ezo-bitakis diary



 7年

阪神淡路大震災から7年が経った。あの日、2階のハイベットで寝ていた私は激しい揺れで起こされた。父は御殿場出張の準備をしていて、母も朝食の準備中。富士山でも大爆発したのかと思って、慌てて階段まで走り「地震!」と階下に向かって怒鳴った後、『電気がついているので大丈夫』と安心し、2階の家族に声をかけてから階下に降りた。両親とTVで地震速報を見た後、出勤の準備には少し早かったのだけど眠れなくなってしまい、父を新幹線の駅まで送っていった。家に帰ってから出勤のためJRの駅に行って時間のずれた電車で初めて地震の激しさを知ったのだけど、震源地がとんでもないことになっているのを知ったのは、仕事中の10時頃。社長の孫が神戸で下宿しているのだけど連絡が付かないと言う話を聞き、出先から帰った営業の社員がTVの電源を入れた時。てっきり地震もたいしたことなくて、対策は始まっていると思っていたのでTVの生放送を見て言葉が出なかった。私の住んでいた市は震度4だった。その後の鳥取県西部地震でも、芸予地震でも同じ震度4を体験した。揺れ方は違ったけれど。阪神淡路大震災の時は寝ていたのだけど、南北に激しく揺さぶられる感じ。鳥取県西部地震の時は台所に居て、東西南北にぐるんぐるん回されるような緩やかな揺さぶりで時間も阪神淡路大震災より長かったように感じた。芸予地震では、上下に揺さぶられた。時間はそんな長くはなかったと思うが、机の上に置いていた物のいくつかは散らかってしまった。物が散らかったのは、我が家では初めて。地震が東海地方で起きるという予想があるけれど、備えはある程度しておかないと怖いと思う。物騒な世の中だから地震以外でも怖いことはあるので、普段からいろんな事に気を付けないと思うけどね。

2002年01月17日(木)
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