベクトルの「現実の美しくない美の物体」のマイナスイコールの部分に憎悪していたように思う。その憎悪が少年の「美」という観念自体なのでは無いか、と。
つまり私としては、この世の全ては
憎悪→動機→行為
となっているわけで、決して「憎悪が動機」なのでは無いのだと思う。
所がこう書くと、其れは犯罪であって、非社会的な行為であるから憎悪が持ち出されているのだと思われる方も多いと思う。其処で今日あった出来事を一つ。
実は私、今日免許取得試験に行きまして、見事に落ちて参りました。(凹)凹みながらも愛する恋人に報告。メエルのやり取りの中で、私は「落ちました」と言うよりは違う言い方でやってみよう、と単なる遊び心を出してみたのです。そのメエルは
「先立つ不幸をお許し下さい。」
でした。(笑)否本当にそんな気分でしたけれども。そうして返ってきたのは
「後は追わないよ」
…。
私は彼女を憎みました。愛する人を憎むことほど、官能的で腹立たしく、自分を世界の中の中心なのだと感じることを私は知りません。試験よりも何よりも、私は最終的に今愛する人と永遠に手を繋いで、何もせずにしゃがみ込んで居たいと思う身ですので。(笑)
憎悪が、彼女と会う、という行為を作り上げました。憎悪の根源をこの目で今直ぐ見て、触れて、そして口付けをして、冷たい瞳で彼女を見下げて、何か判らずに後々ベッドですすり泣かせたかったのです。
これは私の完全な憎悪であるし、その相手が彼女であるから、愛の大きさと同じ程に憎悪が行為になるのです。
或いは私は彼女の持っている全ての環境の素晴らしさとに酷く憎悪しているのです。憎悪を哀しみながら、憎悪以上に下らない人生に官能を与えてくれるものを、私は知りませんから。
…と、此処まで書いた配意ですが、これでは私の人生において憎悪は必要最小限のトピックだ、という意味になってしまうわ。如何したものなの。(駄目じゃん
取り合えず面倒になってきたので此処までです。別段私だけのことを言っているつもりではなかったのですけれども、然し、私は自己中心的ですし、他人の事を判っている訳でもないので、仕方ないから公的には「私にとって」と言い換えます。
…本当は世界全体が、と思い込んでますけれどもね。(笑)
さくま