嫌いな食べ物「キュウリ」
2002年10月24日(木) |
決定・困難・希望的観測 |
私に依存しているのだろうか?私に、私に!依存されるほど私は強い人間じゃぁ無い。自分の感情を抑えて、冷静を装うほど強くは、無い。
嗚呼これが唯の他人であったらどんなに良いだろうか。もう勝手にしなよ、喋りたくないの?嗚呼そう、じゃあねお休み、と言って切りもするだろうさ。
そう出来ない愛し方をするのが私だから困る。
一般の恋人達の片割れの大半は苛々して嫌気が差して捨てるだろう。私だって苛々する。けれど其れを外に出してしまったら終わりなのだ。根気強く、支え、落ち着かせ、感情を押し殺して表面に柔らかな笑みを浮かべ、その人の目指す道の其の場所で両手を広げて待っていなくてはいけない。そうしてやりたい。そうしてあげたい。
これが他人だったら何と良いことか。悲劇のヒロイン(嗚呼それは他人だったら私にとっては本当に悲劇だ!)を気取ってそのぬるま湯に浸っている其の人を、一蹴り二蹴りして罵倒を浴びせ掛け、無視して次に期待したことも出来たろうに。
所が他人じゃない。私は他人じゃない。貴方が死ぬまで私が居る。貴方が死ぬまで私は居る。そう決めた瞬間から、私は貴方の他人じゃない。貴方は私の他人じゃない。貴方は私の愛を受けなくてはいけないし、私は貴方に私の愛をあげなくてはいけない。
貴方は浸っていてはいけない。其れを私は言葉荒くすること無く、根気良く、毎日明け方に、優しく諭さなくてはいけない。諭したい。貴方と私が死ぬまで一緒に居る為には、貴方の辛さは私が少しずつ無くしてあげよう。こういうものでは無いだろうか?貴方は私を利用すれば良い。私は貴方に利用されてあげよう。其れはもう喜んで。
けれど私は貴方の傷の専門の薬じゃない。私は貴方の傷の痛みを抑える、鎮痛剤。専門の薬は処方されなくてはいけない。貴方は私だけではいけない。貴方は専門の薬を傷口に塗りこみながら、私を使って頑張らなくてはいけない。治癒しなくてはいけない。私と一緒に死ぬ為に。
そうじゃないだろうか?だから私はやっていける。
けれども私は強い人間じゃない。感情を抑えている間、体が激しく震えるのを最近毎日経験するようになった。めげてはいけない。諦めてはいけない。投げ出してはいけない。そうしたら彼女は最後、崩壊してしまうのだ。私が投げ出さなければ、彼女は立ち直る術が出来るのだ。私は切れてはいけない命綱なのである。
そう、私は本当に今まで、そしてこれからも命綱だ。貴方の傷が痛むとき、貴方は崖の下で痛みに悶えて激しくロープを揺らすだろう。引くだろう。私の体は叫び声を上げる。切れてしまえば良い、と何かが呟く。切りたくなる。所が私はこう思うのだ。
彼女と一緒に死ぬのでは無いか。彼女を愛しているのでは無いか。私が切れたら彼女は終わりだ。
私は切ることが出来ない。私は精一杯彼女を繋ぎとめておきたい。いつか崖の上に引き上げたい。私というロープを引く人は…そう、精神科医だろうか。
私は切れてはいけない。風化してはいけない。諦めてはいけない。一緒に落ちてはいけない。私は冷静な精神を保ちながら、根気強く、彼女を愛して彼女を支え、彼女を諭さなくてはいけない。貴方は悪くないのだと。
けれど私は強くない。
この辛さに、私は安住してはいけない。
快楽を覚えてはいけない。
危機感を感じていなくてはいけない。
強くないが、支えることが全ての幸せの道だと信じたい。
さくま