私は・・って書こうと思って、 「わしは」って書いちゃって、 ちょっとウケてます。 なので、今日は一人称を「わし」にしてみます。
なんのために・・・・
わしは心理学が好き。
がはは。 誰だよ。
小学校6年生の時、本屋で見つけた 千葉大の多湖輝氏の「読心術」っていう本を自分で買って読んで以来、 硬軟あわせ量だけは読んだが、 本格的に勉強しようという体勢ではなく、 興味も波があるので、 系統だった知識があるわけではなく、 枝葉をあれこれ知っているという感じで、 知識も理解も中途半端なので いろいろとやっかいなのである。
特にこういうもの、人様に公開することが前提の場に 心のうちをさらすような文章を書く場合に、 思ったことを思ったとおりに書けないということが 多々ある。
こういうことを書くと、 私のコンプレックスとかが全部あばかれるのではないか ・・・とか思うわけ。
自分が理解しているコンプレックスだったら 自分でもわかっていてのことだから問題ない。 ある意味確信犯というか、 誰かにわかって欲しいと思いもあるわけで 自分を解放する意味で書いたりすることもあるのだけれど、 自分が気がついてない部分や、 気づきたくない部分、 指摘されたくない部分(おお、これらは結構核心かも)を さらけ出すような結果になるのは嫌なんだね。
逆に、言葉足らずで誤解されたら嫌だなと 思う部分もあり・・・
ていうか、本当はこういう意図で書いてるけれど、 こういう風にとられたらっていうのは、 心理学的にはないのかね? 自分では「そのようには思ってない」と思っていても、 相手が誤解して「そのように思っている」と捉えるってことは 実は、自分は「そのように思っている」ってことなのかな?
わかります?
まぁでも、深層心理がなせる業についてとかを ちゃんと理解していれば、誤解なく書けるだろうし、 その前にどうして自分がそう思うかがわかるだろうから、 問題は解決ってことじゃんねぇ。
何も知らなければ、あれこれ考えずに思ったことを思ったとおりに書けて、 それは逆に素直に自分を表せているってことで、 「なんだこいつ」と思われることがあっても、 正直な態度ってのには、好感もたれるんじゃないかと思ったりもして・・・
そんなわけで、だらだら書いているようで 結構あれこれ考えているということを 書きたいわけじゃなく・・がはは、 本題は
ボランティア。
日記仲間(勝手に仲間にしてすみませぬ)の mikiさん という方がボランティアで 日本語教師をなさっている(あってます?)。 日本語教師をなさっていることも実は最近になって発見し、 そして、今日、さっき、それがボランティアであったことを知りました。
単純に「偉いな〜」と思うわし。
(続く・・・おーーーい。すみません)
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